白雲去来

蜷川正大の日々是口実

鶴岡八幡宮へ。

2012-01-16 08:25:36 | インポート

一月十四日(土)晴れ。

 

 良い天気である。朝食の折に、何気なく見ていたテレビで鎌倉の特集を行っており、その影響もあってか、出かけたくなった。正月に靖国神社へ初詣に行った際に、お札を収めるのを忘れていたので、古いお札を持って行くことにした。

 

 

 保土ヶ谷から鎌倉までは十七分で着く。本当は、北鎌倉で降りて、お寺巡りをしながらとも思ったが、出かけたのが午後だったので、夕方になって寒くなっては困るので、お寺巡りはあきらめて、直接鎌倉駅まで行った。土曜日とあって小町通りは、人で溢れていたが街並みや、お店が、何か原宿のように感じてしまうのは私だけだろうか。ほとんどのお店が俗っぽく軽い印象を受ける。その中でも、菊岡久利先生のお嬢さんのノンコさんエシナさんのお二人が経営している和紙の専門店「社頭」は、古都鎌倉にふさわしい数少ないお店である。お店に出ていたノンコさんに新年のご挨拶。

 

 

 その後、八幡宮に参拝。鶴岡八幡宮は神奈川県鎌倉市にある神社。武家源氏、鎌倉武士の守護神。鎌倉八幡宮とも呼ばれる。境内は国の史跡に指定されている。宇佐神宮、石清水八幡宮とともに日本三大八幡宮のひとつに数えられることもある。上の子の受験の合格を祈願した。

 

 参拝後に、再び「社頭」に顔を出し、封筒などを購入。お店の前の蕎麦屋で、「菊正宗」を冷で二杯飲んでから「もりそば」でしめた。

 夜は、カメ&アコちゃんの推薦のお店に行く。鉄板焼きのお店で、値段も安く美味しかった。後輩も合流して、地元の店に一軒転戦してから帰宅。


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きみまろではないが、「あれから二十五年」。

2012-01-14 11:36:27 | インポート

一月十三日(金)晴れ。

 

 いやはや寒い朝であった。まあこの時期では当たり前のことかもしれないが、日々の生活の中に緊張感がない分、ついこういった甘えが口をついて出てしまう。我ながら情けない。

 

 二十五年前の昨夜から、横浜には珍しく大雪が降った。明けて外を見ると一面の銀世界が広がっていた。一瞬、二・二六事件の決起将校が見守ってくれるような気がした。現場近くの公衆電話から野村先生のご自宅に電話。「ニイタカヤマノボリマス」。その日から四年余の囹圄を余儀なくされた。私はまだ三十五歳だった。

 

 

 時の経つのは早いものだ。野村先生も、安藤太郎氏も幽明境を異にした。いやお二人だけではない。親しくさせていただいた諸先輩や同志、友人の多くが亡くなられた。そして私は、昨年、還暦を迎えた。最近、ただ何となく生きている。という感がある。若いころのような情熱も失せて、文字通りの残りの人生・・・・のような気がする。

 

 

 もし人生の中で、一番良かったと思う時は、と聞かれたならば、私は間違いなく、あの事件にて三年余を過ごした網走での日々であったと、素直に答えることができる。これは決して強がりではない。あの時に、一歩を踏み出していなかったならば、私の人生は、無味乾燥なものになっていたに違いあるまい。独房で寒さに震えながら読み、書いた時間がなければ、たとえ小学生の作文に毛の生えたような文章も書けずにいたと思う。

 

 

 四つん這いになり、汗と土埃に汚れながら行った農作業の数々。冬の住吉農場での伐採作業や雪かき。そのどれもが今では懐かしい。自堕落な生活の中に身を置いていると、ふとその頃に戻りたいと思う時がある。この歳ではそんな重労働などできもしないが、「朝の来ない夜はない」と歯を食いしばって読書した日から、もう二十五年が過ぎたのか・・・。

 

 

