白雲去来

蜷川正大の日々是口実

また昭和が遠のいた。

2013-11-13 11:00:12 | インポート

十一月九日(土)曇り。

歌手の島倉千代子さんが亡くなられた。肝臓癌ということ。何でも以前に乳がんを患い、それを抑える薬が肝臓がんを誘発したのではと、テレビに出演していたゲストのお医者さんが言っていた。私も、血圧と胃のピロリ菌を押さえる薬を飲んでいるが、一年前くらいから両腕に赤い斑点が目立つようになった。

歯医者の先生から指摘され、地元で評判の皮膚科を紹介され検診を受けたが、皮膚科医いわく「皮膚病ではありません。念のために内臓の検査を受けたら」と言われた。通っている内科では具合が悪いので、他の病院に行き皮膚科で言われたことを伝えて、血液検査をして貰った。結果は、異状なし。そこの医者が言うには、「飲んでいる薬が血管を広げる効果があるのでそのせいでは」と。ちなみに、その血管を広げる効果のある薬とは「ナトリックス」というもの。(その薬をやめてから一月余、徐々に腕の赤い斑点が薄れてきた)

それを、掛りつけの医者に言ったところ、三種類出ていた薬が二種類となった。(ムノバールとファモチジン)このように薬は、ある症状には良くても、飲み続けていると他の病気を誘発すると言うリスクがあることを実感した。まあ健康で薬など飲む必要がないのが一番なのだが、考えてみれば、何処かが悪いからこそ、体を気遣うきっかけになることもある。

島倉さんのレコードもCDも買ったことはないが、彼女の歌では「東京だよおっかさん」と「からたち日記」が好きだ。また昭和が遠のいた。


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戦後アウトローの死に様とは。

2013-11-13 10:18:31 | インポート

十一月八日(金)曇り。

野村先生が最も信頼した作家の山平重樹さんから新刊本、「戦後アウトローの死に様」(双葉新書・定価819円)をご恵送頂いた。あっと言う間に読了したが、この本のすごいのは、民族派、新左翼、任侠の人、そして「戦後表現者の死に様」として、俳優、作家、映画監督などを取り上げていることだ。

右翼のみならず、新左翼や役者などを「アウトロー」として括ることに無理があると思う方もいるかもしれない。このことについて山平さんはこう述べている。「いくらなんでも乱暴すぎはしないかーとの批判も聞こえてきそうだが、いずれも市民社会の規範に収まるカタギであるわけもなく、同じ”反体制・反権力のアウトロー”であることに変わりはない。というのが本書のスタンスである」と。全くその通りだと感心した次第。

民族派として取り上げた人の中に、私の道の兄でもあった阿部勉さんと、三浦重周さんがいる。失礼だが、このお二人は、民族派以外ではほとんど知る人はいないだろう。しかし、お二人とも色々な意味で、戦後の民族派学生運動史の中では決して欠かすことの出来ない存在の人だ。阿部さんは、元楯の会の一期生、五十三歳で亡くなられたが、正に泰然自若として死と向き合ったその生き様は今でも語り草となっている。

三浦重周さんは、何回か私の主催していた勉強会に講師として来て頂いた。日本学生同盟一筋に生きた方で、哲学的な生き方をした人でもあった。平成十七年の十二月十日、故郷の日本海に面する信濃川河口東側、通称北壁と呼ばれる岸壁で割腹自決を遂げた。

山平さんがと本書で取り上げた民族派は八名。児玉邸に特攻突入した前野光保氏が民族派かどうか異論はあるとしても、彼の行為を評価したのは、誰よりも狙われた児玉先生であったことは知る人ぞ知る話である。この八名の人たち・・・。それは山平さんでしかできない検証でもあり、大切な仕事であると思う。是非ともご一読をお願いする次第です。

