第69回金盃。本田正重騎手がこのレースの馬場への入場のときに落馬して肋骨を4本骨折したため,クリノドラゴンは安藤洋一騎手に変更。
ヒミノフラッシュ,セイカメテオポリス,ローズボウル,クリノドラゴンの4頭は発馬後にすぐ控えました。好発はアイブランコでしたがすぐ外からヒーローコールが前に出ての逃げ。ラッキードリームとリベイクフルシティが2番手で追い4番手にタイガーチャージ。4馬身差でミヤギザオウ。1馬身差でヴィアメント。2馬身差でキリンジ。1馬身差でアイブランコ。2馬身差でカイルとヴェルテックス。1馬身差でローズボウル。2馬身差でヒミノフラッシュ。1馬身差でマンガン。2馬身差でセイカメテオポリス。最後尾にクリノドラゴンで発馬後の向正面を通過。正面に入ってペースが落ちたので各馬の間隔は縮まり,最後尾だったクリノドラゴンが9番手まで進出しました。最初の1000mは66秒1の超スローペース。
2周目の向正面ではヒーローコール,リベイクフルシティ,ラッキードリームが半馬身の間隔で前を占め,3馬身差でタイガーチャージとミヤギザオウとヴィアメント。さらに3馬身差でキリンジ。3コーナーでは前の3頭が横並びになりましたが,一気にスパートしたキリンジが外から捲り,勢い余ってかなり外に出てしまいましたが,直線の入口では先頭。そこからは離す一方となって圧勝。2着争いは前で粘った馬と差し込んできた馬で大激戦になりましたが,好位からしぶとく脚を使ったミヤギザオウが制して6馬身差の2着。逃げたヒーローコールが半馬身差で3着。
優勝したキリンジはこれが南関東転入初戦。JRA時代はジャパンダートダービーでの2着があり,その後に転入した兵庫では昨年のJBCクラシックで3着に入りました。実績からは南関東重賞では上位ですから優勝候補の1頭とみていましたが,圧勝になりました。ただこれは距離が影響したための着差という面があり,額面通りに受け取っていいかは分かりません。とはいえ重賞や大レースでも通用する馬ですから,距離が短くなっても今後も好走は必至の馬だと思います。父はキズナ。母の父はルーラーシップ。母の5つ上の半兄が2014年に鳴尾記念と毎日王冠を勝ったエアソミュールで3代母がアイドリームドアドリーム。
騎乗した大井の笹川翼騎手は戸塚記念以来の南関東重賞21勝目。金盃は初勝利。管理することになった大井の渡辺和雄調教師は南関東重賞13勝目。第61回以来となる8年ぶりの金盃2勝目。
吉田はスピノザの考え方を,その本性essentiaに存在existentiaが含まれている何か,いい換えれば第一部定義一により,自己原因causa suiである何かが,世界の内側から働いているから,自己原因ではない世界は存在するというように説明します。いうまでもなくこの何かは神Deusです。これだと結局のところスピノザも神をもち出しているのですから,吉田が例に挙げているデカルトRené Descartesと変わるところはないようにみえるでしょう。しかし第一部定理一八には意味があるのであって,超越的原因causa transiensとして神をもち出すのと内在的原因causa immanensとして神をもち出すのとでは,意味が異なるのだと吉田はいっています。そこで,内在的原因としての神というのが,どのような神であるのかということ,とくにそれは超越的原因としての神とはどのように異なるのかということを検証していきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/34/4b18a4c69b7b8b185d0654eefd7f1357.jpg)
第一部定理一五は,存在するすべてのものは神のうちにあるといっています。神が内在的原因であるということは,世界のすべてのものの内側で神が原因として働いているということを意味しなければなりません。これはそれ自体で明らかですから,これ以上の説明は不要でしょう。その一方で,すべてのものが神のうちにあるのだとすれば,このふたつ,つまり第一部定理一五と第一部定理一八は矛盾するのではないかという疑問が生じておかしくありません。ですがスピノザの哲学ではこれらは矛盾なく両立するのです。
神が世界に内在するというのは,たとえば山には山の,海には海の神が,同様に台所には台所の神が,便所には便所の神がというように,無数の神が世界のうちに内在するということを意味するのではありません。スピノザの哲学はそう理解してはいけないのです。むしろそのような仕方で第一部定理一八でいわれていることをイメージしてしまうと,スピノザがこの定理Propositioでいわんとするところを正しく理解することが困難になると吉田は指摘しています。このようなイメージで理解される神,正確にいうと無数の神ですから神々はというべきでしょうが,こうした神々は世界の全体を包摂するのには貧弱すぎる,吉田のことばをそのまま用いれば,そのような神々は世界の全体を包み込むにはしょぼすぎるです。
