白雲去来

蜷川正大の日々是口実

中華街は、ラッシュの人波。

2023-05-16 12:19:10 | 日記

5月6日(土)晴れ。

朝食は抜いた。午後から上の子供と一緒に中華街へ。凄い人である。まるでラッシュ時の駅のように人が溢れ、歩くのもままならない。失礼ながら、エッこんなお店が・・・。と思っていたお店にも人が並んでいる。三年間の隠忍自重を考えたなら、やっと春が戻って来たか。ホッとするやら、めんどくさいやらで複雑である。

11時30分の開店を待って「中華飯店」へ。賑やかな場所から少し外れているので、すんなりと入れた。このお店にはもう30年近く来ている。娘さんが若くして亡くなり、今ではその子供さんがお店を仕切っている。初代のおばあちゃんも相変わらず元気で頑張っている。子供が好きなのは「海老そば」。私はこのお店の名物の「モツ炒め」「モツの冷製炒め」「むしどり」。車で来たのでノンアルのビールを一本のみ。

その後に、伊勢佐木町の有隣堂にて書籍浴。ポンパドゥールでお茶をして、井土ヶ谷駅近くのスーパーで夕食の買い物をしてから帰宅。久しぶりに上の子供と一日一緒にいた。


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甍(いらか)の波と雲の波。

2023-05-13 16:58:07 | 日記

5月5日(金)晴れ。

私が子供の頃は、横浜の下町だったせいもあり、お金持ちの家には大きな鯉のぼりが泳いでいた。今では、鯉のぼりを立てるような広い庭のある家も少なくなり、鯉のぼりの泳ぐ姿を見ることがない。そして「こいのぼり」の歌も当然ながら歳と共に歌わなくなった。幼稚園や小学校の低学年の子供たちは、歌っているのだろうか。ちなみに私たちの世代では良く知られている「こいのぼり」の歌は二つある。

いらかなみとくものなみ かさなるなみのなかぞらを たちばなかおるあさかぜに たかくおよぐやこいのぼり

やねよりたかい こいのぼり おおきいまごいは おとうさん ちいさいひごいは こどもたち おもしろそうに およいでる

最初の歌の「いらかのなみ」とは「甍の波」と書き、屋根の瓦が重なり波のように見えることを歌ったものだが、都会では、瓦屋根のある家などほとんどない。台風で屋根が飛ばされないようにと瓦を葺く(かわらをふく=日本家屋の屋根を瓦で覆う瓦工事のことを)のだが、大きな地震が来ると、その瓦の重さで家がつぶれてしまうことがままある。台風は毎年来るが、家がつぶれてしまうような地震は何十年かに一度だ。

我が家の柱には「背比べ」の傷がある。子供が、幼稚園くらいの頃から中学生までのものだ。下の子供が、お姉ちゃんに負けまいと、背伸びをするのを、良く注意をしたものだ。柱の傷は、随分前の5月5日の背比べ・・・。


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怖い~話。

2023-05-13 16:02:46 | 日記

5月4日(木)晴れ。

朝食は、めぬけの粕漬、トロロこぶのスープ。昼は、ハムトースト一枚。夜は、エビフライ、ナスのフライ、玉ねぎのフライにキャベツの千切り。お供は、久しぶりに高知の酒「桂月」。

「山月記」や「李陵」と言った小説で有名な中島敦は一時期横浜の学校で教鞭を取っていたことがあり、彼の小説に因んだ記念碑が外人墓地や元町にある。その中島敦の「山月記」は清の時代に編まれた『唐人叢書』の「人虎伝」を素材にしていることを百田尚樹氏の『禁断の中国史』(飛鳥新社)で知った。いや中島敦のことを書くわけではない。百田氏のその本の中に、とてもエグイ話が出てくるので紹介してみたい。

前述の『唐人叢書』の中に、諸葛昴という人と高瓚(こうさん)という二人の大物が、ある時、互いに宴を競い合うことになった。二人とも相手を招待して豪華な食事や酒をふるまった。徐々に宴はエスカレートし、高瓚はその席で、十歳ほどの双子の女の子の頭、手、足を煮物にして別々の皿に盛って出した。これには当然ながら諸葛昴はじめ招かれた客は度肝を抜かれた。数日後に、今度は諸葛昴が高瓚らを食事に招いた。席に着いた高瓚の盃に、諸葛昴の愛妾が艶然と酌をした。この時、高瓚に微笑んだ愛妾を諸葛昴が叱り、彼女を退席させてしまった。

