白雲去来

蜷川正大の日々是口実

終戦の日の翌日の思いは・・・。

2020-08-26 14:34:55 | 日記
8月16日(日)晴れ。

75年前の今日も、こんな暑さだったのだろうか。一億の国民が様々な思いで終戦の翌日を迎えたに違いあるまい。きっと、これからどうなるのだろう・・・。という不安感に包まれたのではないか。今日のように、マスコミが発達していたわけではなく、流言飛語に惑わされた人も多かったことと思う。12月8日の開戦時の高揚感を当時の作家などが日記に書いたものを、隋分前に読んだことがあったが、敗戦の絶望感?をまとめたものかあるのだろうか・・・。そういえば、私の書庫に『世紀の自決』と言う本があると思うので、この時期、もう一度読んで見ようと思っている。

終日、機関誌の校正。昭和44年の夏。野村先生が、獄中から赤尾敏総裁の奥様に宛てた手紙の下書きを読み、その後の「経団連事件」の素地がそこにあるのを知る。

朝食は、牛筋煮、紅鮭、キムチ。昼食は抜いた。夜は、自宅で焼肉、大根と人参のシリシリサラダ、冷奴。お供は「黒霧島」。

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終戦の日、果たして、いつまで「戦後」なのか。

2020-08-25 12:18:40 | 日記
8月15日(土)晴れ。終戦の日。

昨日、松本佳展君らと横浜で一献会を行った、静岡在住の大陸浪人(と言っても今は海の仕事をしているが)杉山君と九時半に中華街で待ち合わせて安記にて朝食の会。中華街も少し活気が戻ってきたのだろうか、昼前にはお店が満席となった。いつものように、「モツ皿」、「焼売」を今日は車なのでノンアルビールでつまんでから出来立ての中国の揚げパン「油条」と一緒に「モツ粥」を食す。チーフコックのお兄さんが顔を出して「今日はノンアルですか」と驚いていた。食後、杉山君と別れて、愚妻と中華街をブラリ、ブラリ。馴染みの店に寄って10月の群青忌のことなどを相談してから帰宅。

今日は終戦の日。毎年、靖国神社に詣でていたが、今年は、コロナや歳を考えて炎天下の下で何時間も立っている自信がなく、自宅で黙とうした。

終戦から75年。ふと戦没者の追悼をいつまで続けるのだろうか。という思いがよぎる。ご遺族も高齢となり、後10年もすれば戦没者を直接知る「遺族」がほとんどいなくなってしまう。もちろんお孫さんや、ひ孫も「遺族」という考えがあるだろうが、きりがない。その人たちを集めて追悼集会を行うとすれば、日清、日露の戦没者の遺族はどうなる、と言われても仕方がない。

また、私も含めて「戦後75年」という言葉を使うが、果たしていつまで「戦後」なのだろうか。35年後(当然私はいないが)、「今日は、戦後110年です」などと言っているのだろうか。決して、忘れてはいけない日ではあるが、将来、漠然と「戦後」などと言っても、何のことか分からない世代がきっと出てくる。信じられないが、日本がアメリカと戦争をしたことを知らない若い人がいるという。

国が、大東亜戦争はもとより、日清、日露戦争を記憶する記念日を制定し、国民が英霊に感謝と追悼の誠を捧げることを教えなければならないと思う。

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サンマが鯛やヒラメよりも高い。

2020-08-25 11:50:38 | 日記
8月14日(金)晴れ。

暑くて、食欲がなく朝食を抜いた。昼は、最近凝っているニュータッチの「ネギラーメン」とキムチ。夜は、事務所の帰りに寄った、横浜橋商店街で買った「牛筋」とデリカ何とかの焼き鳥。お供は、「赤霧島」。おとなしく酔狂亭にて独酌。

上の子供が、暮れのボーナスで買ってくれた「ティファール」の電気圧力鍋。安全かつ便利なのだが、肉などの具材が一キロしか入らない。量が多いと二度に分けて入れなくてはならないのが、ちょっと残念だが、まあそこそこ便利である。昨日(24日)のニュースで、サンマが今年も不漁で、サンマ漁の主力である棒受け網漁初水揚げが、昨年の2パーセント程度しかなく、初競りでは、Ⅰキロ、1万1880円にもなったという。サンマが鯛やヒラメよりも高級魚となったわけだ。以下は4年前の9月13日の私のブログです。

