スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

帰謬法&集落

2025-01-21 10:13:56 | 哲学
 スピノザは『エチカ』の第一部付録の中で,帰無智法は帰謬法とは異なるのだという主旨のことをいっています。スピノザがいっている帰無智法というのがいかなる方法を意味するのかということはすでに説明しましたから,ここで帰謬法というのがいかなる方法であるのかを説明しておきましょう。なお,スピノザ自身はそこで帰謬法がどのような方法であるのかを説明しているわけではありません。これは,帰謬法というのは一般的な方法であるのに対して,帰無智法というのはスピノザが命名したある方法のことを指すからです。つまり用語としていえば,帰謬法というのは一般的な用語ですが,帰無智法というのはスピノザがそこで使用した以外にはほぼ使われることがない用語です。
                       
 少なくとも哲学や数学,論理学などでは一般的用語ですが,僕は帰謬法という用語を使用したことはたぶんなかったと思います。当該部分で帰謬法と訳されているからここでも帰謬法といっただけであって,僕は基本的に背理法といいます。帰謬法と背理法はもしかしたら厳密には差異があるのかもしれませんが,僕は同じものと解しています。なので僕が背理法という用語を使っている場面は,それを帰謬法といい換えても成立すると僕は考えています。分かりやすい例をあげれば,スピノザは第一部定理一四証明で,Deusのほかに実体substantiaが存在するという仮定を与え,第一部定義四によってその実体の本性essentiamは何らかの属性attributumによって構成されるけれども,第一部定義六によって,神が無限に多くの属性infinitis attributisによってその本性を構成する以上は,仮定した実体の本性は神の本性を構成する属性と同一になる筈であり,これは第一部定理五に反するから,そのような実体は存在しないとし,実在する実体が神だけであると結論しています。このように,立てた仮定が不条理であるからそれは成立しないことを論証する方法methodusは背理法といわれ,それを帰謬法と同じ意味に僕は解しているということです。
 帰無智法は論証Demonstratioには何の役にも立ちません。他面からいえば帰無智法による論証は無効です。しかし帰謬法すなわち背理法は,論証の方法として有効なのです。

 スピノザは第一部定理八備考二で,同一の本性essentiaを有する複数のものが存在するなら,そのものの本性には存在existentiaが含まれず,すなわち第一部定義一により自己原因causam suiではないので,それが存在するためにその外部に原因causaを有していなければならないという主旨のことをいっています。このことをスピノザは次のような例で説明しています。たとえば20人の人間が現実的に存在するとします。この20人はいずれも人間ですから,人間の本性natura humanaという同一の本性を有します。このとき,20人の人間が現実的に存在する,より正確にいえばひとりでも19人でも21人でも100人でもなく20人であるということは,人間の本性には含まれません。これは20人ではなく何人であっても同じであって,一般に人間の本性には何人の人間が存在するということは含まれていないのです。しかし第一部公理三により,結果effectusが存在するためにはその原因も存在するのでなければなりません。よって20人の人間が現実的に存在する場合は,その20人それぞれが外部に原因をもっていなければならないということになります。
 吉田はこれをさらに進めます。たとえばある山間部の集落に20人が現実的に存在すると仮定しましょう。このときこの20人はすべて,集落を設立した人びとの子孫であったとします。これでこの20人が現実的に存在する原因が明らかになったかといえば,そうではないと吉田はいいます。なぜなら,集落を設立したのも人間なのですから,その本性に存在が含まれていないということは,現実的に存在しているとされている20人と同じです。したがってその人たちもかつて現実的に存在するようになった原因を外部にもっていなければなりませんし,またこの集落が設立されたのであれば,その人たちが集落を設立した原因といったものもこの人たちの外部にあることになるでしょう。なので,特定の集落を抽出して,その集落にある一定数の人間が現実的に存在するということを説明するために,現に存在しているその人びとの存在するようになった原因だけを特定しても不十分であることになります。そうしたことはすべて人間の本性には含まれていないからです。

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