12月23日(金)晴れ。上皇陛下のご生誕の日。
天気は良いが風が強く寒い日だった。朝食は、大沢菜園の白菜と人参をたっぷり使った中華丼風野菜のうま煮と大根の味噌汁。昼は、カレーパン一個。夜は、上海焼きそば、湘南餃子、チキンステーキ、白菜の塩漬け。お供は「赤魔王」。酔狂亭にて独酌。
今から24年も前に、森田忠明さんが発行人となり展転社から発行されたのが『合同歌集・国風』である。森田さんが主宰していた「櫻風亭歌會」の呼びかけで85人もの人たちが歌を寄せている。道の兄と慕った故阿部勉さんを知る人たちが『国風』に掲載された阿部さんの歌の中から勝手に「辞世」としたのが、
われ死なば火にはくぶるな「栄川」の二級に浸して土に埋めよ
である。生前の阿部さんを知る者は、「いかにも阿部さんの辞世にふさわしい」と思うに違いあるまい。「栄川」は福島の酒である。一時期、福島で雑誌の編集をしていた頃に愛飲したと思われる。阿部さんは、その酒に浸して土に埋めよ。と遺したが、歌川広重は反対に「我死なば焼くな埋めるな野にすてて飢えたる犬の腹をこやせよ」と詠んだ。二首ともに破天荒な辞世である。
『国風』には、今年の九月に還暦を直前にして亡くなられた藤本隆之さんも「朱夏・青春」と題した歌を寄せている。「朱夏(しゅか)」とは、季節の「夏」を示す言葉。転じて、人生の真っ盛りの年代、主に壮年時代を指す言葉として用いられる。藤本さんは、一水会の機関紙「レコンキスタ」の平成十八年の七月号にて横山孝平さんのインタビューの中で、民族派運動を志したきっかけは「鈴木邦男さんと野村先生の本を読んだこと」と答えている。「朱夏・青春」のなかに野村先生を意識したと思われる一首がある。
さだめなきと辞世詠みたるその人の友へ残せる言の葉おもし
この時、藤本さんは三十五歳。正に「朱夏」、壮年時代であった。また、「たのしみは奴を肴に酒一合飲みすぎもせず飯を食ふとき」との歌もあるが、これを続けていればもう少し長生きできたであろうに。