 下の子供のリクエストで、みなとみらいの書店に行く。私は、吉村昭の「ポーツマスの旗」(新潮文庫)を買った。いわゆる司馬史観というものがある。言うまでもなく、司馬遼太郎氏の歴史観である。一口に言えば、幕末では、尊王攘夷派の人たちが正しく、佐幕派の人たちはをあまり評価しない。さらには、明治は正しいが、大正、昭和、特に昭和の軍隊を悪と考える歴史観である。この司馬史観の対極にいるのが吉村昭氏ではないだろうか。佐幕派の中にも、昭和の軍隊にも、正義はあり、評価すべき人たちがいて、そういった人たちにスポットを当てて、歴史小説を書いている。

 そんなことを意識したわけではないが、「ポーツマスの旗」を買った。この本は、網走時代に一度、官本で読んだが、手元にないので買ってみた。

 

 

 岐阜の細川院長からメールで「不随の病院王・トラオ」を読めと催促されているが、買って、読んでいない本が七冊ほどになったので、これをすべて読了してから購入するつもりでいる。

 

 夜は、愚妻が職場の新年会とやらでいないので、子供たちと一緒に、鳥の手羽の蒸し物、おでんを作って、一杯やった。その後、十二時過ぎまで、吉村昭氏の本に付き合ってもらった。


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はらわたの腐り止めとなる本。

2012-01-13 12:10:59 | インポート

一月十二日(木)晴れ。

 

 今日は、東京で打ち合わせがあるので、午前中から出かけた。保土ヶ谷から新宿までは、湘南新宿ラインで、約四十分。今朝は今年一番の寒さらしいが、車窓から入ってくる陽射しが気持ち良く、本を読んでいてもつい瞼が重くなる。

 

 

 現在読んでいる本は、小島直記の「人間・出会いの研究」(新潮文庫)である。私は、小島氏のファンで、氏の「伝記文学全集」を完読してしまうのが惜しいので、ちびりちびりと読んでいる。今読んでいる文庫は、再読のものだが、酒で頭が腐っているせいか、傍線を引いた部分の記憶が薄れていたので、移動用の本としてまた読み始めた。

 小島氏は、七十一歳の時に直腸がんの手術をし、その二年後に、別の癌が出来て再び入院、手術を受ける。そういった体調不良の中で、氏は、「鈴木大拙全集」全三十二巻を買い求めた。

 

 

 その時のことを、小島氏はこう書いている。「全三十二巻を読了するまでいのちがあるかどうかはわからないが、放射線治療の後遺症で低下した脳力、気力の回復を助けてくれればと思う」と。私は、この小島氏の本のように、「はらわたの腐り止め」としている本が何冊かある。また、他の小島氏の本では、「出世を急がぬ男たち」「逆境を愛する男たち」「回り道を選んだ男達」(いずれも新潮文庫)の三冊から様々な本を知り、とても勉強になった。本を読むということは、人を読むということと同義語だといつも思う。

 

 打ち合わせが終了したのちに、木村三浩氏と会いお茶。近々インドへ行くそうだが、すっかり世界を股にかける運動家となった。途中で、大行社の小針政人氏から連絡が入り、「久しぶりに一献」の誘い。それではと、横浜駅で待ち合わせ。行く先は、藤棚の愛福楼。しかし、時間が早かったせいもあって、開店前。仕方ないので近くの喫茶店で暇をつぶしてから再挑戦。

 

 愛福楼では、「蒸し鶏」「豚の耳」「水餃子」「茹でワンタン」「湯葉の春巻き」が定番料理となった。甕出しの紹興酒を二本空けた。そのうちにカメ&アコちゃんや最近知り合いになった方が合流。楽しい一献会となった。カメちゃんが、近くのなじみの店を予約してあるとのことで、そこに転戦。十時前に自宅に戻り、そのまま寝てしまった。最近は、飲むとすぐに眠くなる。


