白雲去来

蜷川正大の日々是口実

函館のマグロ。

2022-12-14 12:35:30 | 日記

12月13日(火)曇り。

朝食を抜いた。朝食は、久しぶりの在宅仕事の愚妻と一緒に、後輩が函館から送ってくれたマグロの刺身と赤身の「ズケ」、シジミの味噌汁。昼間からマグロの刺身とは贅沢なものだ。夜は、いつもは残業で帰りの遅い子供に「美味しいマグロがあるので、今日は早く帰って」とラインして、マグロの刺身に野菜を中心とした鍋にインスタントラーメン入れ。トマトの中華風サラダ。お供は、日南の焼酎「赤魔王」。かなり美味しかった。酔狂亭にて独酌。

お刺身と言えば、外せないのが、大根の「ツマ」。刺身を買った時に一緒についてくる「ツマ」がどうも好きになれない。新鮮なものをと思って買ったのが「回転つまきり君」という機械。大根を挟んでハンドルを回すと、きれいなツマが出来る。多めに作って、伊勢佐木町の天ぷら屋の「登良屋」で教わった、ツマを焼きのりで巻いて醤油をつけて食べる。これが結構おいしい。他に、「しゃぶしゃぶ」の時にも、「つまきり君」で作ったツマをさっとお湯に入れてからゴマダレで食べる。

大根と言えば、「大根おろし」を作るのが手間がかかるので、専用の「おろしちゃん」と言うものを使っている。大根を上から入れて押しながらスイッチを入れると、すぐに「大根おろし」が出来る。便利な世の中になったものだ。


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児玉誉士夫先生の講演記録。

2022-12-13 16:19:56 | 日記

12月12日(月)晴れ。

朝食は、塩鮭、焼きのり、三浦大根の味噌汁。昼は、中華ちまき、水餃子。夜は、鮭のカマ、鶏肉とナス炒め、清風楼の焼売。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

朝食後から、原稿の校正、お歳暮のお礼状など、千手観音のように忙しかった。亡くなられた大磯の小早川貞夫先生の形見分けで頂いたのが、かつて白井為雄先生が発行していた機関誌『青年戦線』。その昭和45年9月号に、児玉誉士夫先生が佐世保で行った講演録が掲載されている。児玉先生と言えば、晩年、単に政財界の「黒幕」といったダーティーなイメージで語られることが多いのは、非常に残念である。確かに、第三者的に見れば、「黒幕」的な要素もあったかもしれない。しかし、青年時代から維新運動に挺身し、戦時中は海軍の特務機関として、お国に尽くしたこともまた事実である。

野村先生が、児玉先生の盟友であった河野一郎の新築の家を全焼させた事件で、囹圄の身にある時に、T川氏を通じて、何度も差し入れをして頂いたことがある。と野村先生から聞いたことがある。児玉先生の佐世保での講演の内容は、自身が作詞した『民族の歌』の解説で、これがとても良い。児玉先生の生き様を知るうえで、非常に貴重な内容である。ちなみに『民族の歌』は、青年思想研究会の会歌ともなっている。青年思想研究会の緒方孝明議長にご了承を頂き、弊社の機関誌『燃えよ祖国』に掲載させて頂く。

『民族の歌』はYouTubeなどで聴くことが出来るので、是非一度聴いてみて下さい。


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藤本隆之さんを偲ぶ会。

2022-12-12 10:09:35 | 日記

12月11日(日)曇り。

朝食は、サバの文化干し、焼きのり、ほうれん草の味噌汁。昼は、アルカディア市ヶ谷にて立食だったが、ほとんど手を付けなかった。夜は、ミスジ、マグロの粕漬、レタスの温サラダ、キュウリのナムル、トマトサラダ中華味。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

還暦を目前とした、今年の9月の16日に亡くなられた元展転社の藤本隆之さんを偲ぶ会が市ヶ谷の「アルカディア市ヶ谷」にて行われ出席。市ヶ谷の駅で、横山孝平氏と会い一緒に会場へ。藤本さんの人柄、人脈を示すように民族派から保守の論客、学者など約100名が参集した。12時30分から神式で慰霊祭。出席者を代表して森田忠明さんが玉串を奉奠。大原康男先生などが追悼の挨拶。一時より直会。

