21日に指された第55回新人王戦決勝三番勝負第二局。
高田明浩五段の先手で角換わり相腰掛銀。後手の服部慎一郎六段が待機策を採用したので,序盤も中盤も長い将棋になりました。
先手が馬で飛車取りを掛け,後手が飛車を逃げるという手順が続いたところ。このまま千日手になると思って見ていましたが,先手が打開しました。
☗9二歩☖8一飛☗8三香☖3一飛☗7六歩というのがその手順。後手は☖同歩☗同銀☖7五歩☗同銀☖同金と最も素直に応じました。
9三に馬がいたのでこのように打開したのですから,この局面では☗同馬と取れなければいけません。しかしそれは☖7四歩で先手の攻めが頓挫します。よって☗6七桂と打ったのですが☖8六金☗同金☖7四桂と切り返され,後手の勝ちになりました。第2図では☗7九飛の方が難しく,それでもダメなら千日手にするほかなかったようです。
連勝で服部六段が優勝。一昨年の新人王戦以来となる3度目の棋戦優勝。新人王戦は2度目の優勝となりました。
船旅を企画して出港したのに,いくら突風があったとはいえ,2時間や3時間でマストが折れてしまったというのは,本当のことだったか疑わせるような要素になると思います。ただ文脈を検討してみると,この船はそれほど手入れが行き届いていなかったコンスタンティンConstantijin Huygensのヨットだったという可能性が高く,それならそうなってしまったということもあり得るでしょう。なのでこの部分は,史実であったとしてもおかしくないですし,そうではなくヘンドリックHendrik Wilem van Loonの純粋な創作であったとしても,著しく不自然であるとはいえないことになるでしょう。
最後の晩に上演されたのがアリストファネスἈριστοφάνηςの『蛙Βάτραχοι』です。ファン・ローンJoanis van Loonは我々はそれをフォンデルJoost van Voendelの作であるかのように上演したと書いています。このフォンデルというのは詩人でもありまた戯曲も多く書いた人物です。この船旅がされた時期には存命で,おそらく有名であったでしょうから,ローンがこの人の名前を出していることは不自然ではありません。同様に,ヘンドリックがローンが書いたものだという体での創作にこの名前を持ち出すのも不自然ではないといえるでしょう。それからローンは我々は上演したといっているのですから,一行の6人で上演したと解するのが自然でしょう。
スピノザはロープで作ったとてつもなく大きなかつらをかぶり,ディオニュソスDionȳsosの役を演じました。そしてその上演中に,ヘブライ語の祈りを長々と唱えて熱演したので,一行に招かれて『蛙』を見に来た村人たちが大笑いして足を踏み鳴らしたので,スピノザはアンコールに応えなければなりませんでした。これは実際に応えたという意味に理解できる文脈になっています。
フォンデルの戯曲に『蛙』が実際にあったのかどうかは分かりません。ローンの記述ではフォンデルの作であるかのように上演したとなっているのですから,実際にそうした戯曲があるかないかは問わなくてよいでしょう。ただ,そうであるかのように上演したということは,フォンデルの戯曲が演劇として上演されるときに,どのような演出の下で上演されるのかということは,少なくともローンの念頭にはあったということでなければなりません。
高田明浩五段の先手で角換わり相腰掛銀。後手の服部慎一郎六段が待機策を採用したので,序盤も中盤も長い将棋になりました。
先手が馬で飛車取りを掛け,後手が飛車を逃げるという手順が続いたところ。このまま千日手になると思って見ていましたが,先手が打開しました。
☗9二歩☖8一飛☗8三香☖3一飛☗7六歩というのがその手順。後手は☖同歩☗同銀☖7五歩☗同銀☖同金と最も素直に応じました。
9三に馬がいたのでこのように打開したのですから,この局面では☗同馬と取れなければいけません。しかしそれは☖7四歩で先手の攻めが頓挫します。よって☗6七桂と打ったのですが☖8六金☗同金☖7四桂と切り返され,後手の勝ちになりました。第2図では☗7九飛の方が難しく,それでもダメなら千日手にするほかなかったようです。
連勝で服部六段が優勝。一昨年の新人王戦以来となる3度目の棋戦優勝。新人王戦は2度目の優勝となりました。
船旅を企画して出港したのに,いくら突風があったとはいえ,2時間や3時間でマストが折れてしまったというのは,本当のことだったか疑わせるような要素になると思います。ただ文脈を検討してみると,この船はそれほど手入れが行き届いていなかったコンスタンティンConstantijin Huygensのヨットだったという可能性が高く,それならそうなってしまったということもあり得るでしょう。なのでこの部分は,史実であったとしてもおかしくないですし,そうではなくヘンドリックHendrik Wilem van Loonの純粋な創作であったとしても,著しく不自然であるとはいえないことになるでしょう。
最後の晩に上演されたのがアリストファネスἈριστοφάνηςの『蛙Βάτραχοι』です。ファン・ローンJoanis van Loonは我々はそれをフォンデルJoost van Voendelの作であるかのように上演したと書いています。このフォンデルというのは詩人でもありまた戯曲も多く書いた人物です。この船旅がされた時期には存命で,おそらく有名であったでしょうから,ローンがこの人の名前を出していることは不自然ではありません。同様に,ヘンドリックがローンが書いたものだという体での創作にこの名前を持ち出すのも不自然ではないといえるでしょう。それからローンは我々は上演したといっているのですから,一行の6人で上演したと解するのが自然でしょう。
スピノザはロープで作ったとてつもなく大きなかつらをかぶり,ディオニュソスDionȳsosの役を演じました。そしてその上演中に,ヘブライ語の祈りを長々と唱えて熱演したので,一行に招かれて『蛙』を見に来た村人たちが大笑いして足を踏み鳴らしたので,スピノザはアンコールに応えなければなりませんでした。これは実際に応えたという意味に理解できる文脈になっています。
フォンデルの戯曲に『蛙』が実際にあったのかどうかは分かりません。ローンの記述ではフォンデルの作であるかのように上演したとなっているのですから,実際にそうした戯曲があるかないかは問わなくてよいでしょう。ただ,そうであるかのように上演したということは,フォンデルの戯曲が演劇として上演されるときに,どのような演出の下で上演されるのかということは,少なくともローンの念頭にはあったということでなければなりません。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます