白雲去来

蜷川正大の日々是口実

風船の破裂音に驚く外国の人。

2023-05-08 16:23:53 | 日記

5月1日(月)晴れ。

朝食は、昔ながらのナポリタン、豚汁。昼は抜いた。夜は、久しぶりに下の子供の好物のハンバーグ、ジャーマンポテト、そして酒の肴には、カツオのたたき、こんにゃく炒め、キュウリのナムル。お供は「黒霧島」。

海外の「ドッキリ・カメラ」のような番組をたまに見るのだが、面白くて嵌っている。多分南米のどこかの国で撮っているのだと思うが、仲間同士で雑談をしているところに後ろからそっと近づき、風船をパンと割る。すると、それをやられた人たちは、決まって、その場から蜘蛛の子を散らすように、必死の形相で逃げて行く。その場で、何?、何?とぼさっとしている人など一人もいない。一目散に逃げて行くのである。もし同じことを日本人にやったとしても、恐らく、走って逃げて行く人などいないに違いあるまい。一瞬、ドキッと驚きはするだろうが、パニックにはならないと思う。日本人の殆どが、銃声など耳にしたことがなく、風船の破裂音を銃声と勘違いすることは恐らくない。

風船の破裂音イコール銃声と感じる程、治安状態が悪く、銃声がしたら、逃げるか、その場に伏せるという行為が彼ら、彼女らの防衛本能なのだろう。むしろ日本人にとっては、銃声よりも、目の前で刃物を見ることの方が恐怖心が募るのではないだろうか。また映像に出てくる南米(多分)の国の道路や川がゴミだらけでとても汚い。あらためて日本が平和で清潔な国であることを実感する。しかし、面白すぎて、一時間ぐらい見続けてしまうので、近頃は避けるようにしている。


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易水送別。

2023-05-07 10:19:32 | 日記

4月30日(日)晴れ。

夜、咳が続いて中々眠れなかった。熱を測ったが36度、平熱で安心。朝食は、豚汁と錦糸町は「223」のキムチ。昼は抜いた。夜は、東京で友達と暮らしている下の子供が連休で帰って来たので、久しぶりに家族が揃って夕食。「シンシン」という肉、牛タン、エビのガーリック炒め、もやしのナムル、キムチ。喉の調子が悪いので、350ミリの缶ビール2本でやめた。

昼から、遅れている機関誌『燃えよ祖国』の283号の発送の準備。ドタバタしていて、横山孝平さんの連載を落としてしまった。反省しきりである。以下は、283号の私の「編集後記」。

日本のテロリストの原風景には、中国戦国時代末期の刺客、荊軻(けいか)にあると、何かの本で読んだことがある。荊軻は、燕(えん)の太子丹(たいしたん)の命を受けて秦に赴き、秦王政(後の始皇帝)を策略を用いて暗殺しようとした。荊軻の行為そのものよりも、易水(えきすい)のほとりでの送別の際に荊軻が詠んだとされる「易水送別」の詩に心を揺さぶられる人が多い。

 風蕭々(しょうしょう)として易水寒し。 壮士ひとたび去って復(ま)た還らず。

これは司馬遷(しばせん)の編んだ『史記』の中でも最も有名な場面とされている。倒そうとする相手への憎しみなどよりも、大義に殉ずる覚悟と悲壮感が後の世の人たちの感動を誘うのである。今回の岸田総理への襲撃事件の犯人にどんな思想信条と大義があるのだろうか。報道によれば逮捕以来黙秘しているという。良し悪しはともかく、一国の首相を襲撃したときに、その意義と意味を明らかにせずにいる青年の気持ちが理解できない。安倍元総理銃撃と今回の事件。我々にはそういった青年たちの怒りや哀しみを受け入れる存在ではなくなっているのだろうか。

 

 


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小樽から帰宅。

2023-05-07 10:01:36 | 日記

4月29日(土)晴れ。昭和節。

昨夜、直会が始まったのが遅かったので、転戦し最後は、町中華でシャンペンと言う盟友たちのご乱行にお付き合いして、時計を見たら深夜の3時過ぎ。慌ててホテルに戻る。酔っていたので寝間着を着ずに寝てしまった。8時起床。昨日のフォーラムの会場が寒くて、ちょっと辛かった。加えて、酔って寝てしまったので喉が痛く、咳が連続して出る。これで熱でもあったら、帰れないところだった。

