白雲去来

蜷川正大の日々是口実

大震災から一年。

2012-03-13 07:56:01 | インポート

三月十一日(日)晴れ。

 久しぶりに太陽が顔を出した。静かな休日である。めずらしく家族全員が何も用事もなく、自宅でそれぞれ、思い思いのことをしている。

 

 あの大震災から一年。不幸にも亡くなられた多くの方々に、国民のすべてが哀悼の意を表しているに違いない。我が家も、二時四十六分に家族で黙とうを捧げた。ご病気が全快していないにもかかわらず追悼集会にご出席なされた陛下の国民を思う気持ちには、ただ恐懼するのみ。

 

 朝食後は、名古屋女子マラソンを見る。オリンピックの出場選考会とはいえ豪華な選手が出ている。誰が勝ってもおかしくないし、皆オリンピックに出してあげたい。そんな私の感傷をよそにスタート。個人的には、三井住友の渋井陽子が好きだが、第一生命の尾崎にも勝たせてあげたい。手に汗握る、とはまさに今日のレースを言うのだろう。見ごたえがあった。ゴール手前で、尾崎が日本人一位で入った。これで、オリンピックの出場は間違いないだろう。

 

 夜は、明日からの沖縄行きの準備。準備をしながら軽く一杯やって、早めに寝た。


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新橋で宴会。

2012-03-11 14:52:31 | インポート

三月十日(土)雨。陸軍記念日。

 

 大磯に本部を置く、大日本殉皇会の小早川貞夫先生がご健在の頃は、先生が主催していた、陸軍記念日奉祝大会が大磯の八坂神社にて行われ、参加していた。その頃が懐かしい。この行事は、神奈川県維新協議会の同志の人たちによって続けられている。

 

 朝から、高校の説明会に行くという愚妻を学校まで送って行った。帰宅後は、「大吼」の最終校正。校了した。夕方までパソコンの中身の整理。こういった作業をしている時が楽しい。

 

 五時から、新橋の新橋亭という中華料理屋にて行われる長谷川光良氏のなにやら「出所五周年」などという宴席に出席。四十名程か。大行社の周本昌山氏、内川氏、村田氏や鈴木邦男、木村三浩の両氏、山平重樹氏、鹿島政晴氏、青年思想研究会議長の緒方孝名氏などと同席。途中、挨拶を述べる。

 

 七時過ぎに終了。横浜駅で下車し。関内行き。久しぶりにサリーの店へ。偶然に、カメ&アコちゃんも来訪。終了後は、「うさぎや」へ。十二時過ぎに帰宅。

 


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卒業式。

2012-03-11 14:28:44 | インポート

三月九日(金)雨。

 

 今日は、上の子供の卒業式である。先に愚妻に席を取りに行ってもらい、九時からの式に間に合うように家を出た。講堂は卒業生とその保護者で一杯である。式が始まるとまず国歌君が代を斉唱。厳粛な気持ちになる。次は、森鴎外作詞の「横浜市歌」である。青森出身の愚妻は、当然この歌を知らない。私は、小学生の頃から歌っているし、浜っ子として、この郷里の歌が大好きである。

わが日の本は島國よ 朝日輝ふ海に

連り峙つ島々なれば あらゆる國より舟こそ通へ

されば港の数多かれど 此横浜に優るあらめや

むかし思へば苫屋の烟 ちらりほらりと立てりし處

今は百舟百千舟 泊る處ぞ見よや

果なく榮えて行くらん御代を 飾る寶も入り來る港

 

 私は、様々な所に旅して、港のある町へ行くたびに、「横浜市歌」の一節、「されば港の数多かれど、この横浜にまさるあらめや」が脳裏に浮かぶ。

 

 男の先生の、紋付き袴姿が多いのには驚いた。校長先生はじめ登壇するほとんどの人たちが国旗に頭を下げたが、ただ一人PTA会長と言う女の人だけが無視をした。この共産党の市議に日本を愛する気持ちがあるのだろうか。唯一、嫌な気持ちにさせられた。

 

