白雲去来

蜷川正大の日々是口実

懐かしい人の、懐かしい本。

2014-05-20 17:18:47 | インポート

五月十四日(水)晴れ。

事務所の書棚にある本を入れ替える作業をしていると、思いがけない再会に喜ぶことがある。まあ思いがけず、と言っても書棚に無造作に詰め込んであるので、単に何処に入れたのか忘れていた、という程度の再会ではあるが・・・。

再会を果たしたものは、六年前の一月二十七日に亡くなられた百瀬博教さんの「昭和不良写真館」(WAC)という本だ。この本はとても贅沢に出来ていて百瀬さんの思い出が文章と写真にまとめられている。「私は想い出に節度がない・・・柳橋の侠客の家に生まれ、石原裕次郎の用心棒、拳銃不法所持での下獄・・・。詩人・作家であり、戦後最良最高の不良の異名を持つ男の”節度のない想い出帖”」と帯にはある。

百瀬さんは格闘技の「PRAID」の仕掛人としても知られているが、かつて「週刊文春」で「不良ノート」を連載していた。六年前に事務所に向かう途中、車のラジオから百瀬さんの訃報を聞いた。

 

野村先生が亡くなってからも何かと気を遣って頂き、母や父の葬儀の際には、わざわざ、私の自宅まで弔問に来てくれるなどして頂いた。私との出会いは、あるトラブルからだった。そのトラブルとは、某氏の秘書であった女性が、秘書時代のことを週刊誌にスッパ抜いた。その記事の中に野村先生を侮辱するような文章があったので、私が某氏に質問状を送付した。そのことが、スポーツ紙や写真週刊誌に掲載され、大事になろうとしたときに、時の氏神となったのが百瀬さんであった。

都内のホテルにて、百瀬さん、私、某氏と三人で会い、謝罪の意志のあることを確認したので、先生も了解し、後日、赤坂にあった野村事務所にて、百瀬さんの段取りで某氏が謝罪。先生もそれを了とした。百瀬さんは野村先生の前では、常に正座し、私が「どうぞ、お楽に」と言っても、終止、姿勢を崩さなかった。礼儀の正しい人であった。

 

それがご縁となって、百瀬さんの主催する「鳥越祭りを楽しむ会」や「週刊・文春」に連載していた「不良ノート」の出版記念会に招かれたりと、お付き合いは続いていた。また百瀬さんがコラムを持っている月刊誌「フリー・アンド・イージー」に、野村先生の特集を組んで頂いたことや、「中華街に来てるんだけど」と電話を貰って会いに行ったこともあった。そうか麻布の「キャンティー」で食事をしたこともあった。

 

百瀬さんは体も大きければ、やる事も豪快で、些細なことでも「御礼」と称して、桐の大箱に入った虎屋の羊羹を送ってくる。お返しをと思って、失礼ながらどれくらいの値段のものかと、横浜のそごうにある虎屋に品物を見に行ったら、「注文以外に普段は置いていない」とのことだった。値段を聞いて更に驚いた。先生の記事が掲載された月刊誌も、以来、毎月十二冊づつ、ドサッと送られてくるのには、正直言って辟易した。「いずれ一緒に対談でも」とお願いしたまま、多忙に任せてそのままにしておいたことが、悔やまれてならない。

 

百瀬さんから、頂いたもので大事にしているのは、映画「ゴッド・ファザー」のレザーディスクのデラックス完全版である。近いうちに百瀬さんを偲んで、押入れにしまってあるレザーディスクのプレーヤーをセットして、久し振りに「ゴッド・ファザー」を見てみようと思っている。当時の産経新聞には「裕次郎の用心棒、百瀬博教さん死亡」とあった。

夜は、名前だけは真面目な「蜷川政経懇」を野毛の「弥平」にて開催した。その後、有志と関内に転戦。

Yjimage1 ※百瀬さんの本。

0391_2 ※平成16年9月、父の葬儀の日に我が家の前で。


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汗牛充棟の書に埋もれて。

2014-05-18 18:01:32 | インポート

五月十三日(火)雨後晴れ。

最近は、暇があると事務所で本の片づけをしている。過日、大磯の小早川貞夫先生の遺品として蔵書の整理をさせて頂いた折に事務所に持って来た分だけでも約二百冊。そして平澤次郎先生が田園に居することになり貴重な蔵書をご恵送頂いた。更に、野村先生の奥様から先生の蔵書を頂くなど、嬉しい悲鳴を上げている。しかし整理が追いつかないので、段ボール箱に入れたままであったそれらの本を系統立てて整理している。

それでも何と言ってもスペースは限られている。私の事務所は、まあ狭いか広いのか良く分からんが、そこに事務机を中心に印刷機が三台、それに丁合機(ちょうあいき・頁を揃える機械)、中綴じ機やパソコンなどがあって、さらに資料ロッカーが五つほどある。書棚が大小合わせて十二個。そこに野村先生関係の出版物、いわゆる在庫本と私の蔵書が「おしくら饅頭、押されて泣くな」と言った状態で、隙間がほとんどないくらいに置いてある。

意を決して、私の趣味の本などを段ボールに入れて、書棚を維新運動関係の本のみを入れることにした。まずは中国史関係のものを箱詰めして片づけたのだが、これが七箱にもなった。本をしまっている最中にも、あれっ、こんな本があったっけ。とつい読みふけってしまったり、家でもう一度ゆっくり読もうか、などと作業の手が止まってしまう。

ふと思い出したのが、「汗牛充棟」(かんぎゅうじゅうとう)の四字熟語。汗牛充棟とは「蔵書がきわめて多いことの形容。本が非常に多くて、牛車に積んで運ぶと牛も汗をかき、家の中に積み上げれば棟木(むなぎ)にまで届いてしまうという意味の言葉」。

