白雲去来

蜷川正大の日々是口実

老けた自分の顔におののくことがある。

2012-03-22 12:07:15 | インポート

三月二十一日(水)晴れ。

 良い天気である。しかし、四年前ぐらいから突然花粉症になってしまい、この時期はかなり辛い。考えてみれば、日本中で花粉症に悩む人が大勢いるにもかかわらず、国は、何の有効的な手段を用いようともしない。早い段階で、杉の花粉を切ったり、切っても札使えない杉の木を間引きするくらいのことができないのだろうか。震災の復興もそうだが、全く政府は無策で無能な連中が集まっている、としか思えない。

 

 復興庁なんかも霞が関におかないで、それこそ十年、二十年と言った復興になるのだろうから、福島か宮城県に復興庁を置いて、権限を任せてしまう。非常時なんだから、余り過去の条例や法律に縛られないように迅速にことを進めるべきではないか。恐らく、そう思っている人が多いと私は思う。

 

 瓦礫の処理を他府県に依頼することも大切な「絆」かもしれないが、将来的に使うことのできる大型の処分場を東北に作って、産廃処理のモデル地域とする。そうすれば雇用の促進にもむなると思うのは、私のような素人の考えでしょうかねェ―。

 

 そうそう、今日で満六十一歳となった。早生まれだから六十二歳の人と同級生である。あーあ六十一かよー。自分では、若いつもりでいるが、立派な爺だ。ふと鏡に映った自分の顔を見ると、歳は隠せない。本当に老いた自分がそこにいておののくことがある。しかたないか。

 

 今日は、大行社の幹部会議で東京行き。一時半から会議、役員の一人として挨拶をさせて頂いた。終了後、田町駅にて友人と待ち合わせ。お茶でもと思ったら、隣に一杯飲み屋が店を開いていたので、誘われるように入ってしまった。昼間なのて、余り酔わないようにと軽く飲んでも、気が付けば二時間ほど。自宅では、家族が待っているので、最大戦速で帰宅した。

 子供たちが、あんこ入りのパンケーキを作って、私の誕生日を祝ってくれた。久しぶりに家族で清水苑にて食事。途中、社友の松本佳展君が、小枝ちゃんとの誕生日プレゼントを届けてくれた。前から飲みたかった「一粒の麦」が三本。これは凄い。小枝ちゃんからはGAPのTシャツにパンツに靴下。そして、「フクイのカレー」で有名な社友の福井さんからは、大好きな「味噌煮込みうどん」と「しるこサンド」が届いた。有難うございました。

Dscf4308※小枝ちゃん有難う。勝負パンツにします。勝負と言ってもロト6ですが。

 

Dscf4306_4※「一粒の麦」と沖縄に行った際に友人から頂いた島酒。日曜日には、「酔狂亭」を開店しようかなぁー。

 

 

 

Dscf4299※福井さん有難うございました。

 

Dscf4301※子供たちが作ってくれた。あんこ入りのパンケーキ。本当は自分たちが食べたかったんじゃないの。


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それでは男がスタルヒン。

2012-03-21 10:51:10 | インポート

三月二十日(火)晴れ。

 

 今日は、午後一時より中華街で古い友人の激励会がある。少し歩こうと思って、久しぶりにバスに乗って、曙町まで行き、中華街まで四十分ほど歩いた。コートも要らず散歩にはちょうど良い暖かさである。

 

 中華街は人でにぎわっていた。根気が良いのか暇なのか分からんが、お店に列を作って並んでいる。店は他にもあるのにご苦労なこった。最近は、「食べログ」などと言った、食通を自認しているテイノウ人たちの、身勝手なコメントを信じて食べに行ったりする軽薄な連中が多いそうだ。良識のある人たちは、ばっかじゃなかろうかルンバ。と笑って見ている。

 

 結果、地元の人たちが、まず行かないような店に並んでいる。中には、歩きながら「肉まん」を食べているバカップルも最近良く目にする。お里が知れますぜ、まったく。

 

 以前、中華街の馴染みの店に行ったら、隣に座ったカップルの男の方が、知ったかぶりをして、連れの女の子に「この店の、焼きそばは絶品なんだよ」と言っていた。それを聞いた、友人の店長が、ニガ笑いをして、私に、「焼きそばなら、ガード下にあるような店の方が、よっぽど美味いよ」と小さい声で私に囁いた。せっかく中華街に来て、夜の大事な一食を、焼きそばと焼売で済ませるなよ。お兄ちゃん。と思ったが、まあ関係ないからね。

