ふるさとダービー函館の2日目メインの五稜郭賞。
三宅選手がSを取って佐々木選手の前受け。隊列が決まるのにやや時間を要しましたが,後閑選手が4番手で山崎選手は8番手から。残り2周のバックで後閑選手が先に動いて佐々木選手を抑えると,これに乗って動いてきた山崎選手が打鐘過ぎに抑えて先行態勢。佐々木選手は7番手で,一列棒状となりました。このまま最終ホームから山崎選手が先行。バックから捲っていった佐々木選手がほとんど車を出せず,事実上の不発に終りましたので,前で決まるのかと思いましたが,3コーナー過ぎから踏み出した後閑選手と山崎選手の番手から出た佐藤選手の間を神山選手が直線で急襲,鋭く伸びて1着。佐藤選手が2着で僅差の3着に山崎選手が逃げ粘りました。
結果的には北日本と関東が協力した6対3のようなレースとなり,佐々木選手には苦しくなりました。神山選手も絶好の展開とはいえないと思いますので,1着は立派。追込みに転向したとはいえこのメンバーで自力を選択しなかったのはやや気掛かりですが,今シリーズは好調とみてよさそうです。
『エチカ』において自己の類において無限な実在のひとつである無限様態modus infinitusについては,直接無限様態については第一部定理二一で,また間接無限様態についてはその次の第一部定理二二で言及されていますので,まずはそのふたつの定理Propositioをみていくことにします。
まずは第一部定理二一。
「神のある属性の絶対的本性から生ずるすべてのものは常にかつ無限に存在しなければならぬ,言いかえればそれはこの属性によって永遠かつ無限である」。
そして第一部定理二二。
「神のある属性が,神のその属性によって必然的にかつ無限に存在するようなそうした一種の様態的変状に様態化した限り,この属性から生起するすべてのものは同様に必然的にかつ無限に存在しなければならぬ」。
まず第一部定理二一についてですが,常に存在するというのが永遠に存在するという意味であるということは問題ないと思います。そして第一部公理一の意味により,自然Naturaのうちに存在するのは実体substantiaとその属性attributum,もしくは様態だけですので,ここですべてのものといわれているのが様態であるということも明白でしょう。したがって,この第一部定理二一の全体の意味は,もしも神Deusのある属性の絶対的本性を原因causaとしてある様態が生じるならば,この様態は永遠に存在し,また無限に存在する。つまり,こうした仕方によって存在する様態は,この属性を原因として永遠aeterunusで無限な様態である,ということになります。ここでは無限であるということだけを問題としていますので,あとで証明する際にもそれだけを証明する予定ですが,この定理Propositioそのものの中には,この様態が永遠であるということも含まれているということになります。
三宅選手がSを取って佐々木選手の前受け。隊列が決まるのにやや時間を要しましたが,後閑選手が4番手で山崎選手は8番手から。残り2周のバックで後閑選手が先に動いて佐々木選手を抑えると,これに乗って動いてきた山崎選手が打鐘過ぎに抑えて先行態勢。佐々木選手は7番手で,一列棒状となりました。このまま最終ホームから山崎選手が先行。バックから捲っていった佐々木選手がほとんど車を出せず,事実上の不発に終りましたので,前で決まるのかと思いましたが,3コーナー過ぎから踏み出した後閑選手と山崎選手の番手から出た佐藤選手の間を神山選手が直線で急襲,鋭く伸びて1着。佐藤選手が2着で僅差の3着に山崎選手が逃げ粘りました。
結果的には北日本と関東が協力した6対3のようなレースとなり,佐々木選手には苦しくなりました。神山選手も絶好の展開とはいえないと思いますので,1着は立派。追込みに転向したとはいえこのメンバーで自力を選択しなかったのはやや気掛かりですが,今シリーズは好調とみてよさそうです。
『エチカ』において自己の類において無限な実在のひとつである無限様態modus infinitusについては,直接無限様態については第一部定理二一で,また間接無限様態についてはその次の第一部定理二二で言及されていますので,まずはそのふたつの定理Propositioをみていくことにします。
まずは第一部定理二一。
「神のある属性の絶対的本性から生ずるすべてのものは常にかつ無限に存在しなければならぬ,言いかえればそれはこの属性によって永遠かつ無限である」。
そして第一部定理二二。
「神のある属性が,神のその属性によって必然的にかつ無限に存在するようなそうした一種の様態的変状に様態化した限り,この属性から生起するすべてのものは同様に必然的にかつ無限に存在しなければならぬ」。
まず第一部定理二一についてですが,常に存在するというのが永遠に存在するという意味であるということは問題ないと思います。そして第一部公理一の意味により,自然Naturaのうちに存在するのは実体substantiaとその属性attributum,もしくは様態だけですので,ここですべてのものといわれているのが様態であるということも明白でしょう。したがって,この第一部定理二一の全体の意味は,もしも神Deusのある属性の絶対的本性を原因causaとしてある様態が生じるならば,この様態は永遠に存在し,また無限に存在する。つまり,こうした仕方によって存在する様態は,この属性を原因として永遠aeterunusで無限な様態である,ということになります。ここでは無限であるということだけを問題としていますので,あとで証明する際にもそれだけを証明する予定ですが,この定理Propositioそのものの中には,この様態が永遠であるということも含まれているということになります。