 また、時代の流れなのか、「仰げば尊し」や「蛍の光」などの名曲が歌われないのも、寂しい思いにさせられた。何の理由があって、百年以上も歌われてきた名曲を子供たちに教えないのか・・・。少しずつ国が壊れて行くような気がする。

 

 夜は、上の子供と、子供の同級生をと一緒に家族で、「お好み焼き」で卒業祝いを行った。

 

 

 


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新潟県知事、市長、新潟マイホームセンターは売国(土)か。

2012-03-10 15:09:06 | インポート

三月八日(木)曇り。

 道の先輩である岐阜は大夢館の花房東洋先輩が、自伝「大愚記」(私家本)を出版することになり、頭山興助先生より、発行に寄せて何か書いて下さいと手紙を頂いたのが昨年の六月の事だった。日々の酒で腐った頭の中から、そんな大事なことが発酵したまま蒸気と消えた。

 

 今月の三日に、一水会の木村会長にお会いした時に、「書きましたか?」と聞かれ、例によって「何?、何、何?」の始末。「花房館長の自伝に寄せる文ですよ」。「みなさん書いたらしいですよ」。これには慌てた、事務局となっている「月刊・日本」の坪内編集長に電話して、ぎりぎり大丈夫だということなので、急いで書いた。書き上げてホッとしていると、カメちゃんから電話が入り、「一杯やりませんか」。断るわけがない。愚妻に送って貰い、昨日に引き続き「やまと」へ。アコちゃん、ヒデちゃんも一緒。しばらく飲んでから、近くの「一休寿司」に転戦。十時過ぎに帰宅。

 

 そういえば、今日の産経新聞の朝刊に櫻井よし子さんが衝撃的なことを書いていた。それは「恥ずべき国土売却」というタイトルで、新潟県庁から徒歩数分の一等地に中国が4500坪もの土地を取得する予定でいるとの記事である。その土地の名義は「新潟マイホームセンター」。中国は、外国人に土地の取得を認めていない。それならば、我が国も同じようにすべきである。この狭い国土が、このままでは、中国資本に買いあさられてしまう。新潟の土地を中国に売却することを許可した、泉田裕彦知事や篠田昭新潟市長は、正に売国奴、土と言うべきである。また、土地の名義人である「㈱新潟ホームセンター」の代表者に怒涛の抗議活動をしよう。私も、今月の大行社の幹部会議で提案するつもりである。


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特攻戦死した方の絵葉書が・・・。

2012-03-10 14:48:46 | インポート

三月七日(水)雨。

 

 仕事が一段落して、家族と一緒に買い物に出かけた。と言っても夕食の際の晩酌の肴を仕入れに行った。吉田町の「梅や」で、京都の鴨を買って、あぶり焼きにしてゆずこしょうで一杯やろうと、仕込みをしていたら、友人から電話。「あのぉー井土ヶ谷駅で六時から待っていますが・・・。」ん、ん、?。何かあったの、と聞けば、「今日、蜷川さんと六時に待ち合わせの約束ですよ」。がぁーん。スマン、スマン、オスマンサンコン。とすっ飛んで駅へ。

 

 水曜日は、行きつけの寿司屋は二軒とも休み。仕方がないので、「やまと」に行った。ここでしばらく飲んでから、「愛福楼」に頼んでおいた紹興酒が入ったと連絡があったので、転戦して、一本空にしてから帰宅。

 

 随分前に、友人が主宰している骨董市場で買った古い絵葉書の束。最近、暇を見つけては、眺めているが、その中に、戦前の挑戦の絵葉書が何組かあった。朝鮮の名勝地、金剛山や「平壌」(ピョンヤン)のものがあって、興味深かった。また、「仙台の方言」という絵葉書には差出人の名前があって、それには「松島海軍航空隊、予備学生舎」在の田代満男さんの署名があった。予備学生と言えば、学徒出陣した方だろう。ネットで調べてみたら、沖縄戦で特攻戦死した人に、同姓同名の名前があった。恐らく、その方に違いあるまい。ご遺族がご健在ならば、ご返却したいと思っている。

Img598_2※クリックすると大きくなります。

 

 

Img598

 


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