 

 一時から、始った会で、止せばいいのについ飲んでしまった。終わったのが二時半。外に出てみれば当然、真昼間。太陽がまぶしい。このまま自宅に帰ったのでは、男がスタルヒンと決めて、カメちゃんに電話して、藤棚の「大千居」で一杯やろうということなった。大工のヒデちゃんも合流して、麦焼酎を一本空けた。その後、ヒテちゃんの知っている焼き鳥屋に転戦したが、もうあまり記憶にない。どうやって帰ったのか分からぬままに、気が付けば家で寝ていた。

 

 そういえば、昨日、社友のYCCの若大将こと、善ちゃんが自宅に来て、誕生日のプレゼントと言って、とてもおいしい「イチゴ」を届けてくれた。有難うございます。

Dscf4293※善ちゃん。有難うございます。

 


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たかが洋服屋の開店に、朝から並ぶ馬鹿。

2012-03-20 09:42:12 | インポート

三月十九日(月)晴れ。

 目を覚ました時には、愚妻と下の子供は家にいなくて、上の子供と二人で朝食。沖縄で、食堂の「おばー」から教わった「かちゅーゆ」を作った。早い話が、かつおだしの味噌汁である。昨日漬けた「島らっきょう」が、まだ浅漬けだがおいしく漬かっている。そしてアコウ鯛のカス漬けで朝食。

 

 食後は、仕事。午後から、肺炎で入院している藤巻強氏を見舞う。肺炎と聞いて、当初は風邪をこじらせたぐらいにしか思わな方が、かなり重症だったらしい。いまだに熱が下がらず苦労しているとのこと。病院で一時間ほど。その後、事務所に寄り郵便物のチェック。今月の三十一日に青山墓地において行われる、朝鮮の志士、「金玉均先生墓前祭」の案内状が来ていた。私も呼びかけ人の末席を汚しているので出席の予定。

 

 今日は、六時から、古い付き合いの友達と会う約束をしていたが、夕方になっても連絡がないので、こちらから連絡すれば、「仕事が長引いて、行けそうもない」。おいおい、相談があるので、会いたいと言ったのは、そっちじゃないの。駄目なら、もっと早く連絡しろよ。むかっとしたが、別に、こちらは会わなくとも痛くもかゆくもない。こちらには、用事はないのだから。怒ると、しばらく気分が悪いので、頭を切り替えて、自宅で家飲。ちょうど、友人から頂いた、ワインがあるので、愚妻とペロッと空けてしまった。

 

 そういえば、銀座にユニクロがオープンし、アイパツドの新型の発売日と重なって、多くの人たちがオープン前、それも気の早い人は前日から並んでいたと、ニュースで見た。まったく、こいつらは何を考えているのだか・・・。そんなものを買うのに、前日から延々列を作って買い求める連中の気が知れない。翌日だって品物はあるだろうし、大体、急いで買わなければならないような物なのか。たかがユニクロ(失礼)の服ではないのか。金があろうが、無かろうが、心まで貧しくなってはいけない。そう注意するする人が、周りにいないのだろうか。

 

 家族連れで、回転寿司へ行って食事し、赤い看板の居酒屋で酒を飲み、ユニクロなどの服を着て・・・それが普通だと思っている人たちの何と多い事か。まるで、ブロイラーが餌をあさる姿と同じではないか。そう言う、あたしも古い人間なんでしょうかねェ―。


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お墓参りに。

2012-03-19 12:00:37 | インポート

三月十八日(日)曇り。彼岸の入り。

 七時に起床。家族で朝食ののちに伊勢原へ。すでに大悲会の小森正春君が先生のお墓の掃除を済ませて、帰路につくとの連絡か入った。大悲会は、毎月必ず先生のお墓の掃除に行く。とりわけ最近は小森君が専属で掃除を行っている。心を学ぶのも門下生の道でもある。

 珍しく、横浜は霧が出た。私が若い頃。昭和四十年代だが、春から夏にかけて良く霧が発生した。その霧が港から関内まで流れてきて、それに汽笛などが聞こえると、横浜で生まれたことを何か誇らしくなったものだ。まるで日活映画の主人公になったような気にもなった。東名高速でそんなことを思い出しているうちに伊勢原の浄発願寺に着いた。