ヒミノフラッシュ,セイカメテオポリス,ローズボウル,クリノドラゴンの4頭は発馬後にすぐ控えました。好発はアイブランコでしたがすぐ外からヒーローコールが前に出ての逃げ。ラッキードリームとリベイクフルシティが2番手で追い4番手にタイガーチャージ。4馬身差でミヤギザオウ。1馬身差でヴィアメント。2馬身差でキリンジ。1馬身差でアイブランコ。2馬身差でカイルとヴェルテックス。1馬身差でローズボウル。2馬身差でヒミノフラッシュ。1馬身差でマンガン。2馬身差でセイカメテオポリス。最後尾にクリノドラゴンで発馬後の向正面を通過。正面に入ってペースが落ちたので各馬の間隔は縮まり,最後尾だったクリノドラゴンが9番手まで進出しました。最初の1000mは66秒1の超スローペース。
2周目の向正面ではヒーローコール,リベイクフルシティ,ラッキードリームが半馬身の間隔で前を占め,3馬身差でタイガーチャージとミヤギザオウとヴィアメント。さらに3馬身差でキリンジ。3コーナーでは前の3頭が横並びになりましたが,一気にスパートしたキリンジが外から捲り,勢い余ってかなり外に出てしまいましたが,直線の入口では先頭。そこからは離す一方となって圧勝。2着争いは前で粘った馬と差し込んできた馬で大激戦になりましたが,好位からしぶとく脚を使ったミヤギザオウが制して6馬身差の2着。逃げたヒーローコールが半馬身差で3着。
優勝したキリンジはこれが南関東転入初戦。JRA時代はジャパンダートダービーでの2着があり,その後に転入した兵庫では昨年のJBCクラシックで3着に入りました。実績からは南関東重賞では上位ですから優勝候補の1頭とみていましたが,圧勝になりました。ただこれは距離が影響したための着差という面があり,額面通りに受け取っていいかは分かりません。とはいえ重賞や大レースでも通用する馬ですから,距離が短くなっても今後も好走は必至の馬だと思います。父はキズナ。母の父はルーラーシップ。母の5つ上の半兄が2014年に鳴尾記念と毎日王冠を勝ったエアソミュールで3代母がアイドリームドアドリーム。
騎乗した大井の笹川翼騎手は戸塚記念以来の南関東重賞21勝目。金盃は初勝利。管理することになった大井の渡辺和雄調教師は南関東重賞13勝目。第61回以来となる8年ぶりの金盃2勝目。
吉田はスピノザの考え方を,その本性essentiaに存在existentiaが含まれている何か,いい換えれば第一部定義一により,自己原因causa suiである何かが,世界の内側から働いているから,自己原因ではない世界は存在するというように説明します。いうまでもなくこの何かは神Deusです。これだと結局のところスピノザも神をもち出しているのですから,吉田が例に挙げているデカルトRené Descartesと変わるところはないようにみえるでしょう。しかし第一部定理一八には意味があるのであって,超越的原因causa transiensとして神をもち出すのと内在的原因causa immanensとして神をもち出すのとでは,意味が異なるのだと吉田はいっています。そこで,内在的原因としての神というのが,どのような神であるのかということ,とくにそれは超越的原因としての神とはどのように異なるのかということを検証していきます。
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第一部定理一五は,存在するすべてのものは神のうちにあるといっています。神が内在的原因であるということは,世界のすべてのものの内側で神が原因として働いているということを意味しなければなりません。これはそれ自体で明らかですから,これ以上の説明は不要でしょう。その一方で,すべてのものが神のうちにあるのだとすれば,このふたつ,つまり第一部定理一五と第一部定理一八は矛盾するのではないかという疑問が生じておかしくありません。ですがスピノザの哲学ではこれらは矛盾なく両立するのです。
神が世界に内在するというのは,たとえば山には山の,海には海の神が,同様に台所には台所の神が,便所には便所の神がというように,無数の神が世界のうちに内在するということを意味するのではありません。スピノザの哲学はそう理解してはいけないのです。むしろそのような仕方で第一部定理一八でいわれていることをイメージしてしまうと,スピノザがこの定理Propositioでいわんとするところを正しく理解することが困難になると吉田は指摘しています。このようなイメージで理解される神,正確にいうと無数の神ですから神々はというべきでしょうが,こうした神々は世界の全体を包摂するのには貧弱すぎる,吉田のことばをそのまま用いれば,そのような神々は世界の全体を包み込むにはしょぼすぎるです。
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