白雲去来

蜷川正大の日々是口実

それぞれの辞世の歌。

2022-12-25 13:26:29 | 日記

12月23日(金)晴れ。上皇陛下のご生誕の日。

天気は良いが風が強く寒い日だった。朝食は、大沢菜園の白菜と人参をたっぷり使った中華丼風野菜のうま煮と大根の味噌汁。昼は、カレーパン一個。夜は、上海焼きそば、湘南餃子、チキンステーキ、白菜の塩漬け。お供は「赤魔王」。酔狂亭にて独酌。

今から24年も前に、森田忠明さんが発行人となり展転社から発行されたのが『合同歌集・国風』である。森田さんが主宰していた「櫻風亭歌會」の呼びかけで85人もの人たちが歌を寄せている。道の兄と慕った故阿部勉さんを知る人たちが『国風』に掲載された阿部さんの歌の中から勝手に「辞世」としたのが、

 われ死なば火にはくぶるな「栄川」の二級に浸して土に埋めよ

である。生前の阿部さんを知る者は、「いかにも阿部さんの辞世にふさわしい」と思うに違いあるまい。「栄川」は福島の酒である。一時期、福島で雑誌の編集をしていた頃に愛飲したと思われる。阿部さんは、その酒に浸して土に埋めよ。と遺したが、歌川広重は反対に「我死なば焼くな埋めるな野にすてて飢えたる犬の腹をこやせよ」と詠んだ。二首ともに破天荒な辞世である。

『国風』には、今年の九月に還暦を直前にして亡くなられた藤本隆之さんも「朱夏・青春」と題した歌を寄せている。「朱夏(しゅか)」とは、季節の「夏」を示す言葉。転じて、人生の真っ盛りの年代、主に壮年時代を指す言葉として用いられる。藤本さんは、一水会の機関紙「レコンキスタ」の平成十八年の七月号にて横山孝平さんのインタビューの中で、民族派運動を志したきっかけは「鈴木邦男さんと野村先生の本を読んだこと」と答えている。「朱夏・青春」のなかに野村先生を意識したと思われる一首がある。

 さだめなきと辞世詠みたるその人の友へ残せる言の葉おもし

この時、藤本さんは三十五歳。正に「朱夏」、壮年時代であった。また、「たのしみは奴を肴に酒一合飲みすぎもせず飯を食ふとき」との歌もあるが、これを続けていればもう少し長生きできたであろうに。


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猶(な)お喜ぶ 歓情(かんじょう)の少年に似たるを。

2022-12-23 11:27:57 | 日記

12月22日(木)雨のち曇。

食欲がなく、朝食を抜いた。昼は、家族のお弁当の残りの牛丼、シジミの味噌汁。デザートはリンゴ。夜は、古い友人で千葉在住の周本昌山さんに招かれて、豪華な「ふぐ」を囲んでの一献会。気心の知れた人達ばかりと言うこともあって、和気藹々、忘年の酒席となった。

中国は北宋の政治家・詩人の韓維という人の詩に、同窓、同期会を詠んだものがある。

同榜(どうぼう) 同僚 同里の客

班毛(はんもう) 素髪(そはつ) 華筵(かえん)に入る

三盃 耳熱して 歌声発す

猶(な)お喜ぶ 歓情(かんじょう)の少年に似たるを

「同榜 」とは、科挙の合格発表の掲示板。したがって、「同榜 」は、同年に進士(科挙)の試験に合格したものを言う。そこに集まった面々のある者は「班毛」、ごま塩頭。またある者は「素髪」、真っ白な毛。皆さん老境に入っている。「華筵」は、華やかな宴会の席。歳のせいゆえ、三杯の酒で酒のせいで耳がほてり、もう歌声がおこる。最後の「猶(な)お喜ぶ 歓情(かんじょう)の少年に似たるを」の「歓情」は、喜びはしゃぐ気持ち。皆のはしゃぎようは、まるで若者、まだまだ若さを失っていない。それが、嬉しいのだ。ほぼ千年も前の同期会の詩だが、現代とほとんど変わらない。(『漢詩一日一首』一海知義著・平凡社)より。

世界一難関と言われた「科挙」に向き合うなどほとんど不可能だが、周本昌山さんのお世話で集まった人たちは、揃って国立大学、大学院を出た人ばかりだ。と言っても文科省ではなく法務省の方ですが。


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年の瀬の感慨。

2022-12-23 10:15:43 | 日記

12月21日(水)曇り。

朝食は、家族のお弁当の残りの半分残ったハンバーグ、マカサラ、ワンタンスープ、デザートにリンゴ。昼は、トースト二枚。伊豆高原の駅で買った「ニューサマー・オレンジ」のジャムをつけた。お供は、「モンカフェ」のコーヒー。夜は、手羽餃子、麻婆ナス、ジャガイモと鶏肉の煮物。お供は、「赤魔王」。酔狂亭にて独酌。

朝から忙しい一日だった。まず朝一でかかりつけの医者に行き、常備薬と万が一の時の解熱剤、カロナールを貰い、正月明けに病院を紹介して頂き、内臓のMRIを予約。その後に、事務所に行き郵便物の確認。車のガソリンを入れてから、こまごました買い物。自宅近くの畳屋に行き、畳の張替えをお願いした。畳を張り替えるのは何年ぶりの事だろう。新しい時のいぐさの香りが好きだ。