Dscf4278※霧の第二国道、ではない東名高速。

 浄発願寺は、野村先生がお墓を建てた二十年前頃は、ほとんど訪れる人もない、山間の静かな古刹だったが、墓地を分譲した分、今日のような彼岸の日は、駐車場は満員で、臨時の交通整理の人が出ていた。正に隔世の感がある。ご住職にご挨拶をして、野村先生のお墓と、私の両親のお墓を掃除してからお参り。

 帰路に海老名のSAに寄るが、まあリニューアルしたことは聞いていたが、まるでアウトレットモールのようになっていた。食堂、いやレストラン街で、食事をしたが、可もなく不可もない、まるで現代の日本人のような、のっぺらぼうな味しかしなかった。伊勢佐木町の有隣堂に寄ってから帰宅。

 市場に勤めている隠岐康氏の後輩であるT君から「島らっきょう」を送って頂いた。沖縄で買って帰ろうかとも思ったが、タイミングが悪く、買うことができなかった。そこでT君にお願いして、送って頂いた。大量の「島らっきょう」の土を落とし、薄皮をむいて下処理を済ませてから、塩漬けした。二三日で食べられるようになるそうなので、楽しみである。

 夜は、「いいちこ」をやりつつ、今日買った、文芸春秋の三月臨時増刊号の「3・11から一年。100人の作家の言葉」を読んだ。その感想は後日に。


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今、野村先生の言葉を思い出す。

2012-03-18 15:42:31 | インポート

三月十七日(土)雨。

 朝から雨。暖かいのか寒いのか、全く分からん。自宅でお世話になった方たちにお礼の手紙や、機関誌の準備をしているうちに午後。三時に知人と約束をしていたので関内へ。仕事の相談を受けるが、とても私のような浪人風情には手のおえるような案件ではなく、何の役にも立たず、ただお話を聞くだけで終わってしまった。世間から「右翼」などというレッテルを貼られているせいもあってか、時々、今日のような仕事の相談を受けることがある。お世話になった方の紹介や、あるいは古い知人であったりするので、一応はお会いするが、到底、私などが口をはさむような話ではないことが多い。だから年中ピイピイしているが、まあ考えてみれば趣味で貧乏をしているのだから文句の言えた義理ではない。

 

 金などからきし無いが、財産と言えば友に恵まれていることだけか。現役でいられるのは後十年ほどだ。限られた時間の中で、気の合う人たちだけと会うのが精神衛生上最も良い。酒、米、肴と、社友や読者の皆さんがいなければ、とっくに飢え死にしているかもしれない。感謝しなければ。

 

 夜は、早めに風呂に入って、牛筋の煮込みを沢山作って酒の肴にした。それでも、今日は、ほんの少しだけ飲んで、DVDを二作品見た。「提督の戦艦」というロシアの戦争映画。と言うよりも、ロシア革命で翻弄される男と女のメロドラマ的な作品だったが、中々良かった。もう一本は、「マイ・ボーイ・ジャック」。これには「ハリポタ」の男の子が主演していた。第一次世界大戦の中の家族のドラマなのだが、これも良かった。

 

 いい映画、いい本。そして美味い肴に酒。さらに良い酒友がいれば、人生はバラ色である。今、日本人は有史以来の発展と繁栄の極みの中にいる。その繁栄や豊かさを維持するために、国は千兆もの借金をしてきて、さらに借金を重ねようとしている。原発がなくなると日本の工業界は打撃を受けると言うが、それならば、工業界に電気を優先すれば良い。夜中にやっている下らん通販のテレビや、番組をやめて、十二時以降にテレビを見たい人には有料とすれば良い。町もまだ明るすぎる。コンビニだって二十四時間営業している必要があるのか。パチンコ屋にも定休日を義務付けたら良い。私たちが享受している、この「豊かさ」は、きっと何かを犠牲にしているに違いあるまい。

 

 昨年の震災で、自宅に被害を受けた方々には、非常に申し訳ないが、「液状化現象」で傾いた建物をニュースで見たときに、頭に浮かんだのが、野村先生が、生前に常日頃口にしていた言葉だった。それは、「戦後の日本の繁栄とは、『砂上の楼閣の上に築かれた、魂無き繁栄である』」。野村先生がご健在であったならば、きっと原発に反対していたと確信している。「友よ山河を亡ぼすなかれ」と。


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