『カラマーゾフの兄弟』が面白かったので,ドストエフスキーの小説に関してはその後も読み続けました。僕の印象だとドストエフスキーの小説は心理小説であり,登場人物の心理描写の巧みさ,あるいはそのリアルさという点で,とくに秀でたものがあるように思います。また僕自身,ドストエフスキーの小説のそういった点にとくに面白さを感じ,ほかの作品も読もうと思ったといえるでしょう。ですのでこの面白さというのが分からない場合には,ドストエフスキーの小説には魅力を感じられないのではないかと思います。
そうして読んでいった小説の中に『賭博者』というのがあります。大作の多いドストエフスキーにあっては比較的短めの作品で,ルーレットで身を滅ぼしていく主人公の作品。ドストエフスキー自身,ルーレットが好きで,旅先で無一文になってしまった経験もあるそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/01/9e6356456c0902a46f6be7481d8f3c59.jpg)
競馬とか競輪などのギャンブルをやる方の多くには経験があると思うのですが,日によってどうしようもなく負けてしまうことがあります。『賭博者』はルーレットの話ですから事情は異なるのですが,ギャンブルで負けていくときの人間の心理というのが実にリアルに描かれています。あるいは自身の経験と重ね合わせることもできるかもしれません。ですからギャンブルをやるという方には,ドストエフスキーの小説の中では最もお勧めできる作品で,きっと面白く読めるのではないかと思います。
明日は北京オリンピック日本選手応援競輪の決勝。並びは後で平塚競輪のホームページの選手インタビューでアップされると思います。いずれにせよ先行1車ですので平原選手が有力でしょう。発走は午後8時です。
ここで無限である事物の性質に注目してみると,これは当然といえば当然のことですが,無限である事物というのは,有限ではないので無限であることができるわけです。そこでこれがどういうことかといえば,第一部定義二によって,無限である事物というのは,少なくとも同じ類に属するほかのもの,つまり,同一の属性に属するほかのものによって限定されるということはないということになります。
するとこのことの帰結として,無限である事物というのは,少なくともそれが属する属性に含まれるほかのすべてのものの本性あるいは実在性においては,これをそのうちに含んでいなければならないということが帰結されると僕は考えます。なぜならたとえばXとAが同じ属性に属すると仮定して,Aに含まれるような本性あるいは実在性がXには含まれていないのであれば,まさにそのことによってXはAによって否定,限定されるのであって,その限りでXは有限である,すなわち無限ではないということになると思うからです。よってこのことを逆に考えたならば,Xが無限であるためには,Aに含まれるような,あるいはA自身を表現するような本性や実在性が,Xのうちにも含まれていなければならないということになると思います。そしてここでいうAとはもちろん任意の対象であって,これはXと同じ属性に属するすべてのものに妥当します。したがって,ある事物が無限であるためには,その事物と同じ属性に属するすべてのものについて,その本性あるいは実在性をすべて含んでいなければならない,そしてこのことが無限である事物に一般的に含まれていなければならない性質のひとつであるということになると僕は考えるのです。
そうして読んでいった小説の中に『賭博者』というのがあります。大作の多いドストエフスキーにあっては比較的短めの作品で,ルーレットで身を滅ぼしていく主人公の作品。ドストエフスキー自身,ルーレットが好きで,旅先で無一文になってしまった経験もあるそうです。
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競馬とか競輪などのギャンブルをやる方の多くには経験があると思うのですが,日によってどうしようもなく負けてしまうことがあります。『賭博者』はルーレットの話ですから事情は異なるのですが,ギャンブルで負けていくときの人間の心理というのが実にリアルに描かれています。あるいは自身の経験と重ね合わせることもできるかもしれません。ですからギャンブルをやるという方には,ドストエフスキーの小説の中では最もお勧めできる作品で,きっと面白く読めるのではないかと思います。
明日は北京オリンピック日本選手応援競輪の決勝。並びは後で平塚競輪のホームページの選手インタビューでアップされると思います。いずれにせよ先行1車ですので平原選手が有力でしょう。発走は午後8時です。
ここで無限である事物の性質に注目してみると,これは当然といえば当然のことですが,無限である事物というのは,有限ではないので無限であることができるわけです。そこでこれがどういうことかといえば,第一部定義二によって,無限である事物というのは,少なくとも同じ類に属するほかのもの,つまり,同一の属性に属するほかのものによって限定されるということはないということになります。
するとこのことの帰結として,無限である事物というのは,少なくともそれが属する属性に含まれるほかのすべてのものの本性あるいは実在性においては,これをそのうちに含んでいなければならないということが帰結されると僕は考えます。なぜならたとえばXとAが同じ属性に属すると仮定して,Aに含まれるような本性あるいは実在性がXには含まれていないのであれば,まさにそのことによってXはAによって否定,限定されるのであって,その限りでXは有限である,すなわち無限ではないということになると思うからです。よってこのことを逆に考えたならば,Xが無限であるためには,Aに含まれるような,あるいはA自身を表現するような本性や実在性が,Xのうちにも含まれていなければならないということになると思います。そしてここでいうAとはもちろん任意の対象であって,これはXと同じ属性に属するすべてのものに妥当します。したがって,ある事物が無限であるためには,その事物と同じ属性に属するすべてのものについて,その本性あるいは実在性をすべて含んでいなければならない,そしてこのことが無限である事物に一般的に含まれていなければならない性質のひとつであるということになると僕は考えるのです。