白雲去来

蜷川正大の日々是口実

火力、水力、原子力、何が一番いいのか分からん。

2011-04-22 13:52:19 | インポート

四月二十日(水)晴れ。

 一時半から開催される大行社の幹部会議に出席するために、昼過ぎから東京行き。相談役として挨拶をさせて頂いた。その折に、東京電力が、全国にある保養所を避難民に解放していないことの事実を述べた。

 会議の中で、相模支部の小針政人君が、「二酸化炭素を多く出すということで火力発電が非難され、環境破壊、森林や川の破壊になるといって民主党は水力発電を含むダム建設にも反対してきた。そして今回の事故で、原発反対の声が上がっている。それでは、何によって電源を確保すれば良いのか」。

 この話には考えさせられた。人は、「何々の為」というが、「人」の「為」と書いて「偽り」となる。今回の事で、安易に原発に反対しても何の説得力もあるまい。これほど電気の恩恵に与っている現代の日本人がだ。

 原発が悪いのではなく、それを管理する側、使用している側に問題があるのではないだろうか。こういったものを建設する時の安全基準は、決して「想定外」を基準とせず、安全率を下げる。それだけコストが安く済むからだ。原発を建設する際には、地元対策として、サッカーの練習場を作ったり、公園を作ったりする。これからは、そんなものに金を使わずに、安全対策に金をかけるべきだと思う。

 日本人の英知を出し合い、すぐには無理かもしれないが、公共施設や戸建てのソーラーパネルの義務化や、風力、海水など既存の発電に変わるものを作る事が、大袈裟に言えば人類の救済につながるのではないかと思う。

 帰宅後は、真面目に仕事をした。「胃の重さ」が治らず、酒量を抑えている。スッキリしない日々が続いている。あーあ美味い酒が飲みてぇーナァー。

 


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映画「二十四の瞳」に心が洗われた。

2011-04-22 13:20:56 | インポート

四月十九日(火)曇り。

 午前中に、県警本部に拘留されている友人に、共通の友人と共に面会に行った。県警本部は、横浜の海に面した風光明媚な場所にある。周りには、歴史的な建造物も多く、横浜の観光スポットとなっている。

 面会室で会った友人は、以前よりふっくらして元気そうだった。いや元気を装わなければ、精神的に参ってしまう。逆境に遭った時、いかに精神的に頑張れるかが、その人の運命を決めることがある。面会室にも、何箇所かヒビが入っていた。先月の地震の影響との事。「大事にね」と、笑顔を交わして県警本部を後にした。

 丁度、昼近く。お世話になっている方と待ち合わせて、福富町の韓国料理屋で、ランチ。みそ汁定食、五百円也。これが副食が五品ついて中々美味い。ワンコインでは申し訳ないぐらいの味だ。何だか得をしたような気持ちになった。

 三時過ぎに自宅に戻る。そのまま友人からの頼まれ仕事。様々な案内状の原稿を書いたり、印刷をしたりで、あっという間に夜。

 録画しておいた、BSの「二十四の瞳」を観た。これも若い頃に一度観た映画だ。主演は高峰秀子。日本の映画史上に残る名作だろう。人は、この映画を反戦映画の一言で片付けてしまうが、私はそうは思わない。この映画が製作されたのは、昭和二十九年。終戦から九年しか経っていないこの時期では、多くの人たちが、「二度と戦争なんか」という思いを持っていたのに違いあるまい。同じ年に公開された黒澤明監督の「七人の侍」の興行成績を抑えて、この年のトップの映画となった。

 映画の中で歌われる多くの唱歌には、心を洗われる。そして教え子が出征して行く場面で歌われる軍歌など、私は感動と感激で胸が一杯になった。怒られるのを承知で申し上げれば、この映画を観ていないと言うことは、日本人としての怠慢とさえ思う。

400px24_eyes_2 ※「二十四の瞳」のスチール写真。時代は昭和三年。壺井栄の原作では、小豆島とは特定していないが、地域振興に役立っている。

 


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長淵剛氏に感動した。

2011-04-22 12:25:01 | インポート

四月十八日(月)曇り。

 否が応でも、連日、震災関連のニュースが目に入る。ほとんどが、感動するものが多いが、中には、何を考えてんだか・・・・と思うようなものもある。

 震災で避難場所になっている小学校の授業が始まるというので、学校に避難している人達に、教室から講堂(体育館)に移ってほしいと要望した所、インタビューを受けている女性が、「講堂は、まだ掃除も行き届いていないので、泥だらけです。移りたくとも行けない」と、答えていた。それを聞いた自衛隊員が、講堂をきれいにしようと、はだしで雑巾掛けをしている映像を見た。気の毒で涙が出そうになった。

 避難している人たちが、不自由をしているのは良く分かる。しかし、自分達が寝泊りする場所ではないか、なぜ自分達で掃除をしようとしないのかと・・・。そんなことを自衛隊員に平気でやらせる人達に怒りが込み上げてきた。原発事故はともかく、地震や津波は自然災害であり、誰のせいでもない。気の毒だが、被害者だからと言って、全て他人が、国が、助けなければならないということに、甘えてはなるまい。

 その反対に、歌手の長渕剛氏には感動した。被災地を慰問する傍らに、被災地にて支援活動している自衛隊の前線基地にも行き、隊員にも慰問を行なった。その際に、「本当に、ここに来たかったんだよ。来たかったんだよ。君達は、日本の誇りだ!」と、訴えていた。彼の男らしさ、その真摯な姿勢に感銘を受けた。歳のせいか、また目頭が熱くなった。