「そごう」の地下で、キレッキレの刺し身包丁のようなサンマが三匹で九八〇円。まあハシリだから仕方がない。頭を落として内臓を捨てて(私を始め子供たちも苦いのがニガテなので)塩をふって焼く。グリルからサンマを焼く煙がぼうぼう上がっている。脂がのっている証拠だ。秋刀魚皿に大根おろしを添えて、食するが、我が家の家族は皆秋刀魚をきれいに食べる。小さい頃から私が「食べ方が汚いと、お里が知れるよ」とうるさく言っていたおかげである。ダイコンおろしにかけた醤油とすだちと塩味とがサンマに染みて、絶妙な味を出す。ふふふとなる瞬間である。

最近は、台湾や中国の人たちが好んでサンマを食べるようになり、がさーっと乱獲してしまい。そのせいもあって日本の漁獲量が年々少なくなっているそうだ。自分たちは食べるが、お前たちは食べるな。などとは言えず、困ったものだ。きちんとしたルールを国際間で決めないと、そのうちサンマが幻の魚、などと言われるかもしれない。しかし、サンマが高いと言ったって、デパ地下でさえ、たかが二、三百円のこと。サンマだって体がかかってんだから、あんまり安くては申し訳ないと言うものだ。また漁師さんたちの苦労を考えたら、三百円が高い何て言わない方がいい。さあーて。来月になったら果たしてサンマが食べられるだろうか。


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戦争中に沈められた船から重油は流出しなかったのか。

2020-08-24 14:40:50 | 日記
8月13日(木)晴れ。

昨夜、「三岳」が過ぎて二日酔い気味である。ちょっと情けない。朝食どころではなく、昼に昨日の残りの「天ぷら」を二日続けて「煮天丼」にした。夜は、頂き物のトウモロコシを天ぷらとバター炒めにした。もう一品は、牛肉とピーマン炒め、冷奴。お供は、「三岳」への浮気を詫びて「黒霧島」。

インド洋のモーリシャス沖で日本の貨物船が座礁し、それによって重油が流出してサンゴやマングローブなどに大きな被害が生じている。こんな時期でなければ夏休みを利用して、ボランティアを募り、少しでも海岸清掃のお手伝いができただろうにと思うと、残念でならない。しかし、わずか一隻の貨物船手の事故でこの被害である。

潜水艦の映画が好きで、ちょっとドイツのUボートについて調べてみたら、第一次世界大戦の折に、Uボートが沈めた商船の数は5300隻、軍艦10隻。第二次世界大戦では、Uボートは1131隻が建造され終戦までに、商船約3000隻、空母2隻、戦艦2隻を撃沈したが、Uボートも849隻が沈められた。日本やイタリアと言った枢軸国や他の連合国の沈められた船は調べていないが、第一次、第二次世界大戦を合わせてUボートは8000隻以上の船を沈めている。当然ながらタンカーもあっただろう。沈められた船に積載されていたおびただしい量の重油はどうなったのだろうか。戦争中であるから、海岸を掃除している暇などあるわけがない。

真珠湾に沈んでいる戦艦アリゾナからは今でも燃料の重油が海面に出てくることもあるという。この時に沈められた船から重油は流出しなかったのだろうか。一度、調べてみたいと思っているし、どなたか知っている人がいたら教えて下さい。

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熱中時代?

2020-08-24 14:12:10 | 日記
8月12日(水)晴れ。

函館の石澤博文君の御尊父の訃報あり。友人らに連絡する。合掌。

今日も暑い。何でも熱中症で死亡する人の数が増えているという。多くが高齢者とのこと。未だにクーラーを使うのは「贅沢」、「もったいない(電気代)」と言う世代の人たちだ。その気持ちは良く分かる。我々が若い頃は、「電気を節約しましょう」と言って、扇風機に加えて、打ち水をしたり、窓を開けたりして涼をとっていた。経済成長の時代でもそんな具合だから、「クーラーなどは贅沢品」という考えを払拭できずにいるに違いあるまい。

また、「熱中症」何て言う言葉もなく、家で寝ていて暑さで死んでしまうなんて、考えもつかなかった。という世代の人たちが犠牲?となる。ドラマではないが、正に「熱中時代」である。

アジィ、アジィと言いつつも、朝からカレー。それも「フクイのカレー」である。贅沢だなぁー。昼は、スーパーで買った総菜の天ぷらを「煮天丼」にして食べた。夜は、豚肉とキムチのオイスターソース炒め。アスパラの天ぷら、キムチ。お供は、珍しく頂き物の「三岳」。酔狂亭にて独酌。

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