参加者の中には存じ上げていない方が2割ほどいた。久しぶりに笠原正敏さんとお会いする。岐阜から花房東洋先輩、反核防闘争以来の同志である森田文憲さん、昨日も一緒だった犬塚博英先輩や山平重樹さん、愛国党の舟川孝さんなどと藤本さんを偲んで歓談。閉会近くに、舟川さんに拉致されそうになったが、ぐっと耐えて会場を後にした。帰路、電車の中で『維新と興亜』の坪内隆彦さんが編んだという『藤本隆之遺文集ー尊皇愛国の志と情』を読む。藤本さんが横山孝平さんとの対談の中で、藤本さんが民族派運動に入るきっかけとなったのは、野村先生と鈴木邦男さんの本を読んだことによる。と話している。合掌。※写真は、山本之聞氏、山平重樹氏の日本学生同盟のOB、全国学協のOBの犬塚博英氏と蜷川。


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民族革新会議の忘年会。

2022-12-12 09:39:43 | 日記

12月10日(土)晴れ。

朝食は取らずに中華街へ。「安記」で朝粥と思ったが、午前中というのにお店の前には、列が出来ていた。中華街は凄い人である。良く分からないのは、せっかく中華街に来ているのに、アイスクリームを食べるために並んだり、小籠包や肉まんを食べるのに凄い人の列。それも道路で立って食べているのだから、何しに来ているのやら。

中華街の本通りのお店は、何処も混雑しているので、随分前から通っている「中華飯店」へ行く。久しぶりにお母さんが店に出ていた。ホールを仕切っているのはお孫さん。名物の「モツ炒め」と「牛バラ丼」に餃子。食後に自宅に戻り、着替えをしてから東京行き。

私が役員の末席を汚している「民族革新会議」の忘年会があり出席のために東京行き。電車の乗り継ぎが分からないので、大熊雄次氏に「乗換案内」をラインで送って頂いた。16時18分に保土ヶ谷駅から横須賀線で新橋へ。新橋から地下鉄銀座線で日本橋。東西線に乗り換えて木場まで。アパホテル木場前で大熊氏に迎えに来て頂き、民革の事務所へ。山口申先生ら民革の同人の皆さんにご挨拶。6時より場所を移して忘年会。

席上で、丸川、中川、鈴木の三氏が還暦を迎えたので、赤いちゃんちゃんで記念撮影。おめでとうございます。八時過ぎに民革の会歌である「梅と兵隊」を皆さんで歌って解散。還暦トリオの写真があるのだが、携帯からパソコンに移動できないのでこの次に。


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たまには正月らしくしてみるか。

2022-12-10 13:56:02 | 日記

12月9日(金)晴れ。

朝食は、伊豆高原の「山幸」のアジの干物、博多の明太子、インスタントのシジミの味噌汁。昼は抜いた。夜は、友人と自宅の近くの「浜一寿司」で一献。8時前に愚妻に迎えに来て貰い帰宅。楽しい酒席だった。

早や年の瀬。以前は、障子や畳を張り替えたり、お節を頼んだりして、一応、正月の準備をしたが、もう3年ほど障子も畳も張り替えていない。以前行っていた、仲良しさんたちとの「年越しの会」や新年会をやらなくなったこともあって、少々ズボラになってている。今年は頑張って障子くらい張り替えるとするか。

向田邦子原作のドラマが好きだ。戦前の日本の普通の家庭が描かれている。特に、家族が迎える正月の場面がとても懐かしい。家族が揃っての大掃除。もちろん障子も張り替える。正月になれば、皆着物に着替えて、正月の挨拶をしてから、お節料理を囲みお屠蘇で新年を祝う。私が子供の頃も、暮れになると母がお節料理を作り、正月になれば、買って貰った新しいジャンバーとズボンに着替えて、正座して母に「おめでとうございます」と新年の挨拶をしたものだ。お節料理とお雑煮。炬燵の上には必ずミカンが山盛りとなっていた。

来年の正月は、そんな昔を思い出して、正月らしくしてみるか。


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