白雲去来

蜷川正大の日々是口実

静岡へ。

2012-03-17 18:44:57 | インポート

三月十六日(金)晴れ。

 朝食後は、「カーネーション」を見ながらコーヒータイム。その後は、パソコンでメールのチェックや原稿の用意。

 

 今日は、新横浜発、午後三時二十二分の「ひかり」で静岡へ行く。五時から、元連合赤軍兵士の植垣康博氏と「実話時報」の仕事で対談をする。今年は、例の連合赤軍事件から四十年と言う年である。二月には、慰霊の会が行われたと言う。私と植垣さんとは、当然寄って立つ立場は違うが、一時期、東京拘置所で過ごしたことや、世代的な共感がある。

 

 五時前から植垣さんが経営するスナック「バロン」にて、「連赤」「震災」「原発」等について、約二時間ほど対談をした。印象に残ったのは、植垣さんは、「現在の大学と学生は、大学を『学問の場』としているのではなく、単に就職のための通過点としか考えていない」と話していた。まったくその通りだと思う。

 

 終了後は、お店でお疲れさん会。お店を手伝っている女性の料理(美味しい)を肴に「二階堂」で盛り上がった。八時三十五分の「ひかり」で帰宅。新横浜駅から地下鉄に乗ったが、寝過ごして駅を二つオーバーしてしまった。自分をののしりつつ、ようやく帰宅。


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安着祝い。

2012-03-17 18:31:01 | インポート

三月十五日(木)晴れ。

 六時起床。風呂に入ろうかとも思ったが、荷物の整理をしなくてはならず、専念した。私は、旅に出るとどうも荷物が多くて困る。もっと簡単にしようかとも思うのだが、心配性なので、あれも、これもとつい持って行く物が増える。旅慣れているはずなのに、この荷物の多さに我ながらいつも閉口する。

 

 やはり頭を痛めたのは「Uボート」のプラモ。ホテルから送ろうかと思って料金を聞いてみたら、何と五千円以上もする。あきらめて空港預けとした。八時半にホテルを出た。旅も終わってしまえばアッと言う間だ。空港までは二十分ほど。手続きを済ませてから、空港のいつものレストランで「朝定食」。十一時の飛行機で、羽田へ。フライトは順調で、五分ほど遅れた程度で羽田着。隠岐氏と別れて、松本君と一緒に横浜へ。

 

 自宅に着いたのは、二時過ぎ。上の娘が出迎えてくれた。荷物整理をしていると、今日の夜に、東京の友人と待ち合わせていることを思い出した。当初、関内で待ち合わせをするつもりだったが、背広に着替えて出かけるのがめんどうなので、待ち合わせ場所を自宅の近くに変更した。

 

 藤棚の「愛福楼」にて、いつもの中華料理。途中から、カメ&アコちゃんも参戦して、文字通りの安着祝い。それでもさすがに疲れていたので、一時間ほどで解散して自宅に戻った。


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沖縄でUボートを買ってしまった。

2012-03-15 16:44:57 | インポート

三月十四日(水)曇り。那覇にて。

 

 皆で早朝のウオーキングの約束をしていたが、外は曇りで、傘をさしている人もいる。断念して、持って行ったパソコンでブログを更新したり、備忘録をつけたり、撮った写真の取り込みを行うなどホテルの部屋でのんびりした。

 

 十一時半に、金城薫君に迎えに来てもらい、昼食は、前回来た時に行った「すーまぬめー」へ。このお店の名前は、「潮間家の前」だから方言で「すーまぬめえ」。沖縄そばと、テビチそばが絶品ですぞ。このお店に、沖縄の我那覇さんや林さんと言った地元の方たちが合流。食後は護国神社を参拝。

 

Dscf3510

 

Dscf3505※こんな感じの料理です。

 

 

 その後、子供たちへのお土産を買いに「ジャスコ」へ行ったり、隠岐康氏のリクエストで、「マンガ倉庫」という、おもちゃや、プラモ、フィギアなどが大量に展示してあるお店へ行く。ここで目にしたのが特大の?アメリカ製のUボートのプラモ。箱の長さだけでも一メートルはある。どうしようかな、どうしようかな、と悩んでいるのを隠岐、松本両氏に見られ、「後悔しますよ」「心残りは体に悪いですよ」などと散々空気を入れられ、結局は買ってしまった。

Dscf4275※ティッシュの箱と比べてみて下さい。でも女房にグズグズ言われるだろうなぁー。怖いなぁー。

 一度、皆さんと別れて、ホテルに荷物を降ろしてから、国際通りを歩き、公設市場や農連市場を歩き、昨日、隠岐さんが行かなかった「花城食堂」に寄ると、店は閉まっていたが、運よくおばーがいたので記念写真を撮った。

Dscf4257_2※「花城食堂」にて。

 その後、ホテルに戻り一休み。夜は、松山と言う所にある焼肉「華」にて、金城薫ご夫妻と共に夕食。食後は、沖縄の同志、新垣和彦氏や他団体の人たちと懇親会。十時過ぎにホテルに戻った。

 


