白雲去来

蜷川正大の日々是口実

忘年会のはしご。

2012-11-26 11:48:55 | インポート

十一月二十三日(金)晴れ。新嘗祭。

 

今日は、新嘗祭。起床後に玄関に日の丸を掲げ皇居を拝する。新嘗祭(にいなめさい、にいなめのまつり、しんじょうさい)は宮中祭祀のひとつ。大祭。収穫祭にあたるもので、十一月二十三日に、天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に進め、また、自らもこれを食して、その年の収穫に感謝する。宮中三殿の近くにある神嘉殿にて執り行われる。

 

正午から某ホテルにて「サリーズバー」の忘年会が行われ。愚妻と出席。百名近くの人たちが集まったが、当然知っている人ばかりで、その人たちのテーブル巡りに忙しい。六時半からもう一本忘年会が入っているのであまり飲んではいけないとは分かっていても、一杯、一杯復一杯とつい飲んでしまう。二次会は近くのカラオケへ。ここでも五十名ほどが集合した。私は、五時過ぎにそおっと抜け出して次の会場に向かった。

 

644048_387386454675424_2011788671_2※サリーとパパ。

 

23948_387386518008751_1358302019__2※おっ!私も写っていますね。(右側の山本さんの写真をお借りしました)

 

六時に、京急の大鳥居という駅に着。そこから数分の寿司屋「三平」にて、大行社の護皇連合の忘年会があり出席。料理も良し、人も良しで、楽しい酒となった。八時半に終了。十時前に帰宅。

Photo※長谷川光良氏より依頼された「台湾民政府」を主張する人たちが12月20日に来日。歓迎の要請です。※クリックすると大きくなります。

 

 


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良い本と作家に巡り合った。

2012-11-25 15:00:32 | インポート

十一月二十二日(木)晴れ。

 以前、このブログに渥美清の主演で昭和三十八年に公開された「拝啓天皇陛下様」をBS見て、その続編があるらしいと書いた。しばらくすると千葉在住の運動家の竹内恒夫さんからその続編のDVDを送って頂いた。

 

失礼ながら、連日の酒で頭が少々腐っているので、どうも人の名前や顔を覚えられない。その竹内さんから、今度は、「拝啓天皇陛下様」の文庫をご恵送頂いた。添えてあった手紙には、福田邦宏さんや丸川仁、小針政人の両氏と言った正統派の行動右翼の方々の共闘して運動しているとあった。大行社の会議の席で丸川氏に報告すると、「舟川氏とも親しいですよ」。それでは当然お会いしているに違いない。蜷川、丸川、内川、木川に舟川・・・。なぜか皆「川」が付き、共通点は揃って酒にだらしない。

 

それはさておいて、文庫本を送られた時に、まず自身の不明を恥じた。私は、「拝啓天皇陛下様」は、「男はつらいよ」のように、映画のために書かれた脚本とばかり思っていたのだ。まさか原作があるなどとは思ってもいなかった。

 

原作者の、棟田博氏は、自己の体験を元に戦争を描いた小説家。いわゆる兵隊作家のひとり。明治四十二年十一月、岡山県津山市に生まれる。岡山津山中学校を経て、早稲田大学文学部国文科を中退する。地元に帰り、短歌同人に参加するなど、文学青年の道を歩む。
昭和三年に徴兵検査甲種合格、1昭和四年一月、岡山歩兵第十連隊に現役兵として入営する。 時の連隊長は「俊秀雲の如し」と言われた陸軍士官学校十六期生のなかでも、特に逸材との噂の高い小畑敏四郎大佐であった。一年志願兵(のちの幹部候補生)の資格が有るにもかかわらず軍務に就き、伍長勤務上等兵として昭和五年十一月に満期除隊。上京して文学活動を模索する。

 

昭和十二年、二十九歳の後備役のときに日中戦争が勃発し、八月に赤柴部隊の上等兵として「第五動員の甲」により応召。八月末に出征。山東省に上陸し、歩兵分隊長として徐州会戦に参加する(作戦中に伍長に昇進)。十二月、済南に入城し、津浦戦線を経て、昭和十三年五月、台児荘の戦闘で重傷を負う。青島陸軍病院から内地還送、原隊の未教育補充兵の助教を務めたのちに除隊した。

 

同時期、手紙を通して長谷川伸に師事し、長谷川の勧めにより自身の体験を「分隊長の手記」として雑誌『大衆文芸』昭和十四年に発表する。掲載中のうちから作品は単行本化され、たちまちベストセラーになる。昭和十七年、同作で野間文芸奨励賞を受賞。
昭和三十年に発表した『サイパンから来た列車』が評判になる。ついで「拝啓天皇陛下様」がベストセラーになり、昭和三十八年には主演渥美清、監督野村芳太郎で映画化され,大いに話題を呼ぶ。翌年には続編も作られた。昭和六十三年四月、茅ヶ崎市において肺癌のため死去。

 

このような方を全く存じ上げていなかったとは、全くの不覚、不勉強も甚だしいと反省している次第です。古書店に頼んで棟田氏の全集を購入する予定でいる。

 

「拝啓天皇陛下様」は、日中戦争時代の、軍隊と言ってもまだのんびりさが感じられる軍隊生活が描かれている。陰湿さやいじめなども、嫌な書き方をされておらず、同じ軍隊の内務班を描いた「二等兵物語」とは大違いだ。