Photo※山平さんの本です。

Photo_2※目次。クリックすると拡大します。


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牛脂注入肉は、見分けが難しい。

2013-11-12 17:55:51 | インポート

十一月七日(木)曇り。

食品の偽装が社会問題となっている。しかし考えてみると牛肉の場合、加工肉(くず肉を固めた成型肉)は分かるが、「牛脂注入肉」となると私を含めて素人ではほとんど区別がつかない。適当に「サシ」が入っているので、良い霜降り肉と勘違いしてしまう。「和牛」と言われて、知ったかぶりをして薀蓄を傾けて食べていたのかもしれない。馬刺しの霜降り肉はほとんどが牛脂注入というのだから困ったものだ。そういうこともあって最近では馬刺しは「赤身」しか食べないようにしている。

しかし、考えてみればスーパーで売っている安い「シシャモ」。これは本当はシシャモではない。本物の北海道産のシシャモを友人から何度か送って頂いたことがあるが、市販のものとは格段の差がある。

本当はシシャモではない物を堂々とシシャモと称して売っていてもお咎めはない。従って居酒屋などで出てくるシシャモのほとんどが本当のシシャモではない。買う方もそれを知っていても文句を言う人を聞いたことがないから不思議だ。

まだある。たとえばイクラもそうだ。本物と思って食べているのが人造のイクラかもしれない。始末が悪い事に、そのゼラチンで固めた人造イクラと本物と、素人が食べてもまず見分けがつかない。いや味だって本物と遜色がないのだから困ってしまう。見分けるコツは、本物のイクラは熱湯をかけたりすると白く濁るが、人造のものは白くならない。

加工肉を「和牛」として売れば非難され、堂々と偽物を売ってもなんともない場合もある。こうなったらちゃんとした食品の基準を決めることを義務付けるしかないと思う。そして偽装やごまかしをした場合は刑事罰を与える。ホテルやレストランの場合は、営業停止にするくらいの処分も必要ではないかと思っている。

夜は、酔狂亭で月下独酌。久しぶりに寄ったスーパーに、この時期では珍しく良いカツオがあったので、即購入。ニンニクをたっぷり塗ってネギの薬味で食べた。至福の時ですな。


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私の好きなヨコハマの散歩道。

2013-11-09 06:59:46 | インポート

十一月六日(水)晴れ。

午前中に歯医者。治療を終えてから、天気が良いので終了後に「みなとみらい」を歩いた。私が好きなヨコハマの散歩スポットの一つである。桜木町の駅から横浜美術館方面を歩いてから、ヨットの帆の形をしたインターコンチネンタルホテルの裏手に出れば、もうそこは海。

横浜港の潮風に吹かれながら、そのまま赤レンガ倉庫方向へ行く。規模は小さいが上海のガーデンブリッジを思わせるような橋を渡る。赤レンガ倉庫の先には、大桟橋にベイブリッジが見える。森鴎外の「桟橋」や「舞姫」舞台となった場所である。

時間があれば県庁の前を通って、地裁の裏手のコーヒーショップでお茶、と言うのが定番なのだが、午後から入院している後輩を見舞いに行くので、四十分ほどで駐車場に戻った。

午後からの見舞いを終えてから、子供を塾に送り、自宅でのんびり、とはできないのが玉に傷。自宅の裏で宅地の造成工事を行っているので、うるさくて読書や原稿書きに集中できない。仕方がないので、事務所に行ってパソコンに向かった。

私の事務所は、「好きな散歩スポット」ナンバーワンのスタート地点にある。根岸の米軍住宅に続く「いなり坂」を上りきると米軍住宅に突き当たる。入口にはライフルを持った警備員が立っている。そこを左折すると、山手の散歩コースのスタート。すぐに、右手に増徳院というお寺が見える。増徳院は、高野山真言宗準別格本山のお寺で海龍山本泉寺増徳院という。古くから町の人たちの信仰の中心的存在で、元は、元町一丁目、現在の元町プラザの場所にあったが関東大震災で倒壊し、その後一九二八年(昭和三年)に現在の南区平楽に再建した。