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外に出ることもなく、PCに向かっていた。

2012-01-13 10:10:37 | インポート

一月十一日(水)晴れ。

 七時に起床。朝食のおかずは、社友の斉藤義一氏の地元、千葉は千倉のお土産の「サバの文化干し」。もちろん大根おろしを添えた。それに香の物は、私手製の「ごぼうと人参の味噌漬け」。吸い物は、永谷園の「一杯でシジミ七十個分のちから」。最近はこれが必需品となっている。食後はNHKの連ドラ「カーネーション」を見てから、のんびりと新聞を読む。ああなんという老人、小市民的な朝か。こんなことで良いのだろうかと自問しつつ、外を見れば良い天気。歩こうかな、とも思ったが、寒さに意識が萎えた。

 

 九時からパソコンに向かって仕事。以前も書いたが、昭和二十九年の七月に、熊本の紫垣隆邸(大凡荘)にて行われた「宮崎滔天・民蔵、孫文追悼際」の前夜祭に集まった人たち六十七名を五十音別の表にして、プロフィールを作成中である。どんな人なのか分からない方が何名かいて、現在調べている。楽しい作業である。

 

 午後からは、新聞や雑誌の切り抜きをスキャニングして、パソコンにテーマ別に保存するという作業をようやく始めた。以前は、ノートなどに貼ってスクラップしていたが、がさばるので、パソコンに入れることにしたが、これが結構大変な作業である。私のスキャナーは、A4までしか入らないので、それ以上のものとなると、二つ折りにして二回に分けて取り込まなければならない。B4まで取り込めるスキャナーを専門店で見たが、うーん財布と相談してやめた。

 

 とりあえず、横浜に関する資料をスキャニングした。今日の朝刊に、「写真アルバム・横浜市の昭和」という本の宣伝チラシが入っていた。三月中旬発売で9900円。一万円は高いが、資料用にと予約をした。夕方から、連載原稿の準備。今回は、「食を読む」というものを書いてみたいと思っている。

 

 夜は、入浴後に、簡単なつまみを作って、軽く飲んだ。考えてみたら、今日は外に一度も出なかった。まあたまにはこんな日もあってもいいか。


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「アジアは一つ」などと言うのは、感傷か幻想である。

2012-01-11 15:26:45 | インポート

一月十日(火)晴れ。

 朝起きて三人分の弁当を作った。家族が皆出かけてしまうと当然ながら一人になる。浪人の身としては、ただぼうっとしてはいられない。食事の後片付けに、掃除に洗濯(ほんとです)それから、パソコンの前に座ってメールなどのチェック。さすがに新しいパソコンだけにサクサク動いて画面もきれいである。

 

 ひと段落したところで眼科に行く。今年になってから、どうも目の充血がとれない。もともと結膜炎になりやすい体質なので、年に二三回は眼科通いとなる。その後事務所へ行き、古いパソコンをセットしたり、郵便物の確認などをしてから帰宅。

 

 何のテレビかは忘れたが、興味深いものを放送していた。それは、道端で抱えている果物を落としたら何人の人が一緒に拾ってくれるかというものである。日本やイタリア、南米にアメリカ。一つの国で二十回果物を落として実験するのだが、外国では、フレンドリーなお国柄かイタリアが二十回のうちに十二回拾ってくれた。一番最低だったのは、中国で、わずか一回のみ。ちなみに日本は、二十回のうちにすべて歩いている人たちが手伝って拾ってくれた。

 

 

 我が国は、近隣諸国に気を使うが、近隣の国は、日本にとんと気を使わないことが良く分かる。「アジアは一つ」なんて言う言葉は、単なる少女趣味の感傷に過ぎないことを私たちは知るべきである。人さらいや、自分のものは自分のもの。人のものも自分のものと主張する国や、火事場泥棒、脅迫を平気で行う国と人たちに囲まれているという現実を、自覚したほうが良いと思うのは私だけではあるまい。

 

 夜は、東京から友人が来訪して、久しぶりに野毛で飲んだ。三軒転戦してから十時過ぎに帰宅。


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