 

伊藤桂一の解説がまた良い。「戦後、日本国民は、ひどい敗戦ノイローゼに陥ち込み、善悪のしっかりしたけじめがつかず、おかげで、いかがわしい、反軍反戦小説や、暴露的読み物が反乱した。日本の軍隊、ことに中隊長以下の下級兵士らは、善戦敢闘して力尽きたので、日本人は、本来なら、これらの将兵たちに、歓呼と称賛を贈るべきだったのである。むろん軍閥に対する憤りはあったと思うが、最高指導層の職業軍人と、真に国家や民族のために悪戦苦闘した下級の将兵とは、全く別個な見方、評価をしなければならなかった。それだのに、敗戦ノイローゼは、戦後五十年を経てさえなおつづいていて、今次大戦を一方的な侵略戦争としてしか考えられず、政治家は、外国から一言いわれれば、たちまち謝っている。しかし外国は、日本の戦力、実働した将兵の気魄と戦闘意欲に対しては、正しい認識と評価を贈ってくれている。日本国民だけが、日本の軍隊を、誹りつづけてきたのである。天に向けて唾を吐き続けてきた、愚かなしぐさではなかったろうか。」と書いている。

 

この本を原作とした映画は、正に渥美清のための映画と言っても過言ではない。このような作家のいたことを知らずにいた自分が恥ずかしい。

 

夜は、カメちゃんが「颯」に一人でいるとのことなので、急襲。牡蠣料理を食べながら二人で痛飲。それでも九時過ぎには自宅に戻った。

Photo※本当に楽しめました。☆五つ。竹内さん有難うございました。

 

 

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中原に還た鹿を逐う。

2012-11-24 14:15:59 | インポート

十一月二十一日(水)曇り。

 私の好きな「唐詩選」(岩波版)の最初に出てくるのが、唐創業の功臣であった魏徴の「述懐」。その詩は「中原に還(ま)た鹿を逐(お)い 筆を投じて戎軒(じゅうけん)を事とす 縦横の計は就らざれども 慷慨の志は猶お存せり」で始まる。「昭和維新の歌」の中にも引用されている有名な漢詩である。

衆議院の解散が決まり、各政党は選挙モードに入った。新党が乱立して、さながら、「中原に鹿を追う」ごときである。

 

このままで行けば、自民、石原・橋本連合の「維新」、公明、民主、「みんなの党」以外は、はじき出されそうだ。多くの政治評論家は、選挙後に政界再編があるのではと予想している。どの政党が政権を担っても、改憲に邁進してもらいたいものだ。

 

午前中は、愚妻と共にお歳暮の手配。お世話になっている方へのご挨拶は欠かせない。また、機関誌「燃えよ祖国」の有料購読者の方が更新料金を振り込んで頂いたお礼と暮のご挨拶を兼ねて、野村先生の葉書き大写真を額に入れて送らせて頂いている。机の上にでも飾って頂けたら幸いです。

P1000473※これです。

午後から、大行社の幹部会議に出席するために東京行き。夜は、六本木にて懇親会。十時近くに帰宅。

 


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いざ我が友よまず一献。

2012-11-24 12:41:00 | インポート

十一月二十日(火)曇り。二の酉。

早いもので秋が行き、冬の凛烈がすぐそこまで迫っている。わが街ヨコハマは、中華街に「上海蟹」が出回り、お酉様の賑わいを楽しんでいる間にボジョレーヌーボーが解禁。この頃になると木枯しに首をすくめ、横浜港に停泊している船が一斉に汽笛を鳴らすと、年が明ける。ヨコハマを離れて新年を迎えたのは四度だけ。一度、海外で年越しをしてみたいと思っているが、まだ実現したことがない。


今日は、二の酉。酒友と自宅近くの寿司屋でもと思っていたが、急な仕事が入ったとかでキャンセルとなった。この際に酒を抜こうと思い、ほとんどの時間パソコンの前に座って仕事らしきものをした。


私事で恐縮だが、例年中華街で忘年会を開催している。いつもならば十二月の後半に行っていたが、今年は会場の都合で、十二月の二日の日曜日に行うことになった。ほとんどが弊社の社友と私の個人的な友人であり、気楽な食事会となっている。会費は、一万五千円と少々割高だが、まあそれだけの料理と酒は用意させて頂いている。どなたでも出席できますので、是非共に一献、という方はご連絡を下さい。

Photo


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後輩たちと一献

2012-11-20 11:51:01 | インポート

十一月十九日(月)晴れ。

 以前から群青忌に参加して頂いた山口正之氏と内山耕一氏のお二人が、「横浜で是非一献」と言われていたので、五時半に藤棚で待ち合わせて「やまと」へ。

 

お二人とも元一水会で活動していた人たち。山口氏の方は、「風の会」の選挙の折には東京選対の運動員として銀輪舞台で頑張ってくれた。懐かしい話に花が咲く。内山氏と共に二時間ほど歓談して別れた。

148114_306259299483106_1756067019_n※「やまと」にて。左は、おやじさん。中央が山口氏。山口氏の写真を転用しました。

そう言えば、吉田類の「酒場放浪記」の再放送をやっていて「やまと」が出ていたのをお店で見ていた。偶然にも、最初の放送を見て来店したと言う人と隣り合わせになって、居酒屋話で盛り上がった。

 


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