2歳牡馬の芝のチャンピオン決定戦となる第62回朝日杯フューチュリティステークス。
過去3戦と同様にここもサダムパテックは出遅れ。中山の芝1600mは内枠有利でオースミイージーの逃げ。シゲルソウサイが2番手で,その後ろは大渋滞。グランプリボスは中団の内に入り,サダムパテックは向正面ではかなり掛かって上昇していきました。前半の800mは46秒6でミドルペース。
直線は最内に進路を取ったリアルインパクト,逃げ馬の外に出たリベルタス,そして終始外を回ったサダムパテックの叩き合い。しかしこれを徐々に外に持ち出したグランプリボスが一桁上の末脚で捕えて優勝。最内のリアルインパクトが2着でリベルタスが3着。人気のサダムパテックは4着で,一番外から追い込んだ5着のリフトザウイングスまでは差のない入線。
優勝したグランプリボスは前走で前哨戦のひとつ,京王杯2歳ステークスを勝っていた馬。その前のデイリー杯2歳ステークスは負けていて,父がサクラバクシンオーということもあり,距離延長はひとつの課題であったと思います。そういう意味でいえば,11番という外目の枠ながら,うまく内に入れた騎手の手綱捌きが見事であったということになるのではないでしょうか。
騎乗したイタリアのミルコ・デムーロ騎手は一昨年のジャパンカップ以来となる日本での大レース制覇。朝日杯フューチュリティステークスは初勝利。管理している矢作芳人調教師は大レースは何度も2着で辛酸をなめてきましたが,ついに待望の初勝利になりました。
翌12月2日に,妹を作業所まで送った後,再び薬局に行き,取り寄せてもらった薬を受け取りました。
一方,母の方ですが,リハビリ病棟に移動した後,リハビリの時間が変更になりました。それまで2階にいたときは午後2時からだったのが,午前中が中心に。このために,面会時間内であればいつでも母に会うことができるようになりましたので,僕としてもあまり時間を考えずに見舞いに行かれるようになりました。また,病室の関係から母はすぐに別室に移動となったわけですが,この頃には歩行器を必要とはしなくなりました。つまり自分自身の脚だけで歩けるというところまで回復してきたわけです。10月11日の入院当初,そしてその後もしばらくの間は寝返りをうつことすらままならなかったわけですから,それを考えればよくここまで回復してきたものだと感心させられます。
ここまできますと,今度はリハビリもより高度なものになってきます。そのひとつが,常に病院内の施設で行っていたリハビリを,外で行うということです。実際,リハビリ施設の中,あるいは病院の中を歩くということと,表を歩くということでは,大きな相違があるのです。というか,僕はあまり気付いていなかったのですが,実は相違があったのです。
母は病院では業者の服,要するに寝間着ですが,それを借りていました。しかし病院の外に出て歩くということになれば,それで出ていくわけにはいきません。何より,病院の中というのは温度も保たれていますからその格好でもあまり問題ありませんが,季節的に外は寒いわけです。ということで,こうしたリハビリが開始されるのに合わせ,外出用の衣服というのも必要になりましたので,持って行きました。
母によると,外に出ることでまず問題となったのは2点ありました。ひとつはたとえば自動車など,ある程度のスピードで動く物体を見ていると,目眩がしてくるということで,もうひとつが,坂道を下るとやはり同様に目眩がしてくるという点でした。普通に外出する以上,そうしたものと出会うということは避けようがありません。よってまず外出によるリハビリは,そうしたものに対しても身体を慣らしていくということから始まったのです。
過去3戦と同様にここもサダムパテックは出遅れ。中山の芝1600mは内枠有利でオースミイージーの逃げ。シゲルソウサイが2番手で,その後ろは大渋滞。グランプリボスは中団の内に入り,サダムパテックは向正面ではかなり掛かって上昇していきました。前半の800mは46秒6でミドルペース。
直線は最内に進路を取ったリアルインパクト,逃げ馬の外に出たリベルタス,そして終始外を回ったサダムパテックの叩き合い。しかしこれを徐々に外に持ち出したグランプリボスが一桁上の末脚で捕えて優勝。最内のリアルインパクトが2着でリベルタスが3着。人気のサダムパテックは4着で,一番外から追い込んだ5着のリフトザウイングスまでは差のない入線。
優勝したグランプリボスは前走で前哨戦のひとつ,京王杯2歳ステークスを勝っていた馬。その前のデイリー杯2歳ステークスは負けていて,父がサクラバクシンオーということもあり,距離延長はひとつの課題であったと思います。そういう意味でいえば,11番という外目の枠ながら,うまく内に入れた騎手の手綱捌きが見事であったということになるのではないでしょうか。
騎乗したイタリアのミルコ・デムーロ騎手は一昨年のジャパンカップ以来となる日本での大レース制覇。朝日杯フューチュリティステークスは初勝利。管理している矢作芳人調教師は大レースは何度も2着で辛酸をなめてきましたが,ついに待望の初勝利になりました。
翌12月2日に,妹を作業所まで送った後,再び薬局に行き,取り寄せてもらった薬を受け取りました。
一方,母の方ですが,リハビリ病棟に移動した後,リハビリの時間が変更になりました。それまで2階にいたときは午後2時からだったのが,午前中が中心に。このために,面会時間内であればいつでも母に会うことができるようになりましたので,僕としてもあまり時間を考えずに見舞いに行かれるようになりました。また,病室の関係から母はすぐに別室に移動となったわけですが,この頃には歩行器を必要とはしなくなりました。つまり自分自身の脚だけで歩けるというところまで回復してきたわけです。10月11日の入院当初,そしてその後もしばらくの間は寝返りをうつことすらままならなかったわけですから,それを考えればよくここまで回復してきたものだと感心させられます。
ここまできますと,今度はリハビリもより高度なものになってきます。そのひとつが,常に病院内の施設で行っていたリハビリを,外で行うということです。実際,リハビリ施設の中,あるいは病院の中を歩くということと,表を歩くということでは,大きな相違があるのです。というか,僕はあまり気付いていなかったのですが,実は相違があったのです。
母は病院では業者の服,要するに寝間着ですが,それを借りていました。しかし病院の外に出て歩くということになれば,それで出ていくわけにはいきません。何より,病院の中というのは温度も保たれていますからその格好でもあまり問題ありませんが,季節的に外は寒いわけです。ということで,こうしたリハビリが開始されるのに合わせ,外出用の衣服というのも必要になりましたので,持って行きました。
母によると,外に出ることでまず問題となったのは2点ありました。ひとつはたとえば自動車など,ある程度のスピードで動く物体を見ていると,目眩がしてくるということで,もうひとつが,坂道を下るとやはり同様に目眩がしてくるという点でした。普通に外出する以上,そうしたものと出会うということは避けようがありません。よってまず外出によるリハビリは,そうしたものに対しても身体を慣らしていくということから始まったのです。