白雲去来

蜷川正大の日々是口実

「カツオ」か「やまと」か、ここが思案橋。

2012-11-10 23:28:15 | インポート

十一月九日(金)晴れ。

秋晴れの良い天気が続いている。午前中は歯医者。午後から機関誌の製作。三時を過ぎてようやく第一九二号が完成した。後は、発送の作業だけである。これで一段落。自宅に戻る途中で、何となく、「カツオ」があるような気がしてスーパーに入ったらビンゴ。値段は少々高かったが、これで一杯やると思うとウキウキする。と思っていたら、「寂しがり屋のヒデちゃんでーす」という留守電が入っており(携帯を車の中に置きっぱなしだったので)、電話してみると「やまと」で一人で飲んでいるとのこと。うーんせっかく買った「カツオ」を見捨ててしまうのかと迷ったが、ここは人助けと覚悟して「やまと」へ向かった。


そのうちにカメちゃんも到着。三人で、いつもの「揚げ鳥」を食べながら「知心剣」の二合瓶を三本空けた。ここから「颯」に転戦。牡蠣のグラタンや生ガキが美味しかった。途中で社友のY崎氏も合流。どどどっと飲んで九時過ぎに解散。

Photo_2※「燃えよ祖国」の最新号です。僭越ながら拙稿を二本掲載させて頂きました。メインは野村先生の「君に泉水博の慟哭は聞こえるか」。見本誌や購読をご希望の方はご一報ください。見本誌は千円(切手可です)。購読料は年間一万五千円です。


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一の酉へ。

2012-11-10 10:57:23 | インポート

十一月八日(木)晴れ。一の酉。

 

今日も良い天気。夕方まで事務所で機関誌「燃えよ祖国」の印刷。今回で一九二号となる。二〇〇号では、読者の方々からお祝いのメッセージを頂くつもり。考えてみれば、二〇〇号と言えば二十年だ。良く出してきたと思っている。初期の頃は「大悲ジャーナル」として出発した。私が大悲会の会長だったからである。その後、大悲会を卒業したが、しばらく名前はそのままにしておいた。平成十四年の新年号から現在の「燃えよ祖国」に変更した。これは、以前、野村事務所で発行していた機関誌の名前をそのまま使用したものだ。

 

創刊は平成三年の一月号。原稿を寄せて頂いたのは、三浦和義、植垣康博、永田洋子、澤地和夫の諸氏。皆、獄中者ばかりだ。その中で、ご健在なのは植垣さんだけだ。七号までは外注していたが、資金不足により、しばらく手作りの物が続いた。当時はパソコンやプリンターも今のように普及していなく、ワープロで原稿を書いて、カラーコピーと普通のコピー機を併用して印刷をしていた。最も、リースなのでそれなりに高くついたが。

 

五十号近く、コピー機を使っての製作が続いたが見かねた友人の義侠で、久しぶりに外注が出来た。「経団連事件特集号」や「河野邸焼き討ち事件特集号」などを出したのもこの頃である。十号を外注印刷したところで、支援者の方が急死。また手作りに戻ったが、この頃には、多少パソコンも使えるようになり、更に、支援者の方から当時、百万円近くもした「カラーレザープリンター」を寄贈して頂いた。しかし雑誌の印刷に必要なソフトはマックの一人勝ちだったので、パソコンやプリンターの変換機などにかなりお金がかかったのを覚えている。

 

その後、パソコンや周辺機械の性能も大幅に良くなり、カラーの「軽印刷機」、「丁合機」、「中綴じ機」を揃え、現在に至る。一番助かったのは、「丁合機」と「中綴じ機」の導入である。それまで手作業で行っていたものが、機械化され時間も十分の一ほどに短縮された。社友のご支援に感謝する次第です。

1※創刊号です。

56※コピー機の頃。

58_2※久しぶりの外注印刷。

90※カラープリンターで印刷をしていた頃。

188※現在のもの。

二十年余。機関誌を購読した頂いております方々に衷心より厚く御礼を申し上げます。今後も鋭意努力いたしますので、変わらぬご支援を伏してお願い申し上げます。


夜は、愚妻と共に酉の市に出かけた。「立冬」の前に「酉の日」が来るときは、「三の酉」まであるが、今年の立冬は七日。一の酉が八日なので、今年は二の酉まで。私は、この酉の市が好きで、毎年必ず出かける。最近は子供たちが付き合ってくれないのが残念だが、屋台を冷やかし、途中で一杯やる。これが楽しい。偶然に林横浜市長とあった。いいね。こういった庶民のお祭り、行事に顔を出すのはいいことだ。

そろそろ帰ろうかと思ったら、盟友の古谷喜久男氏から連絡が入り、久しぶりに曙町の焼き鳥の名店「千屋」で合流。オヤジさんもおかみさんもお元気な様子で、ご無沙汰を詫びてまずは乾杯。その後、三人で「サリーズバー」へ転戦。お馴染みさんばかりで楽しく飲んで十二時近くに解散。

 


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首相が四年も代わらずにいたらたまらん。

2012-11-10 10:03:08 | インポート

十一月七日(水)晴れ。

良い天気が続いている。個人的にはあまり関係のない出来事だが、アメリカの大統領選挙が終了して、オバマが再選された。喜んで良いのか、悲しむべきか良く分からん。私としては共和党のロムニーに勝ってほしかったのだが。まあよその国の大統領選挙よりも、我が国の選挙の方に関心があることは言うまでもない。早く解散してほしいものだ。


オバマを讃える歌を作った。「オバマ、あれま、オバマ遊園地」・・・。


良く、日本では首相が一年おきぐらいに代わると揶揄されるが、考えてみれば、鳩山だの菅、野田みたいな首相に四年も居座られたら大変だ。それこそ国が壊れてしまう。使えない総理ならば一年どころか、三日でもいいからさっさとやめさせた方が良い。もちろん自民党に政権が戻っても同じこと。


今日は、名前だけは立派な蜷川政経懇を吉野町の「一銭」で行った。「鳥鍋」を囲み、大腸癌で入院していたO氏の快気祝いも兼ねた。O氏差し入れの「赤霧島」で乾杯。終了後は有志で関内に転戦。二軒はしごしてから帰宅。


夏は、南大東島のサトウキビ畑で働いている杉山君が台湾に旅している。彼からきれいな絵葉書が届いた。以前、戯れに「金門島の包丁が欲しい」と言ったのを覚えていて、「買ってきます」とあった。申し訳なし。

Photo※杉山君から届いた3Dの絵葉書き。旅先からのこういった気づかいは嬉しいものだ。「戀戀島」とは羨ましい。


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