スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ペナルティー&無限と無限定

2007-08-12 20:25:58 | 将棋トピック
 自らの勘違いにより対局に現れず,不戦敗となった棋士が,罰金100万円のペナルティーを命じられたというニュースがありました。
 将棋連盟の米長会長の将棋の話によると,フリークラスの棋士が半年間対局をすると,仮にその間に1勝もできないとしても100万円強の収入があるということで,僕はこれについては調査のしようがありませんので,これから書くことは,この前提が正しいと仮定した上での話になります。
 かつて半年間の出場停止というペナルティーを課せられた棋士がいて,今回の処分はこの前例が基準となったようです。するとこれでみれば,今回の処分は半年間の出場停止よりは甘いことになります。出場停止の場合,勝つことによってさらに増える可能性のある収入も得られなくなるのに対し,今回の場合はその可能性が封じられたわけではありません。それより何より,棋士にとっては対局をするということ自体が喜びであると思われます。そう考えれば対局が禁止されないだけでもましだといえるでしょう。
 今回の処分に釈然としないものが残るのは,この100万円強が,フリークラスの棋士の収入を基準としている点。今回の処分を受けた中田七段はC級1組ですので,フリークラスの棋士より収入があると考えられ,まったく同じ理由によって処分されたフリークラスの武者野六段と比べれば,その処分が相対的には軽いことになります。しかしもしも逆に出場停止処分が下されていれば,同じ理由から中田七段の方が相対的に重い処分となっていたわけで,一律に処分を与えれば,棋士によって処分の重さが異なるということが分かります。
 しかし僕が思う最大の問題は,今回の処分が,明らかに過去に遡って下されていると思われる点。逆にいうと,これまでは不戦敗というのを不問に付してきたという歴史があるわけで,そのことの矛盾がここにきて一気に噴出してきたといえそうです。
 棋士の不戦敗というのは,会社員でたとえれば,無断欠勤に相当するわけで,それに処分が与えられるのは普通のことであり,僕は不戦敗には何らかの処分が必要と考えます。そして無断欠勤の処分が,大抵はその都度与えられるように,不戦敗の処分もその都度与えられしかるべきでしょう。またそうすることによって,過去に遡って処分するような矛盾も回避できると思われます。また,平社員の無断欠勤と部長の無断欠勤では意味合いが異なるでしょうから,立場に応じた処分というのも必要かもしれません。
 先月には,初の不戦敗となった中村亮介四段が処分されています。この処分が今後のひとつの基準となるのでしょうが,これは棋士の問題ですので,片上五段が一案を示していますが,棋士で決めればいいと思います。ただ,1度目より2度目,2度目より3度目といった具合に処分は徐々に重くされてしかるべきと思います。今回のように,何度か大目に見られた後でいきなり厳しい処分というのでは,物議をかもしても致し方ないでしょう。
 いずれにしても,明らかに本人に落ち度のある不戦敗にはその都度のペナルティーが必要で,そのペナルティーが,規則として定められていることが望ましいのではないかと思います。

 明日は小松島記念の決勝です。並びは武井-渡辺-法月の南関東,渡部-小倉-室井の四国,北津留-小野-藤野の九州。こう地区的にきれいな3分戦になるのは,記念の決勝では珍しいんじゃないでしょうか。

 ある事物が無限定であるといわれる場合には,実際にはその事物が有限であるということを含意しているわけですから,僕たちは,僕たちの精神があるものの限界を認識し得ないからといって,直ちにそれを無限であると考えてはいけないということになります。なぜなら,確かにその事物は無限であるかもしれませんが,実は単に無限定であるにすぎない,すなわち有限であるかもしれないからです。確かに僕たちは,僕たちにとって限界を知り得ないようなものについてそれを無限と考えてしまう場合が往々にしてありますから,このことにはよほどの注意が必要であると思います。
 しかし,事物が無限である場合と,単に無限定であるにすぎない場合とでは,もうひとつの大きな違いがあります。それはちょうど,『エチカ』において無限定ということばが使われる代表的な例として挙げた第二部定義五が,事物の持続に関連していわれているという点に関係しています。というのは,持続という概念は,スピノザの哲学においては第一部定義八の,永遠という概念に対応しているのであって,自然のうちに実在する事物,あるいは実在し得ると考えられるような事物はすべて,永遠のうちに,すなわち永遠から永遠にわたって実在するか,そうでなければある持続のうちに,すなわちある限られた時間のうちに実在するかのどちらかなのです。ここで無限定という概念が持続に関連して示されているということからも分かるように,無限定であるものは持続のうちに実在するのに対し,無限であるものは永遠のうちに実在するという相違もあるのです。
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