今年も残すところ10日余り。幾つになっても年の瀬の感慨というものにさほど変化はない。歌集『乳房喪失』で知られている中條ふみ子は、死の一年前の昭和28年、三十一歳の時に乳がんのために左乳房を摘出、その過程や結果を歌集『乳房喪失』の中に大胆に歌った。以後、死に向かって進む日々の生を見つめ続け、その呼吸を透徹した諦念のごとき表現の中にうたった。その中の一首に「灯(ひ)を消してしのびやかに隣にくるものを快楽(けらく)の如くに今は狎(な)らしつ」。意は「灯りもつれずにこそりと隣に忍び寄ってくるもの・・・死の影を、私は今ではあたかも快楽ように狎れ親しんでいます」(『辞世の歌』松村雄二著・笠間書院)。恥ずかしながら、とても真似のできることではない。

十勝生まれの中條かな子の波乱万丈な人生を描いたのが、渡辺淳一の『冬の花火』。読んだのは、随分前の事で、北海道時代の事だ。寒さに震えながら、読書三昧の修行をしたことが、とても懐かしい。

 

 

 


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漬物の話。

2022-12-22 15:32:24 | 日記

12月20日(火)晴れ。

朝食は、おでん、赤ウインナーに目玉焼き。昼食は、冷食の「焼きおにぎり」2個。夜は、おでん(いささか飽きた)、ミスジ肉、レタスの温サラダ。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

家庭菜園をしていてる方から、新鮮な野菜をどっさりと頂いた(22日)。見事な大根、人参、キャベツ、白菜、ネギにサニーレタス、ブロッコリー、里芋など。全てきれいに洗ってあり、恐縮した。新聞紙に包んで保存した。白菜はすぐに塩をふって「塩漬け」にした。2日ほどでちょうど良い味となる。大根の葉は、みじん切りにして、やはり塩をふって、20分ほどしてからさっと洗い、また塩を軽くふり、塩昆布と唐辛子を入れて、押し漬けにする。これがかなり美味しい。人参は、味噌漬けにするつもり。

漬物と言えば、嵐山光三郎さんの『文人御馳走帖』(新潮文庫)の中に、山頭火の「漬物の味」という文章があった。「私は長いあいだ漬物の味を知らなかった。ようやく近頃になって漬物はうまいなあとしみじみ味うている。清新そのものともいいたい白菜の塩漬もうれしいが、鼈甲のような大根の味噌漬もわるくない。辛子菜の香味、茄子の色彩、胡瓜の快活、糸菜の優美、しかし私はどちらかといえば、粕漬の濃厚よりも浅漬の淡白を好いている。よい女房は亭主の膳にうまい潰物を絶やさない。私は断言しよう、まずい漬物を食べさせる彼女は必らずよくない妻君だ!山のもの海のもの、どんな御馳走があっても、最後の点晴はおいしい漬物の一皿でなければならない。漬物の味が解らないかぎり、彼は全き日本人ではあり得ないと思う。そしてまた私は考える。漬物と俳句との間には一味相通ずるところの或る物があることを」。山頭火がまだ放浪の旅に出る前の時代の話だ。

 


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冬将軍。

2022-12-22 14:06:18 | 日記

12月19日(月)晴れ。

朝食は抜いた。いや二日酔い気味で食欲がなかった。昼過ぎに、何か辛いスープが飲みたくなって、たまに家族で行く焼き肉屋へ行きランチ定食に「カルビースープ」を頼んだら、残念な味だった。夜は、おでん、豚肉とキャベツ炒め。350ミリのドライビール2本でやめた。ほぼほぼ休肝日。

ロシアの攻撃でウクライナのインフラが大打撃を被っているそうだ。発電所がロシアのミサイルの標的になり、当然ながら電力不足で電気はおろか暖房も使えないらしい。ウクライナの冬の寒さは北海道の比ではないくらい寒いと、ラジオで辛坊治郎さんが言っていた。

「冬将軍」という言葉がある。冬季にシベリア方面からやって来る、強い季節風がもたらす厳しい寒さをいった言葉で、語源は、ナポレオンを敗退させた厳冬の史実に因んでつけられたものと『歳時記』にある。独ソ戦でヒトラーのドイツ軍を敗退させたのも、その「冬将軍」であったと言われている。ウクライナの人たちは、今度はその「冬将軍」とも戦わなければならない。

歳のせいもあって、寒暖に耐え難くなった。室内の温度が15度くらいになると、つい暖房を入れてしまう。貧乏性のせいか、何か後ろめたい気がする。我が街ヨコハマでさえ、これから寒さが厳しくなり暖房を使用する回数も増える。戦争は止められないかもしれないが、せめて暖房くらい大目に見てあげてほしいと、平和な日本に住む私は無責任にも思ってしまう。杞憂かもしれないが、今のウクライナの姿は、明日の日本の姿かもしれないのだ。防衛費が少しぐらい増えたからと言って、文句なんか言っている場合ではありません。


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