起床後に、昭和天皇を偲び東方遥拝。10時に雪田顕正さんに迎えに来て貰い、盟友のo氏と鈴木信行さんをピックアップして一路小樽へ。犬塚先輩は横山孝平さんの車で小樽に向かう。行く先は、小樽の祝津という所にある、民宿と食堂の「青塚食堂」。ここに初めて来たのは、平成2(1990)年の夏のことだから、もう33年も前のことだ。民宿と言うよりも新鮮な海鮮料理のお店としても有名で、今では予約を入れないと、入れないくらいに繁盛している。鈴木信行さんは初めてと言うことで、すぐそばにある鰊御殿を見学。犬塚先輩と一緒に来るのは20年ぶりくらいか。写真を撮って頂いたのは、札幌の雪田顕正さん。当然ながら写っていない。札幌で群青忌を行った際には、家族でここに泊まったこともある。

1時30分まで飲んで、千歳へ。飛行機はスムースに羽田着。若い頃ならば、羽田に着いたときに「安着祝い」で一杯。という所だが、さすがに犬塚さんもo氏も、もちろん私も体力の限界で、解散。帰宅した。


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前田伏樹さんを偲ぶ「青年フォーラム」。

2023-05-06 17:50:22 | 日記

4月28日(金)晴れ。札幌にて。

8時に起床。シャワーを浴びてから朝食会場へ。良い天気なので食後に40分ほど街を歩いた。いつも夜にしか来ないので、地理が不案内だが、何となく見覚えのある建物が多い。そんなこともある訳もないのだが、街を歩いていると、今年の1月から行方が分からずにいる梶浦直樹君とバッタリ会うような気がしてならなかった。「おーい札幌に来ているよ。ちょっと顔を見せろや」。満開の桜を眺めつつ長年の同志であり、弊社の札幌の代表でもある梶浦君を思った。

昼は、盟友のお世話で、薄野の創作中華料理屋にてランチ。食後ホテルに戻り、休んでから、「札幌青年フォーラム」の行われる会場へ。会場には、懐かしい方たちが大勢出席していた。お世話になった初代学純同の総裁、大場俊賢先生や石井明道さん、坪岡公康さんや、岐阜の女傑、高木櫻さん、全日本愛國者團體會議(全愛会議)加盟で、先鋭的な運動で名を馳せている政治結社・江澤研究所の北海道支部のお二人、かつて名物警察官として有名で、現在は退職している小川さん、また東京からは勝又洋さんなど、出席している人の殆どが知っている人たちばかりだった。

雪田顕正さんや田中清元和尚の開会の挨拶の後に、主賓の大場先生が前田さんとの出会いと、東京時代のことを語られた。その後に、僭越ながら私も追悼の挨拶をさせて頂いた。最初の追悼講演は、鈴木信行さん。分かりやすくて、かつとても勉強になった。次は犬塚博英先輩。先輩の講演は圧巻で、中村武彦先生と野村先生との歌の解説の時には、思わず目頭が熱くなった。この時の講演は、近々弊社の『燃えよ祖国』に掲載させて頂きます。終了後に直会。前田さんを偲ぶ、とてもいい会合だった。田中清元和尚を始め、実行委員の皆さんに感謝する次第です。※平成20(2008)年札幌にて。左から、犬塚、田中、前田の諸氏と蜷川。


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札幌へ。

2023-05-06 17:21:52 | 日記

4月27日(木)晴れ。札幌へ。

朝食は抜いた。13時30分のJALで札幌行き。昨年の10月18日深夜に急逝した、学純同総裁の前田伏樹さんを偲ぶ「札幌青年フォーラム」が明日開催されるので、追悼講演をする犬塚博英先輩や、盟友のO氏と羽田で待ち合わせ。11時過ぎに羽田着。朝食を取っていなかったので、空港内の寿司屋へO氏と入る。20分ほどして犬塚先輩も合流。旅の無事を祈ってまずは一献。

千歳の空港には、後輩の雪田顕正さんに迎えに来て貰い、ホテルへ。ホテルでは、横山孝平氏も合流。夜は、田中清元和尚の肝いりで薄野の居酒屋「大助」にて地元の有志らとの懇親会。この「大助」に初めて来たのは、もう10年以上前のこと。このお店で、梶浦直樹君から雪田さんを紹介された。懐かしい思いのあるお店である。すっかりお世話になり、その後一軒転戦してホテルに戻る。爆睡する。


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