 世代が違うので、彼の歌を歌うことはない。数あるだろうヒット曲の中でも、曲と題名が一致するのは、ニ三曲程しかない。これからは彼の歌を覚えようと思う。CDも買おうと思っている。国防の第一線に立つ、自衛隊員を尊敬せずして、国家の安泰はない。そんな常識が、戦後、常識でない時代が永く続いてきたことに、日本の不幸がある。


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ひどい二日酔いに耐えて・・・。

2011-04-21 15:59:47 | インポート

四月十七日(日)晴れ。

 いやー、やっちゃいました。酷い二日酔い。酒の神様は残酷だ。昨晩、あんなに美味いものを食べて、傾城と傾国に酔っても、翌日は、不快感を土産に持たされる。

 家人や子供達の「何時に起きるの」という声を、すでに五、六回も聞いただろうか。そういえば、今日は、午後から子供達を、みなとみらいに連れて行く約束をしていた。子供達に手を、愚妻に背中を押されて、ようやく布団から出たのは十一時を過ぎていた。

 頭は、ガンガン、意識は朦朧、胃は痛い、足はもつれるで、まだ酒が抜け切れていない。朦朧とした意識の中に、昨夜の愚行と奇行が甦ってきて、余計に具合が悪くなる。水を一リットルほど飲んで、ヘロヘロしながら家族の冷たい視線を浴びつつ、ようやく着替えた。

 外は、良い天気。みなとみらいでは、大道芸をしていたが、皆が買い物をしている間、マックのコーヒーとエビフィレオで、ようやく朝食。話をするのも億劫だ。アウトドアーの専門店に行ってみたが、ランタン用のホワイトガソリンは、相変わらず入荷していない。機能の充実した良いテントがあり、食指が動いたが、これ以上愚妻の罵声に耐えられる体力は残っていない。泣く泣くあきらめた。

 早めに家に戻ってのんびり風呂にでも入ろうかと思ったが、時計を見れば五時過ぎ、慌てて自宅に戻る。夜は、小枝ちゃんと、アコちゃんの誕生日の食事会を井土ヶ谷駅近くの、焼き鳥屋「らいぶ屋」で行なう。女性陣が中心で、松本君、カメちゃん、私の三人は付き添いである。昨日、ご馳走になったヒデちゃんもご招待しようと思ったが、さすがに起きられず、布団に入ったままとのメールが入った。私より二十以上も若いのに、昨夜の酒が効いたらしい。還暦の私は、更にダメージが大きい。

 カメちゃんも昨日遅くて二日酔いだそうだ。具合が悪いのに根性で飲んで、早目に解散した。自宅に戻ったが、風呂にも入らず寝てしまった。こんなにきつい二日酔いは久しぶりの事だ。


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「たん右衛門」へ行ったぞ。

2011-04-20 21:39:53 | インポート

四月十六日(土)曇り。

 今日は、札幌社友会の石澤博文君の甥っ子で、我が家の近くに住む、大工のヒデちゃんが、下の子供の入学祝を、福富町の「たん右衛門」で開いてくれた。

 この「たん右衛門」は、私の好きなお店ベスト5のうちの一つである。オヤジは、薩摩っぽで、暖簾には島津藩の家紋をあしらっている。そういえば、先日、テレビの「ぶらり散歩」という番組にお店が出ていた。関内のホステスに紹介されてから、もう二十年以上通っている。といっても、最近は、肉料理が重たくなって足が遠のいている・・・。

 芸能人とも良く会った。有名なところでは、勝新太郎、ミッキー安川などの故人も良く通っていた。名前は知らないが、有名なサッカー選手や、野球選手など。当然、そういった人達が来るお店なので、あまり安くはない。知らずに、焼き鳥屋だと思って入ると、帰るときにオロオロする。実際に、そんな若い客を見たことがある。

 まず、私のコースは、馬刺し、さがり(ハラミ)、そしてメインの牛タン。もう少し食べたい時は、たん柱やつくねなどを焼いてもらう。余り飲めない人は、テールスープやテール雑炊、焼きオニギリなどを勧める。このお店は、以前は、「伊佐美」がレギュラーで置いてあり、私が始めて「伊佐美」を飲んだのもこの店でだ。さすがに、最近ではハウス・ボトルとは行かなくなり、様々な焼酎を置いてある。従業員も、ほとんどが知っている人ばかりなので、飲んでいて楽しい。

以前は、地方からのお客さんが続き、中華街での接待が飽きると、このお店に来たものだ。しかし最近では、前述のように、歳のせいもあって肉が重たくなったのと、懐不如意なので、あまり接待には使っていない。最近では、もっぱら接待されるほうである。もちろん今回も、ご馳走様。

 ここで、遅いからと、愚妻と子供を帰してから、ヒデちゃんと関内に転戦。馴染みの店を二軒転戦してから、仕上げはサリーの店に寄ったが、後で聞けば、「あんなに酔った蜷川さんを見たのは初めて」というくらい、ベロベロだったらしい。友人、先輩、後輩、馴染みのお客さんに迷惑かけて、有難う。久し振りの大破・轟沈の夜だった。

 ヒデちゃんにスペシャル・サンクス。


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