この寺の墓所をペリーの意向で外国人の墓地に提供したことから現在の「山手外国人墓地」が誕生した。境内には、大野林火の「彼岸鐘 草木聞けり 鳥聞けり」の句碑がある。

その増徳院を過ぎて中村町方面に降りる坂、「へび坂」の途中に、二十一世紀書院のあるマンションがある。「へび坂」を降りずにそのまま行くと、右手に平楽中学、もう少し歩くと「打越橋」が見える。実は、この橋が「山手」と下町の境である。土地の値段も、橋の手前と先では随分と違うそうだ。ちなみに私の事務所は、橋の手前、「下町」にある。

この打越橋を渡ると、横浜女学院、共立女学院といった名門の女子校があり、外人墓地や港の見える丘公園に続く山手の丘の散歩道。瀟洒な家や教会、フェリス女学院とヨコハマらしい雰囲気を味わえる私の好きな散歩スポットである。続きは、また気が向いたら書いてみたいと思っています。

夜は、酔狂亭で独酌。昭和三十九年に公開された東映の「銃殺ー2・26の反乱」をビデオで見た。主演は鶴田浩二で、決起した安藤大尉の役をやっていた。私は、数ある二・二六事件関係の映画では、安藤大尉にスポットを当てたこの映画が一番好きだ。

Photo※ビデオです。


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良き友たちに囲まれて、今日も酒。

2013-11-06 17:34:59 | インポート

十一月五日(火)晴れ。

「師・野村秋介ー回想は逆光の中にあり」を上梓して以来、親しい人たちから揮毫を頼まれる。本当ならば、断固としてご辞退、お断りをするのだが、自分が書いた本だけに断るのも申し訳ないので、書かせて頂くが、正直言って赤面、汗顔の至りである。その理由は、当然ながら生来の悪筆にある。ミミズが這いずった、というような表現がそのまま当てはまる字で、書いて貰った方ががっかりするのではと、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。それこそスマン、スマン、オスマンサンコンなどとシャレでは済まない。平身低頭、何卒、ご了承のほどをお願い致します。

夜は、松本佳展君の友人のミュージシャンの方が来浜し、懇親の一献会を「やまと」にて行った。当初は、中華街と思ったが、ロックンローラー?に中華料理は似合わないと、勝手に思い、恐らく「やまと」の「揚げ鳥」は初めてであろうと思って予約を入れた。申し訳ないことに、どんな曲を演奏しているのか知識がないが、何千人も入る会場のチケットが五分で完売するほどの人気ミュージシャンで好青年なのだ。私みたいなオヤジが同席するのは申し訳ない、と思いつつ、まっま一杯、一杯復一杯。

同席したのは、松本佳展君と奥さんの小枝さん。そして炎の修行僧金森和尚にカメ&アコちゃん。ゲストさんには、「やまと」の名物料理の九割を味わって貰った。まず「だんご揚げ」、「生皮揚げ」、「モモ揚げ」、「手羽揚げ」、そして究極の「丸揚げ」である。さすがに、「やまと」のオヤジの渾身の「丸」は食べることが出来ずに「おみや」にして頂いた。二年ほど前までは、私も、そのコースをペロリと平らげていたが、さすがに無理な歳となった。

これからクリスマスシーズンを迎えて、「やまと」の「丸」の出番が多くなる。冷めても美味しい「丸」を是非、ご賞味あれ。後から来店した、お馴染みさんにカメちゃんが拙著をセールスし、二冊売れた。有難うございます。川崎に転戦するという松本君夫妻やミュージシャン氏、金森和尚と別れて解散。いい酒だった。

そう言えば、ミュージシャン氏、左利きだったので、「ウチの子供と一緒ですね」と言ったら、「やっと慣れました」と。彼曰く、「ドラムを叩くのに左右の手が同じくらいの強さになるようにと、あえて左利きにしました」。さすがに、道を極めようと努力する人は違うと、感心した次第である。金森和尚も、荒行で有名な千葉のお寺での修業を、もう何度も行っている。こういった志のある人たちに囲まれて、自分のふがいなさを呪いつつ、大破・轟沈の夜でした。


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