白雲去来

蜷川正大の日々是口実

貧乏すれど、わが家に風情あり。

2012-01-25 12:29:14 | インポート

一月二十四(火)曇り。

 自宅で仕事をしていて、曇ってきたので外を見ると、また雪が舞っている。まるで、私に「酒を飲みなさい」と誘いをかけているようだ。しかし、まだ陽が高いし、昼間から酔っていては、帰宅する家族に体裁が悪い。強い意志?で真面目に仕事をこなした。

 

 仕事先に、メールを送ろうとしたら、パソコンを新しくしたせいで、登録しておいたメルアドをコピーするのを忘れていて、送ることができなかった。事務所に行ってコピーしなければ。

 

 先日、調べものをするために事務所から昭和四十六年に発行された「右翼辞典」と平成二年発行の「右翼・民族派総覧」の二冊を持ってきた。北一輝、児玉誉士夫、野村秋介といった著名な人たちは別として、我々の陣営の中では有名な先輩も、一般に知られている人は少ないものだ。たとえば、今私が行っている紫垣隆邸で集まった人たちのプロフィール作りでも、中村武彦、毛呂清輝、山下幸弘などの人たちの正確なプロフィールを書くとなると、資料を探すのに苦労する。

 

 昨今流行のウイキペディアにもほとんど出ていない。古い資料に頼るしかないのだが、民族派の人名事典の必要性を痛感した。まあどこまでを民族派とするのか、人によって意見の分かれることもあろうが、せめて亡くなられた方たちの「人名事典」ぐらい作ることも、後輩としての責務であると思った次第。

 

 以前、「牢人の会」という会合で、先輩物故者の法要を行っていたが、その時に頂く、物故者の名簿の中に書かれている三分の一ぐらいの方が、どなたか分からなかった。これは何も私が不勉強と言うことではないだろう。お付き合いや、世代的な差などで知らなくとも不思議ではない。何人かの人たちと共同で、「民族派の理論書」や「人名事典」の作成を考えてみたいと思っている。

 

 夜は、雪は止んだが、酔狂亭で月下独酌。我が酔狂亭に来た人はご存じだと思うが、庭には、山があり、小川が流れていて風流である。ナニ、貧乏すれど、わが家に風情あり、質の流れに、借金の山。ですよ。呵呵大笑。


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休肝日、そしてひきこもり。

2012-01-24 19:43:43 | インポート

一月二十三日(月)曇りのち雪。

 

 早く寝たときは、当然早く起きる。子供たちをたたき起こして、二人分の弁当と朝食を作った。趣味と言えば、酒と読書と料理ぐらいしかないので、早く起きてさえいれば、料理なんかちっとも苦にならない。むしろ人が作ったものよりも、自分で料理した物を食べるほうが好きだ。

 

 朝食の後は、がぁーっと原稿書き。機関誌の方はどうやら今日で校正を終えて、明日印刷が出来そうだ。連載の原稿は、何とか今日中には上がりそうで、さすがに今日は休刊日として、真面目に仕事をした。

 

 天気予報では、深夜から雪になるという。雪国の人たちには、大変申し訳ないが、横浜などにいると、たまにの雪は、何か、この時期に神様がくれたプレゼントのような気がしないでもない。ある時期は、雪なんぞ見るのも、思い出すのも嫌だったことがあったが、その嫌だった頃の記憶も遠い昔のことになった。喉元過ぎればナントやらか・・・。

 真面目に一日原稿と機関誌の校正に精を出した。久しぶりの休肝日。一段落したのが、深夜の二時過ぎ。ちょっと外を見たら、雪が降っていた。

Img046※紀元節奉祝祝典の案内です。

 


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すごいブログを見つけた。

2012-01-24 13:21:06 | インポート

一月二十二日(日)曇り。

 日曜日だといっても、浪人の身では平日と何ら変わることがない。何か違うと言えば、家族が揃っているので出かけにくいということか。朝食後は、機関誌の編集と、連載させて頂いている原稿に向かった。

 

 悪い癖で、一段落すると、一杯やりたくなる。不機嫌そうな愚妻にばれないようにカメちゃんに電話すると、ちょうど友人が来て、自宅で鍋を囲んでいる最中とのこと。絶好のタイミングである。ご機嫌取りで愚妻も誘ってご相伴と相成った。

 

 手ぶらでは気が引けるので、「愛福楼」にて、蒸し鶏、豚の耳、上海焼きそば、餃子を出前する。カメ&アコちゃん宅へお邪魔するのは初めてである。盛り上がって、ワインや焼酎があっという間に空になった。その後、カメちゃん宅の近くにある、通称「ハーモニカ横丁」のスナックに転戦する。昭和の匂いの残る飲み屋が、こんな近くに軒を連ねてあるとは知らなかった。ママさん、と言っても私よりも三つ上の妙齢のご婦人は、何と誕生日が私と一緒。奇遇と、カラオケで盛り上がった。十時前に解散。いい休みとなった。後輩にスペシャルサンクス。

 

 最近、「ねずきちの ひとりごと」というブログのファンとなっている。例の「大凡荘」に集まった人たちのプロフィールを調べている時に、行き当たったのだが、ものすごい博学の方で、文章もとても上手い。良く勉強していらっしゃるし、私なんか足元にも及ばない。きっと真面目な方で、私なんか、「いつも酒ばっかり飲んで」と、きっと怒られるだろうな。私は、人物にまつわるエピソードが好きなので、とても参考になる。いやはや目からうろこのブログです。是非、読んでみて下さい。


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維新公論の勉強会に新年会。

2012-01-22 15:48:05 | インポート

一月二十一日(土)曇りのち雨。

 

