白雲去来

蜷川正大の日々是口実

カツオは箕輪に限る。

2020-08-14 11:11:44 | 日記
8月1日(土)晴れ。梅雨明け。

朝からカレーと鶏のから揚げ。どこからか歳を考えなさい。と言う声が聞こえてきそうだ。昼は抜いた。夕方から、東京の某所にて10月の群青忌の打ち合わせ。コロナ禍で今年は規模を小さくせざるを得ないだろう。九月の前半に正式発表の予定。終了後は、久しぶりに浅草の「甲州屋」という蕎麦屋で食事会。その後、箕輪の寿司屋「丸長」に転戦。青思会の吉田先輩合流。痛飲す。抜群のカツオを堪能。

八月に入った途端梅雨明けし、この猛暑。7月中はほとんど曇りの日だったので、梅雨が明けて天気の良いのは嬉しいが、体がこの暑さに果たしてついて行けるかどうか心配である。「電力の節約のために、クーラーは控えめに」なんて言っていたのはいつ頃だったのか。今は、四人家族ならそれぞれの部屋でクーラーを入れている。加えてビジネスビルや飲食店など。原発の反対を理解しないではないが、こんな便利で快適な日々を過ごしていて、もし原発をすべて無くしたならば、果たして日本の電力は大丈夫だろうか。考えても分からん時は、酔っぱらうに限る。

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いしだあゆみの三択。

2020-08-11 12:43:47 | 日記
7月31日(金)曇り。

遅く起きたので朝食を兼ねた昼食。ボロニアソーセージ、マカサラ、目玉焼きにキャベツの千切り添え、ミニチキンラーメン。中農ソースが美味しい。夜は、ゆで豚、ナスと豚肉のオイスタソース炒め、マグロの刺身。お供は「黒霧島」と「ジョニ黒」。酔狂亭にて独酌。

台湾の李登輝元総統逝去の報あり。日本人よりも日本人らしい元総統の逝去に合掌。ニュースでは東京ではコロナの感染者が一日で400人を超えたという。ひえー!っという感じである。いしだあゆみさんの歌ではないが「泣くの、歩くの、死んじゃうの。あなたならどうする」。とつい言ってみたくもなる。いしだあゆみさんの究極の三択、泣くか、歩くか、死んじゃうか・・・。コロナならどうする。あなたなら・・・。

春ごろに、「コロナは紫外線に弱いから、夏になったら落ちつく」とか言っていたセンセイがいたと記憶している。梅雨が明けたなら市街戦ではなかった紫外線バリバリだぜ。減るどころか、増えてるじゃん。年寄りや持病のある者は重症になりやすいだと。もしコロナで陽性になっても中々入院させてもらえないというではないか。老兵は消え去るのみですかい。何とかならないのかね。考えても仕方がないので、一杯やるか。

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昭和の人が消えて行く。

2020-08-11 11:47:20 | 日記
7月30日(木)曇り。

朝食は、サワラの粕漬、冷奴、ナスとキュウリの糠漬け、ジャガイモの味噌汁。昼は、野菜たっぷり、麺少なめのタンメン。夜は、マグロの刺身、牛タン焼き、ミニサーロイン。お供は「黒霧島」。おとなしく酔狂亭で独酌。

書店に行けないときなど、事務所に寄ったついでに、書棚から「読んた記憶はあるが、ほとんど内容を覚えていない」本を二三冊もってくる。『言葉の煎じ薬』(呉智英著・双葉社)、『辞世の歌』(松村雄二著・笠間書院)、『無私の日本人』(磯田道史著・文春文庫)の三冊。ひどいのは『言葉の煎じ薬』などは、書き込みや端折などが随時にあるにもかかわらず、半分以上も覚えていない。酒で頭が腐っている証拠だ。

歌手の弘田三枝子さんとデザイナーの山本寛斎さんの訃報が流れた。弘田三枝子さんは私とほぼ同世代の人。歌にパンチがあって、スケールの大きい歌手だった。最近はテレビなどで露出が少なくなったと思たら、突然の訃報だ。先日の梓みちよさんもそうだった。どんどん昭和の人が消えて行く。

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コロナの感染者の数が増え続ている。

2020-08-11 11:31:03 | 日記
7月29日(水)曇り。

朝飯は、納豆、筋子、ナスのおしんこ、とろろこぶのスープ。昼は、トースト一枚。夜は、カツオ、鶏のから揚げ、キュウリとナスの糠漬け。お供は「黒霧島」と「ジョニ黒」。

連日、コロナに感染する人の数が増加している。以前のように非常事態宣言を出して、営業を自粛させる。何てことはもうできないだろうなぁー。休業補償をする金もないし、もう一回給付金を配る余裕もない。まあ重傷者が少ないという理由で、事を荒立てないようにしているなのだろうが、この状態があと一年も続いたなら・・・。と思うと、ちょっと心配になる。

11月に予定していたタイ行きもこのままでは無理だろうし、タイどころか沖縄だって行けそうにもない。お陰様で我が家の家族は恙なく暮らしてるが、早くコロナの感染が落ちついて平穏な社会に戻って貰いたいものだ。

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再びモロッコのこと。

2020-08-10 13:13:41 | 日記
7月28日(火)小雨後曇り。

朝食は抜いて、昼は、納豆、塩鮭、ナスの糠漬け、ミニチキンラーメン。夜は、お世話になっている方たちと、錦糸町で待ち合わせて、水天宮のロイヤルパークホテルの最上階の鉄板焼きへ。久しぶりに美味しい肉を堪能。お世話になりました。

昨日、モロッコのことに少し触れた。私が先生のお供をしてモロッコを旅したのは平成5年(1993)の8月のこと。7日に成田を出発して、ロンドンで乗り換えてマドリッドへ。マドリッドで二泊してからモロッコのカサブランカに着いた。当時のスケジュール表を見ると、カサブランカからバスでラバトへ移動。ホテルはハイアット・リージェンシー。翌日は、バスでメクネスからラバトへ240キロの行程だった。

フェズでのホテルはジュナン・パレス。モロッコの北東の都市、フェズは、古くはモロッコの首都でもあった紀元前からの歴史をもつ古都である。フェズで二泊したのちに、マラケシュへ。ホテルは、ラ・マムーニナ。このホテルは、英国元首相チャーチルのほか、エリザベス二世、チャップリン、そしてザ・ローリング・ストーンズといった世界のVIPが顧客リストに名を連ねている、モロッコの歴史ある商業都市マラケシュを代表するホテル。と案内にあった。浅田次郎さんの本にも、このホテルに泊まったことが書かれていた。

マラケシュから、モロッコ最後の町となったかサブランカへ。このモロッコでのことは拙著『師・野村秋介ー回想は逆光の中にあり』の中に「最後の旅」として書かせて頂いた。映画『モロッコ』の中でデイトリッヒがホテルの窓を開けると「砂漠の匂いがするわ」の台詞と共に、その旅の思い出がよみがえってくる。
※写真は、マラケシュのジャマ・エル・フナ広場にて。モロッコの「水売り」のおじさんと。ガイドからは、絶対に飲んではいけないといわれた。チップをあげて記念写真だけ。


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