四月二十日(水)晴れ。
一時半から開催される大行社の幹部会議に出席するために、昼過ぎから東京行き。相談役として挨拶をさせて頂いた。その折に、東京電力が、全国にある保養所を避難民に解放していないことの事実を述べた。
会議の中で、相模支部の小針政人君が、「二酸化炭素を多く出すということで火力発電が非難され、環境破壊、森林や川の破壊になるといって民主党は水力発電を含むダム建設にも反対してきた。そして今回の事故で、原発反対の声が上がっている。それでは、何によって電源を確保すれば良いのか」。
この話には考えさせられた。人は、「何々の為」というが、「人」の「為」と書いて「偽り」となる。今回の事で、安易に原発に反対しても何の説得力もあるまい。これほど電気の恩恵に与っている現代の日本人がだ。
原発が悪いのではなく、それを管理する側、使用している側に問題があるのではないだろうか。こういったものを建設する時の安全基準は、決して「想定外」を基準とせず、安全率を下げる。それだけコストが安く済むからだ。原発を建設する際には、地元対策として、サッカーの練習場を作ったり、公園を作ったりする。これからは、そんなものに金を使わずに、安全対策に金をかけるべきだと思う。
日本人の英知を出し合い、すぐには無理かもしれないが、公共施設や戸建てのソーラーパネルの義務化や、風力、海水など既存の発電に変わるものを作る事が、大袈裟に言えば人類の救済につながるのではないかと思う。
帰宅後は、真面目に仕事をした。「胃の重さ」が治らず、酒量を抑えている。スッキリしない日々が続いている。あーあ美味い酒が飲みてぇーナァー。