 午後一時より、乃木神社にて犬塚博英氏が主宰している「維新公論会議」の勉強会があり、東京行き。沿線の火事で湘南新宿ラインが不通なので、横須賀線で品川まで行き、山手線に乗り換えて渋谷へ。銀座線で表参道、千代田線に乗り換えて乃木坂で降りた。

 

 小雨の中で、まずは乃木神社に参拝。将軍ご夫妻や、旅順攻略で戦死なされたご子息、さらには明治の人たちを想って参拝した。

 

 今回の勉強会のテーマは「女性宮家を考える」として、宗教ジャーナリストの斉藤吉久先生と中村信一郎先生、大原康男先生の三人が講演を行う。なんと、五時間もの勉強会である。犬塚氏が、この勉強会の開催に際して、事前に資料を整えてくれたりしたで、とても有難かった。

 

 あいにく、今日は六時より野村先生の奥様のお店で、一門の新年会がある。維新公論が決まる前からのスケジュールなので、最後に登壇する大原先生の講演は聞かずに会場を後にしたのが、少々残念だった。当然、講師の三人の先生は、「女性宮家」の創設」には、反対の立場をとる方々である。保守派と言われる人たちの中にも、女帝論や女性宮家の創設に賛成の立場をとる人たちがいる。その人たちは、当然ながら、ご皇室を敬愛し、真の意味でご皇室の将来を憂うるあまりに、女帝、女性宮家に賛成しているのだから、そこが難しい。

 

 斉藤先生は、「男系男子の伝統を絶やさない議論が先で、その議論を行わずに、女帝論や女性宮家を論ずるのは、本末転倒」と話された。正にその通りだと思う。また、宮内庁長官や職員に、尊皇論者が少ない最近の傾向について、「それは、そういった教育を受けずに、単に官僚や公務員となって宮内庁に来るので、仕方がない。たとえば、かつて創価大学を卒業したからと言っても、ほとんど就職先がなかった。そこで大学としては、公務員になることを勧めた。伊勢の皇学館大学も単に神職になることのみを求めずに、公務員試験を受けて、官僚となって宮内庁に入れば良い」(大意です)。なるほど。

 

 中村信一郎先生の講演が終了した時点で、ご挨拶をしてから途中退席した。六本木から地下鉄で恵比寿へ、横須賀線に乗り換えて新川崎まで。時間が早かったので、どこかでコーヒーでも飲んで暇をつぶそうかと思ったが、新川崎の駅前には、何もない。仕方がないので、早めに奥様のお店に行った。当然、一番乗りである。

 

 六時に、皆が集合。楽しい新年会となった。九時半に終了。志村馨君に送って頂き帰宅した。

Img039※大凡荘に集まった人たちの寄せ書き。柳原白蓮のものもある。(クリックしますと拡大します。)

 


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大凡荘の人たち。

2012-01-22 14:25:57 | インポート

一月二十日(金)初雪。

 

 早朝に目を覚まし、まだ薄暗い外を見ると、。野村先生の代表句、俺に是非を説くな 激しき雪が好き を思わせるような雪が舞っていた。横浜に雪は珍しい。何年かに一度、大雪、と言っても雪国の人たちに言わせたら、フンと鼻で笑われそうな積雪だが、それでも交通がマヒし、転んで怪我人が続出する。

 

 網走から帰ってきてからしばらくは雪を見るのも嫌だったが、二十年もの時が経つと、たまに降る雪を見ると、用事のないときは、昼間から雪見の酒とシャレるほどに、過去の記憶が薄れてきている。朝風呂に入って、お湯割りでもと思ったが、機関誌の編集や、自分の原稿にも手を付けなければならないので、ぐっと我慢をして、パソコンに向かった。

 

 午後に、アマゾンで注文しておいた「異風者列伝―近代熊本の人物群像」(井上智重著・熊本日日新聞社刊)が届いた。ちなみに「異風者」は、熊本の方言で「いひゅうもん」と読み、意味は、「変人、ひねくれもん」を表すそうだ。

 

 その本の中に、大凡荘の主人である紫垣隆の名前があって購入した。たった一人のことを調べるのには安い買い物ではないが、義務だと思って取り寄せた。私は、紫垣隆氏のご子息である達郎氏より、ご自宅での集合写真と寄せ書きをいただくまで、不勉強で紫垣隆氏の名前を知らなかった。また、氏に対する興味もさほどなかったので、調べようとも思わなかった訳だ。しかし、せっかく頂いた貴重な寄せ書きの掛け軸をそのままにしておくのは申し訳ないという思いから、写真に写っている67名の方のプロフィールを調べてみることにした。そして、それまでほとんど知ることがなかった紫垣隆氏についても調べてみようと思い立った次第である。

 

 本当は、図書館などで調べてみるのも良いのだが、読みたい本は手元に置いておきたいので、購入した。他に、紫垣氏が書いた「大凡荘余夜話」という本が五冊出ている。「天」「地」「乾」「坤」「龍虎」で、そのうちの「乾」と「龍虎」の二冊が手元にある。全巻ほしいので、アマゾンで検索したら、「葦書房」という書店から五冊と加筆した150枚を合作した「B5版」のものが、15000円で売られている。ハァーとため息が出る値段である。

 

 不思議なのは、私が持っているのはB5判の半分のサイズ、B6判である。おそらく加筆した際に新装版として出版したのかもしれない。安いものをコツコツ探すしかないか。

 夜は、雪見の酒と、張り切って肴を作った。

2_2※大凡荘に集まった67名の人たち。

3※人物紹介。井上日召、佐郷屋嘉昭、中村武彦、毛呂清輝、河上利治、影山正治、白井為雄、葛生能久といった維新運動の重鎮の方々が写っている。(写真をクリックすると大きくなります。)


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