スピノザの哲学では理性はそれ自体では感情の抑制をすることができないのに対して,デカルトの哲学では,理性が感情を統御できることになっています。それがデカルトにとってのエチカすなわち倫理です。
両者の見解の差異は,形而上学の差異に起因すると僕は考えます。
デカルトにとって身体を構成する実体と精神を構成する実体は別の実体です。このためにデカルトの人間論は心身二元論といわれます。異なった実体に属するものがどうして一方が他方の原因となり得るのかということは問われなければなりませんが,ひとまずこの問いは無視しておきましょう。身体が属する実体と精神が属する実体が異なるのなら,身体の秩序と精神の秩序が一致する必要はありません。いい換えれば各々の能動と受動は一致する必要がありません。したがってデカルトは感情を身体に属するものとして,それが理性によって統御され得ると考えたのです。つまり精神の能動が身体の受動であり得ると考えたことになります。
スピノザの哲学では,身体が属する実体と精神が属する実体が同一です。よって精神の秩序と身体の秩序は完全に一致しなければなりません。ここからスピノザの人間論は平行論と命名されることになります。そして身体と精神が,その平行論における同一個体だと考えられるのです。いい換えればある人間の精神とは,その人間の身体の観念であると考えられるのです。したがって,精神が能動状態にあるときには,身体も能動状態にあるのでなければなりませんし,身体が受動状態にある場合には,精神も受動状態にあるのでなければなりません。ところが理性がそれ自体で感情を抑制するというのは,感情が身体に属するものと考える限り,精神の能動が身体の受動であると主張することです。なのでスピノザの哲学ではこれが不可能となるのです。
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第三部定義三においてスピノザは感情を,身体にも精神にも,すなわち延長の属性でも思惟の属性でも用いることが可能な概念として定義しています。こうした感情の定義が可能になっている要因も,スピノザが二元論ではなく平行論を選択したからです。デカルトの哲学ではこうした定義はあり得ないのです。
スピノザのレインスブルフへの移住が1660年の時点で完了していたことについては,さらに決定的とも考えられる記述が「レンブラントの生涯と時代」の中にあります。
ライデンに滞在していたファン・ローンを,スピノザが事前の通知なしに訪問できたのは,ローンがライデンにいることをスピノザが何らかの理由で知ったからです。スピノザはそれをローンに話していて,それによればスピノザはこのことを,訪問する前の晩に,家主のホーマンに教えてもらったのだそうです。つまりこの時点でスピノザが住んでいた家の家主はホーマンという人物であったのでなければなりません。
レインスブルフでのスピノザの住居の家主がホーマンであるということは,史実として確定できるようです。『ある哲学者の人生』では,ヘルマン・ホーマンの家に下宿していたとなっています。化学者で外科医とされています。ローンがホーマンを記述した部分は原語も明らかにされていて,Doctor Homanとなっています。単に苗字が一致しているというだけでなく,明らかに同一人物と確定できる材料といえるでしょう。スピノザはこの後,ローンをレインスブルフに誘い,ローンは2週間ほど滞在したそうです。誘うときにスピノザは,ホーマンの家にローンの部屋がとってあると言っていますから,一軒の住居を家主のホーマンに借りていたのではなく,ホーマンの家に下宿していたということとも辻褄が合うように僕は思います。
ナドラーによれば,このヘルマン・ホーマンというのは,コレギアント派の一員であったそうです。ナドラーはコレギアント派の会合に参加していた人物という主旨の記述をしていますが,コレギアント派というのは,はっきりと規定できる内容を有する宗派ではないと解するのが妥当と僕は思うので,ホーマンはコレギアント派であったといっているのと同じであると解します。
おそらくスピノザは,それ以前に会ったコレギアント派のだれかからホーマンを紹介され,レインスブルフに住むようになったのでしょう。ナドラーもそれは肯定します。ただ,移住の契機については,別の考え方を示しています。
両者の見解の差異は,形而上学の差異に起因すると僕は考えます。
デカルトにとって身体を構成する実体と精神を構成する実体は別の実体です。このためにデカルトの人間論は心身二元論といわれます。異なった実体に属するものがどうして一方が他方の原因となり得るのかということは問われなければなりませんが,ひとまずこの問いは無視しておきましょう。身体が属する実体と精神が属する実体が異なるのなら,身体の秩序と精神の秩序が一致する必要はありません。いい換えれば各々の能動と受動は一致する必要がありません。したがってデカルトは感情を身体に属するものとして,それが理性によって統御され得ると考えたのです。つまり精神の能動が身体の受動であり得ると考えたことになります。
スピノザの哲学では,身体が属する実体と精神が属する実体が同一です。よって精神の秩序と身体の秩序は完全に一致しなければなりません。ここからスピノザの人間論は平行論と命名されることになります。そして身体と精神が,その平行論における同一個体だと考えられるのです。いい換えればある人間の精神とは,その人間の身体の観念であると考えられるのです。したがって,精神が能動状態にあるときには,身体も能動状態にあるのでなければなりませんし,身体が受動状態にある場合には,精神も受動状態にあるのでなければなりません。ところが理性がそれ自体で感情を抑制するというのは,感情が身体に属するものと考える限り,精神の能動が身体の受動であると主張することです。なのでスピノザの哲学ではこれが不可能となるのです。
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第三部定義三においてスピノザは感情を,身体にも精神にも,すなわち延長の属性でも思惟の属性でも用いることが可能な概念として定義しています。こうした感情の定義が可能になっている要因も,スピノザが二元論ではなく平行論を選択したからです。デカルトの哲学ではこうした定義はあり得ないのです。
スピノザのレインスブルフへの移住が1660年の時点で完了していたことについては,さらに決定的とも考えられる記述が「レンブラントの生涯と時代」の中にあります。
ライデンに滞在していたファン・ローンを,スピノザが事前の通知なしに訪問できたのは,ローンがライデンにいることをスピノザが何らかの理由で知ったからです。スピノザはそれをローンに話していて,それによればスピノザはこのことを,訪問する前の晩に,家主のホーマンに教えてもらったのだそうです。つまりこの時点でスピノザが住んでいた家の家主はホーマンという人物であったのでなければなりません。
レインスブルフでのスピノザの住居の家主がホーマンであるということは,史実として確定できるようです。『ある哲学者の人生』では,ヘルマン・ホーマンの家に下宿していたとなっています。化学者で外科医とされています。ローンがホーマンを記述した部分は原語も明らかにされていて,Doctor Homanとなっています。単に苗字が一致しているというだけでなく,明らかに同一人物と確定できる材料といえるでしょう。スピノザはこの後,ローンをレインスブルフに誘い,ローンは2週間ほど滞在したそうです。誘うときにスピノザは,ホーマンの家にローンの部屋がとってあると言っていますから,一軒の住居を家主のホーマンに借りていたのではなく,ホーマンの家に下宿していたということとも辻褄が合うように僕は思います。
ナドラーによれば,このヘルマン・ホーマンというのは,コレギアント派の一員であったそうです。ナドラーはコレギアント派の会合に参加していた人物という主旨の記述をしていますが,コレギアント派というのは,はっきりと規定できる内容を有する宗派ではないと解するのが妥当と僕は思うので,ホーマンはコレギアント派であったといっているのと同じであると解します。
おそらくスピノザは,それ以前に会ったコレギアント派のだれかからホーマンを紹介され,レインスブルフに住むようになったのでしょう。ナドラーもそれは肯定します。ただ,移住の契機については,別の考え方を示しています。
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