事務所内を移動しているだけで牛ならずとも汗をかく。そう言えば名古屋の栗野成人さんが発行しているのが「牛喘通信」。これも同じで本を運ぶ時に牛が余りの重さで喘ぐことから来てる。

また、単に趣味のみで読んだ、集めた本は資料にならないので後輩に贈呈するものを仕分けしたり、涙を呑んで断舎利したりと悲喜こもごもが続いている。落ち着いたならば、蔵書のリストを作成するつもりでいる。

夜は、酔狂亭で筍、蕗、筋子で独酌。あーあ酒だけは避けられない。


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それぞれのお国の事情。

2014-05-18 17:22:15 | インポート

五月十二日(月)晴れ。

朝は、ソースの日。定番のマルシンのハンバーグ・丸善の魚ニソ、目玉焼きにキャベツの千切り添え。最高のメニューである。しかし家族は見向きもしないのが残念。

午後からは事務所にて「燃えよ祖国」の202号の発送作業。紙がなくなってしまい四十部ほどは発送できずに後回しにした。

これを更新しているのが十八日の日曜日なので、日にちの前後はご勘弁して頂いて、私が好きな産経のコラムに元産経のソウル支局長だった黒田勝弘さんの「ソウルからヨボセヨ」がある。その十七日の記事に驚くようなことが書いてあった。何に驚いたかと言えば、韓国では列車が発車していても、追いかけてくる客がいると停車して乗せてあげるそうだ。路線バスならば日本でもそう言うことはあるかもしれないが、電車ではそんなことはありえない。

黒田さんによると「旅客船沈没事故の“お通夜ムード”はまだ続いているが、週末にこんな風景が あった。鉄道で地方に出かけた際、機関車を含め7両編成の列車が途中の 地方都市駅で停車後、発車しホームの端まできたところで急ブレーキがかかった。 窓の外をのぞくと乗客が列車を追いかけてきているではないか。 列車は急停車して客を乗せたのだが、これが韓国である。 運転上の“規則”より急停車してでも乗り遅れの客を乗せてやるという“人情”が 優先し、それにみんなが納得するのだ。安全対策など規則の無視、軽視が 国家的大問題になっていてもこれである」。

果たして美談なのか、とんでもないことなのか良く分からんが、日本では考えられない。以前テレビで、中国の観光客に「日本で驚いたこと」をインタビューしていたものを見たが、ほとんどの人が「電車やバスが時間通りに来る」ことと「町にゴミがなく綺麗」の二つを挙げていた。お国によって事情は違うかもしれないが、マナーはその国の国民の民度(人民の生活や文化の程度)を計るものということを、もっと自覚しなければ。

最も、高速の料金所を過ぎて一般道路に出る途中の道には運転手が投げ捨てたペットボトルやコーヒーなどの空き缶がやたらに目につく。監視カメラでもつけて、そんな不届きなことをする者を公表してあげれば良いと思う。

夜は、酔狂亭で月下独酌。酢の物を沢山作ってヘルシーに酔った。


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お墓参り。

2014-05-12 10:21:19 | インポート

五月十一日(日)晴れ。母の日。

朝起きて、雨戸を開けて外に出ると、夏が先遣隊を送り込んできたような良い天気。これから鬱陶しい梅雨が来る前に、なるべくこういった天気の日が続いてほしいと思っている。

朝食の後は、家族でお墓参り。途中、海老名のSAに寄り道。有難いことに高速はガラガラ。あっという間に伊勢原に着いた。まずご住職にご挨拶をしてから野村先生のお墓にお参り。新しいお花とお線香を手向けて、手を合わせた。

P1000177 ※野村先生のお墓。

P1000175 ※代表句の句碑。

その後、私の両親のお墓へ行き丁寧に汚れを落としてから家族で手を合わせた。途中の伊勢原の農協が経営している農産物売り場で茄子、キュウリ、ししとうなどの苗を買ってから帰宅。

P1000178 ※両親のお墓。カーネーションを飾った。

午後から事務所に行き、機関誌の製作。夜は、恒例のカツオで月下独酌。


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母の命日。

2014-05-12 09:49:38 | インポート

五月十日(土)晴れ。母の命日。

今日は、平成の十三年に八十四歳で亡くなった私の母の命日である。家族でお墓参りに行こうと思ったが、生憎上の子供が登校日。明日にすることにした。丁度、明日は「母の日」でもある。

私の母は、富山県の滑川で生まれた。従って、滑川の「浜の御坊」として親しまれている稱永寺に祖父やご先祖のお墓がある。そして滑川には、母の妹が嫁いでいて、母がまだ元気な時に、それこそ五十年ぶりくらいに母の妹に会うのとお墓参りに滑川に行った。そして叔母や家族で富山の宇奈月温泉の延対寺荘に泊まったことがある。

午後から、事務所にて機関誌の印刷。専用の紙が足りない。仕方なく半分くらい印刷した所で終了。夜は東京、栃木から友人が来訪しての一献会。その後、西横浜の「颯」へ。偶然にカメ&アコちゃんや「三代目・彫よし」の先生らと遭遇。楽しい飲み会となった。十時前に解散。

Img576 ※「浜の御坊」こと稱永寺の前で。寺の名前がある石柱に「蜷川氏の由来」が書いてある。ちなみにこのお寺のご住職も蜷川さん。

Img578 ※お寺から頂いた「蜷川氏の由来」。

Img577 ※ご先祖のお墓。雪国のためかお墓の背が高い。


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