十一月十六日(金)晴れ。
相変わらず、自宅のすぐ裏の解体工事の音がうるさく雨戸を閉めたままにしている。家にいても面白くないので、事務所に行き昼まで資料整理。昼に愚妻と待ち合わせて伊勢佐木町の入口にあるインド料理の「モハン」にてランチ。愚妻は「キーマカレー」、私は「チキン」と「野菜」の二色カレー。しかし、コックが変わったのか、以前のように美味しくない。野菜サラダのドレッシングの味も違うし・・・。ただ「ナン」の味だけは変わらない。ここの「ナン」が好きだが、メインのカレーはイマイチだった。近いうちにもう一度来て、同じ味だったら私の記憶から消去しようと思っている。
一時半に、印刷屋さんとパソコンソフトの件で打ち合わせ。現在、事務所で使用しているソフトの「ページメーカー」が古いので「インデザイン」に変えてほしいとのこと。パソコンソフトも日進月歩で、すぐ古くなり互換性がなくなる。変えろと言っても値段が高いので考えていたら、「私の方で何とかします」。それならばと二つ返事でOKした。
自宅に戻り、着替えを済ませてから東京行き。今日は六時半から民族革新会議の犬塚博英議長が主催する「博友会」という名前の勉強会が、高田馬場にて開催されるので出席。六時に社友の隠岐康氏と馬場の駅で待ち合わせた。
「博友会」は、犬塚議長の肝いりで、かなりまじめで高度な勉強会である。今日の講師は、神社本庁参事の稲 貴夫先生。テーマは「伊勢の神宮と式年遷宮」である。神宮式年遷宮は、伊勢神宮において定期的に行われる遷宮である。神宮では、原則として二十年ごとに、内宮(皇大神宮)・外宮(豊受大神宮)の二つの正宮の正殿、十四の別宮の全ての社殿を造り替えて神座を遷す。このとき、宝殿外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計六十五棟の殿舎のほか、装束・神宝、宇治橋なども造り替えられる。
記録によれば神宮式年遷宮は、飛鳥時代の天武天皇が定め、持統天皇の治世の六百九十年(持統天皇四年)に第一回が行われた。その後、戦国時代の百二十年以上に及ぶ中断や幾度かの延期などはあったものの、平成五年の第六一回式年遷宮まで、およそ千三百年にわたって行われている。平成十七年から第六十二回式年遷宮の各行事が進行中で、平成二十五年には正遷宮(神体の渡御)が予定されている。
私が、初めて式年遷宮の行事に参加したのは昭和四十八年のことだった。来年八月の「お白石持ち行事」には隠岐氏と共に参加予定でいる。その予備知識としての勉強会だった。民族派として皇祖天照大神や伊勢神宮の歴史、三大神勅などの基本とも言うべき勉強をさせて頂いた。政治や思想などは耳学問でそれなりに人前で話すことが出来るが、古事記、日本書紀など分かっているつもりでも、簡単に説明できない。もう一度勉強し直すか。
皇居の勤労奉仕を終えたばかりの隠岐氏の体調が悪く、九時過ぎに中座した。そのまま自宅に直帰。十時半に帰宅。飲まずに寝た。いい勉強会だった。