白雲去来

蜷川正大の日々是口実

二十一世紀書院の忘年会。

2022-12-21 13:28:27 | 日記

12月18日(日)晴れ。忘年会。

今日は、私の「2年遅れの古希祝と二十一世紀書院の忘年会」を開催した。以下はその案内状。

謹啓 菊花の候、皆様におかれましては益々ご清栄の段お慶び申し上げます。
平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。
さて、昨年、一昨年とコロナウイルス感染拡大の中、自粛してまいりました二十一世紀書院忘年会ですが、本年はコロナ禍ではありますが、万全の注意を払い開催する運びとなりました。
それに併せ、二年前に開催を予定し、延期してまいりました蜷川氏の古稀祝いを行うことといたしました。私ども同門の後輩といたしましても誠に喜ばしいかぎりです。つきましては、来る十二月十八日(日曜日)に旧知・有縁の皆様方をお招きし、古稀祝いを兼ねた忘年会を催したいと存じます。師走のご多用中、またコロナ禍の中ではありますが、感染対策にもできる限りの注意を払いお迎えする所存でございますので、御臨席の栄を賜りますよう、何卒お願い申し上げます。
向寒の折、ご自愛のほどお祈り申し上げます。まずは略儀ながら書中をもってご挨拶に代えさせていただきます。  謹令和四年霜月
  野村秋介門下生有志一同

お陰様で盛会のうちに終了いたしました。これも偏に、日頃より、私はもとより、野村一門に対しましてご指導とご支援を賜りました諸先生、諸先輩、同憂・同志の皆様のおかげと衷心より厚く御礼を申し上げます。今後も、師・野村秋介先生の思想と行動が風化せぬように努力と精進を重ねます所存です。今後共、宜しくお願い致します。

新幹線が架線の事故により4時間もの間、不通となり何名かの方が出席できなかったのは残念でした。


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「物故者を偲ぶ会」へ。

2022-12-21 12:56:56 | 日記

12月17日(土)曇り後雨。

朝食は、五島うどん、野沢菜のチャーハン。昼は抜いた。夜は、愚妻と待ち合わせて関内駅近くの焼き鳥屋「鳥伊勢」にて一献。

夜、本当に久しぶりに神奈川県維新協議会(神維協)の会議とその後に行われた「物故者を偲ぶ会」に出席した。久しぶりに加えて、皆さんマスクをしているので、名前と顔の一致しない方が数名いた。諮問委員(議長経験者)として一言、ご挨拶をさせて頂いた。平成13(2001)年の役員改正に伴う新役員名簿に、私の書いた「神奈川県維新協議会24年の歩み」が掲載されている。それから21年の歳月が流れたが、神維協は変わらず神奈川県を中心として先鋭的な活動を続けている。

「物故者を偲ぶ会」は、維新協議会に関係のあった方々11名の遺影が飾られ、同血社の社員でもあり神官の資格のある下山陽太さんが神式で厳粛にご奉仕を行った。当然ながら遺影にある方々は皆、良く知っている。しかし一人の方を除けば、皆さん私よりも若くして亡くなられている。年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず。か。

 


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「フジサンタカイヨ、コレヤスイヨ」

2022-12-20 12:56:58 | 日記

12月16日(金)晴れ。

朝食は抜いた。昼は、「五島うどん」に、紅ショウガと玉ねぎのかき揚げ、三浦人参の天ぷらを作って「天ぷらうどん」。夜は、モランボンの「キムチ鍋のスープ」を使った鍋、イクラ、津軽漬け。お供は「三岳」。酔狂亭にて独酌。

昨日のブログで書いた「プラド美術館」に行った時の事の思い出をもう一つ。美術館のすぐ近くに扇子を売る露天が出ていた。そこのオヤジが、我々を目ざとく見つけ、手招きするので近くに行くと、「ジャパニーズか」と聞くので、「イエス」。その親父、おもむろにスペインの景色が描かれた扇子を広げて、片言の日本語でこうのたまった。「フジサンタカイヨ、コレヤスイヨ」これには、先生も私たちも馬鹿受けして大笑い。日本であれば、こんな駄洒落に誰も反応しないのだが、何といっても、ここはマドリッドである。片言の日本語を覚えてまで、扇子を売ろうというその商魂に我々一行は脱帽し、先生は、一本五百円程度の扇子を二〇本も買ってあげた。

