スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

勝島王冠&喪中はがき

2010-12-01 20:45:55 | 地方競馬
 もう12月に突入しましたが,大井競馬の夜の開催は今週まで。今日がメインとなる第2回勝島王冠でした。セトノギムレットが出走取消で15頭。
 中央からの転入初戦となったバロズハートの逃げ。11頭はわりと一群の競馬で,その最後尾がボンネビルレコード。ツルオカオウジは3番手,マズルブラストは6番手,クレイアートビュンがその後ろ,ロイヤルボスはボンネビルレコードの前。最初の800mは49秒1でミドルペース。
 バロズハートの逃げは直線入口までで,2番手のグラストップガンがすぐに先頭へ。ここから広がって叩き合いになりましたが,ボンネビルレコードから離れた12番手を進んでいたスーパーパワーが,3コーナー過ぎから外を進出して追い上げ,そのまま直線も大外から伸びると内の馬をあっさりと交わし,突き抜けて優勝。叩き合った各馬からは,インから最後は外に出したボンネビルレコードがマズルブラストを捕えて2着。勝ち馬のさらに後ろから追い込んだサイレントスタメンが3着。
 優勝したスーパーパワーは前走でB1を2着になっていた完全な格下の伏兵。それだけにこの勝利にはかなり驚きました。ただその前走もスローペースを追い込んでのもので,末脚には確かなものがあり,今日はその鋭さが生きたというところ。僕は馬が自分の能力以上に走るということはあり得ないという考えですが,今後も活躍できるのかどうかはまだ半信半疑です。時計を2秒も詰めてのものなので,今が成長期にあるということはできるかもしれません。牝系は多くの活躍馬が出ている系統で,近いところでは祖母の兄にニュージーランドトロフィーを勝ったユーワジェームス
 騎乗した大井の真島大輔騎手は桜花賞以来の南関東重賞制覇。このレースはまだ2回目で管理する大井の鷹見浩調教師とともに初勝利。

 この百日法要から始まった1週間のうちにすませた雑事がひとつありまして,それが喪中欠礼のはがきを出しておくことでした。
 父の最期ということがありましたから,これはやっておかなければならないということは前々から分かっていました。ただ,母の異変があり,正直なところ伯母の来日まではそこまで手が回らない状況でした。その後,母とも相談しまして,基本的に僕に任せるということになりましたので,6日の土曜あたりから手をつけ始めたのです。もう年賀状も発売されていましたから,急ぐ必要もありました。
 本来ならパソコンとプリンターがあるわけで,自分で作るのが最善。ただ,やはりそこまでする時間的な余裕というのを作ることはできませんでしたので,印刷に関しては業者に頼むことに。母との相談の結果,250枚ほど作れば事足りるだろうということになり,その枚数で発注しました。およそ2万円弱。これははがきの値段込み。つまりはがきだけで12500円ですから,まずまずの値だったのではないかと思います。ネット上での発注ということもあり,実際にこのはがきが手元に届いたのは週が明けてから。今年の正月に届いた年賀状をもとに,宛名を書いては出すという繰り返しがこの週のうちは続き,それでも週末までにはほぼすべて終えることができました。
 ところが,これによって思わぬことが起きました。どうも母は,自分の友人たちには父が死んだということをほとんど知らせていなかったようなのです。このため,はがきを読んで父の死を知った何人かの母の友人たちから,自宅に頻繁に電話が掛かるようになりました。もちろん僕が応対するわけですが,当然のように母について聞かれます。聞かれれば入院していると答えるほかありません。相手は一様に驚くわけです。結果として,磯子中央病院まで母の見舞いに来る方が,これを機に一気に増えました。僕は父が医師の判断した余命よりも長く頑張れたのには,多くの見舞い客が訪れたことがその一因になったと思っていますが,この時期を境に母の回復が目に見えて顕著になったことにも,あるいはこうしたことが要因になったのかもしれないと思っています。
コメント
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