しばらくして、特大の銀の皿が出てきた。何と皿の上には先ほどの愛妾があぐらをかいたまま蒸しあがっていた。顔には化粧が施こされ、あでやかな衣装を着せられていた。諸葛昴は、まず自ら股の肉を切り取ると、高瓚の皿によそい、自分は乳房の脂身を取って食べた・・・。ホンマかいな、と思う私ですが、興味のある方は百田氏の本を読んでみて下さい。当然ながら、そんな話ばかりではありません。ちなみに本のサブタイトルは「読むのが怖い。4千年のタブーをすべて暴く」です。馴染みの「やまと」の「丸」がしばらく食べられそうにない。(笑)


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子供たちに叱られたことがある。

2023-05-11 15:42:09 | 日記

5月3日(水)晴れ。

『十字路が見える』の本の帯に、こういう文章がある。「私は、貧乏なのである。しばしば私の家に遊びに来る孫たちに、いつも言われる。爺ちゃんは、勉強ばかりしていてはいけないよ。きちんと仕事をしなくちゃ駄目だよ。ぼくの家は、パパが毎日会社に行っているから、大丈夫なんだよ。爺ちゃんは、勉強ばかりして貧乏でかわいそうだ。家だって、ぼくんちは真っ白だけど、爺ちゃんちは古い。四歳と三歳の、年子の男の子である」(「貧乏爺ちゃんは今日も征く」)

私も、子供が小さい頃に、同じようなことを言われたことがあった。二人の子供が、真面目な顔をして私の前に来て「とーたん質問」。「およその家に行くと、お父さんがいなくて、お母さんがいるのに、どうして家は、毎日、お母さんが会社に行って、とーたんがお家にいるの。毎日、何をしているの」。と聞かれたことがあった。「とーたんだって仕事をしているよ」。「何のお仕事をしているの」。「本を書いたり、雑誌を作ったりしているんだよ」。「どんな本を書いているの。見せてよ」。うーんこれには困った。当時、連載させて頂いていたのは『実話ドキュメント』や『実話時報』といったいわゆる「実話系」の雑誌や保守、民族派関係の機関誌・紙などである。さすがに子供たちにそれらを見せるわけには行かず、「大きくなれば分かるから」とあいまいに答えたら。「毎日、家に居て、お酒ばかり飲んで、ちえちゃん(女房のことです)が可哀そう」と泣かれてしまった。

その頃か、筑摩書房の月刊誌「ちくま」に、当時の編集長のお世話で、「読書論」を三回ほど書かせて頂いた。私の原稿の載っている所をさりげなく開いて、テーブルの上に置いておいたら上の子供が、妹に「ほら、とーたんの名前が出ているよ。ちゃんと仕事をしてるんだね」。


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「十字路」よりも「裏道」が気になる。

2023-05-11 14:33:59 | 日記

5月2日(火)晴れ。

朝食は抜いた。昼は、泊りに来ている下の子供と一緒に「カレーうどん」。夜は、子供たちと、ホットプレートで「お好み焼き」と「チヂミ」。個人的な意見だが、目玉焼きは、なぜかホットプレートで焼くと、ツルっとしてとても美味しい。不思議だ。

北方謙三の新刊『十字路が見える』(岩波書店)の四冊の内、一冊を買った。いや買って貰った。と言うのが正解である。上の子供と、中華街へランチを食べに行った帰りに伊勢佐木町の有隣堂に寄った。新聞の書評欄に、その本のことが掲載されていたので買おうかなと思ったが、一冊三千円もする。ためらって有隣堂の前のコーヒー店で子供を待っていたら、「買わなかったの?」と聞かれたので、「ちょっと高いからこの次にする」と答えたら、翌日に、買って持ってきてくれた。ありがたや。

確か『十字路が見える』はかつて『週刊新潮』で連載されていた。いつの間にか連載が終わってしまい、何かあったのかと思っていたら、業界のことは良く分からないが、連載をまとめた本は、新潮社からではなくて岩波書店から発売された。まあ読んで面白ければ、それで良しなのだが、業界も諸事情があるのだろうと、思った次第。むしろ「十字路」よりも「裏道」が見たい気もする。


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