その後、レストランや酒場に行く度に支配人やウエイターに、「フジサンタカイヨ、コレヤスイヨ」とプレゼントしていた。その扇子が、先生の駄洒落の道具ではなく、本来の機能を発揮して役に立ったのは「闘牛」を観に行った時の事。日差しが強くて、とても暑かった。その扇子が役に立ったのは言うまでもない。その旅から帰国した二か月後の10月20日、先生は、朝日新聞社の社長室で壮烈なる自決を遂げられた。来年は、その自決は事件から30年という節目の年となる。※マドリードの闘牛場の前で。私は41歳である。

 


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反ファシズムの代表的な作品。

2022-12-20 11:18:51 | 日記

12月15日(木)晴れ。

朝食は抜いた。昼は、中華街で買った「粽」とシジミの味噌汁。夜は、大行社の役員会議と納会に出席。二次会で六本木へ。うかつにも酒席で寝てしまい、若い人に家まで送ってて頂いてた。

11月15日の産経抄にピカソについて書いてあったことを思い出した。1938年、ピカソはスペインの共和国政府から依頼されて、パリ万博に飾る絵の題材について頭を悩ませていた。そんな折に、衝撃的なニュースに接する。ピカソの母国スペインは、共和国政府とフランコ将軍率いる反乱軍との間で激しい戦闘が続いていた。ピカソが知った衝撃的な出来事とは、バスク地方のゲルニカという古都を、フランコ軍を支援するナチス・ドイツが爆撃し多数の市民が死傷した。この事実を知ったピカソが、わずか2カ月で完成させたのが「ゲルニカ」である。また、余談ではあるが、この戦いで銃弾に撃たれた兵士を撮影したのが、有名なロバート・キャパの「崩れ落ちる兵士」である。

「ゲルニカ」は「20世紀最大の政治的絵画」と言われ、前述のキャパの「崩れ落ちる兵士」と共に反ファシズムの代表的な作品と言われて来た。私は、その有名な2作品を実際に見たことがある。まず「ゲルニカは、平成5年の8月、野村先生のお供をして行った、「マドリッド・モロッコの旅」の途中にマドリッドの「プラド美術館」にて展示されている「ゲルニカ」を見た。普段は「ソフィア王妃芸術センター」に展示してあるのだが、「芸術センター」が改修工事をしていたために「プラド美術館」に一時的に置いてあった。僥倖であった。「プラド美術館」では、「ゲルニカ」の他に、ゴヤの代表作とも言われている「裸のマヤ」「着衣のマヤ」をはじめ、ベラスケスの「女官たち」「ゲレダの開城」「マルガリータ王女」といった絵画に目を奪われ、さらにエル・グレコなどの世界的にも有名な作品を鑑賞した。

キャパの「崩れ落ちる兵士」の写真は、今から9年前の平成25年(2013)2月に「みなとみらい」にある「横浜美術館」にて開催されていた「ロバート・キャパ・ゲルダ・タロー二人の写真家展」に行って見た。代表的な二つの作品を見ることが出来たのは感慨深い。


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討ち入りの日か。

2022-12-17 16:09:17 | 日記

12月14日(水)晴れ。義士討ち入りの日。

起きたが食欲がなく、家族の朝食のデザートのリンゴだけを食した。昼は、アジの干物、マグロの刺身、シジミの味噌汁。夜は、仲良しさんたちとの月に一度の食事会を関内駅近くの「釜めし・則生(のりお)」にて。終了後に有志で関内へ転戦。珍しく、日にちをまたいで帰宅。

今日は、日本人なら誰でも知っている「義士討ち入りの日」である。2年ほど前のの産経新聞の「元気のでる歴史人物講座」というコラムに、赤穂義士のことについて、日本政策研究センターの主任研究員の岡田幹彦氏が「義の物語」と題して書いている。「日本人はなぜかくも忠臣蔵を愛好するのだろうか。それは大石内蔵助はじめ四十七士の生き方に日本人本来の美しい心と生き方を見出すからである。四十七士は日本人の清らかな正しい生き方の模範とされてきた。それゆえ四十七士は赤穂義士とたたえられ、『忠臣蔵』(忠義の武士の集り)と呼ばれた。もし外国人から『日本人とはいかなる国民か』と問われたならば、忠臣蔵を見せれば良い、と言った人がいるが至言である。

下の子供が、泉岳寺のちかくの会社で働いている。今度、待ち合わせて行ってみようと思っている。


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