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花城食堂、嶺吉食堂にチャーリータコス。

2012-03-14 09:24:05 | インポート

三月十三日(火)晴れ。那覇二日目。

 朝八時にホテルのロビーで隠岐、松本両氏と待ち合わせて国際通りに出てウォーキング。隠岐氏はランニングに出ると言って早朝の街に颯爽と消えていった。朝の遅い国際通りはまだほとんど店が開いていない。沖縄通の林史人氏に来ていただき共に朝食を食べに行く。林史のお勧めの店は、映画「なだそうそう」にも出てきた農連市場の中の「花城食堂」。

 

 ここで、私は味噌汁。松本君は「ゴーヤチャンプル」の定食。沖縄は、「味噌汁」といっても具が豊富で、必ずご飯がつく。昼に、沖縄に来ると必ず顔を出す「嶺吉食堂」に行くので、ここは軽めの朝食とした。お店のオバーが、二日酔いに良いと、「カチューユ」を作ってくれた。「カチーユ」とは、沖縄で売られている「血合いのついた鰹節」で出汁をとる味噌汁だが、その鰹節の出汁が体にいいらしい。近所のお店で、その鰹節を買った。

Dscf4205 ※ディープでチープな「花城食堂」でした。

 

 国祭通りに戻ると、チラホラと店が開いている。行くときに気になった沖縄の「塩」の専門店に寄った。店内には「塩のソムリエ」がいて様々な塩について説明してくれる。何しろ世界中の塩が何百種類もあるのだ。我が家用に何種類かの塩を買って店を出た。このお店、正しくは「塩屋(まーすーやー)」。

 

 ホテルに戻り、金城薫君の紹介の観光バス会社の方と打ち合わせ。その後、昼食をとりに那覇港近くの「嶺吉食堂」へ。ここで、お世話になっている地元の我那覇光太郎氏とさきほど一緒だった林氏、そして沖縄独立党の屋良氏らと合流。昼間ではあるが「テビチ汁」と「煮付け」を肴にまず乾杯。

Dscf4215 ※「煮付け」とても一人では食べ切れません。

Dscf4216 ※「テビチ汁」。これにご飯がついてくる。沖縄での楽しみのひとつでもある。

 

 食後は林史の案内でコザへ。ベトナム戦争の頃は賑わっていたコザの町も、今ではシャッター商店街と化している。これでこの町の人たちはやっていけるのだろうかなどと、余計な心配をしてしまう。ここで懐かしいお店を見つけた。「チャーリータコス」だ。このお店に来たのは、確か二十年も前のことだ。懐かしさの余り皆と入って一休み。

Dscf4235 ※チャーリー・タコスの前で。

 

 その後、嘉手納基地などを見学してホテルに戻った。一休みしてから、六月の訪沖の際に、皆で夕食をとるお店を調査し、予約をした。松山という場所で夕食をとってから一軒転戦して、隠岐氏のリクエストで農連市場の「丸安そば」にて夜食の「ソーキそば」を食べてから、三人で「さすらい」を歌いつつ歩いてホテルへ。

Dscf4243 ※「丸安そば」で食券を買う隠岐氏。なにやら訳ありの思い出があるらしい。感傷に浸っていた。


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沖縄へ。

2012-03-13 18:02:18 | インポート

三月十二日(月)晴れ。

 昨日、古い門下生で沖縄に在住の金城薫君から電話が入り、「蜷川さん。沖縄は寒いですよ。私なんかは、長袖にジャンパーを着ています」。とのこと。私が、寒いって、何度くらいあるの?と聞けば、「最低が、十四度で、最高が十八度位です」。これには笑ってしまった。横浜では十八度では、ワイシャツ一枚で十分である。暑い日常に慣れている沖縄では、寒いと感じるのだから、日本は狭いようで広い。

 

 朝、松本君に迎えに来てもらい羽田へ。十一時に空港で隠岐康氏と合流。十一時四十五分のJALにて一路沖縄へ。今年は、沖縄の祖国復帰四十年という節目の年である。五月十五日の復帰の日にあわせて沖縄訪問を予定していたが、五月十五日は、昭和七年の五・一五事件から八十年という年でもある。岐阜の護国神社にて追悼集会があり出席の予定でいる。したがって沖縄の祖国復帰の記念行事を六月に延期した。

 

 今回の訪沖は、その準備を兼ねて現地の方々との打ち合わせや、バス会社、記念式典会場の下見など、現地調査が目的である。

 

 飛行機は、一時間遅れで那覇空港着。空港には、金城薫君が待っていてくれた。久闊を叙して、とりあえずホテルへ。今回の宿は、国際通りの中心にあるDホテル。最近出来たばかりという新しいホテルである。荷物を降ろしてからお約束の平和通りの中の観光市場で安着祝いを行う。

 

 夜七時、産経新聞の那覇支局長の宮本雅史氏と合流して、沖縄料理の店へ。その後、古い同志の新垣和彦氏らも合流。六月の訪沖の打ち合わせを行う。「島酒」や沖縄料理に酔い、新垣氏の馴染みのお店に転戦。さすがに疲れていたので、十二時に解散。

Dscf4176 ※いつも視線が釘付けになる。

Dscf4188 ※沖縄料理の店にて。左から、宮本氏、隠岐氏、新垣氏の門下生、蜷川。


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