北海道から2頭が遠征してきた昨晩の第70回平和賞。
逃げたのはハセノブライアン。向正面に入って2馬身くらいのリードになりました。2番手にガバナビリティーで2馬身差でアッカーマン。2馬身差でオニアシとウィルオレオールとキングミニスター。3馬身差でプレミアムハンド。2馬身差でプローラーティオー。レッドサラマンダーは8馬身ほど遅れました。頭数のわりに縦長の隊列でしたが前半の800mは51秒4のミドルペース。
3コーナーではハセノブライアンのリードは1馬身くらいに。ガバナビリティーとアッカーマンの差も縮まり,ウィルオレオールとキングミニスターまでの5頭が集団に。直線の入口ではガバナビリティーが先頭に。それを外からアッカーマンとウィルオレオールが追い,大外からプレミアムハンドの追い込み。直線先頭のガバナビリティーをフィニッシュ前にウィルオレオールが差し切って優勝。ガバナビリティーがクビ差で2着。大外のプレミアムハンドが5馬身差で3着。アッカーマンが1馬身差の4着で最内から脚を伸ばしたオニアシがアタマ差で5着。
優勝した北海道のウィルオレオールはここまで2勝。栄冠賞で2着があり,例年通りなら優勝候補になる馬。距離も前走でこなしていましたから,順当な優勝といっていいと思います。2着馬を差すのに苦労した感はありますが,見た目ほどペースが速くなかったことと,重馬場で前の馬がやや有利だったことが影響したからだと思います。父は2019年にデイリー杯2歳ステークスを勝ったレッドベルジュールでその父がディープインパクト。母の父がフサイチコンコルドで祖母の父がグラスワンダー。母の従弟に2021年のゴールドジュニアを勝ったママママカロニ。Aureoleは後光。
騎乗した北海道の石川倭騎手は南関東重賞は初勝利。管理している北海道の小国博行調教師は南関東重賞2勝目。第68回以来2年ぶりの平和賞2勝目。
スピノザがファン・デン・エンデンFranciscus Affinius van den Endenのラテン語学校でラテン語を学んでいたこと,そしてある程度までラテン語に習熟した後は助手的な役割を務めていたことは,おそらく史実です。そしてこのラテン語学校の授業に演劇があったということは確定的な史実です。だからといってそこで『蛙Βάτραχοι』が教材として用いられ,スピノザがそれを演じたことがあると確定することができるわけではありません。よって『レンブラントの生涯と時代The life and times of Rembrandt』で書かれていることが史実であり得たということを,このことだけでいうことはできません。もっと重要な史実があります。
ファン・デン・エンデンは,単に演劇を授業に取り入れていたというだけでなく,その演劇を生徒たちに上演させていました。ここでいう上演というのは,授業中に演じるとか,生徒たちの保護者にそれを見せるという意味ではなく,一般の観客から金を取って上演していたという意味です。つまり演劇は単に授業内容のひとつだったわけではなく,本格的な稽古を積んで,客に見せるためのものだったのです。そしてそうした公演の中にテレンティウスPublius Terentius Aferの劇作があり,その上演にスピノザが参加していたことはかなり確実だと『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』に書かれています。つまりスピノザが,ファン・デン・エンデンのラテン語学校の生徒のひとりとして,興行としての演劇に参加していたことは,史実としてかなり確定的にいえることです。
こうした演劇のためには,単に台本があるだけでは十分ではなく,演出が必要不可欠であるということは間違いないでしょう。おそらくその演出もまたファン・デン・エンデンがしていたと思われますが,演者として舞台を踏んでいたスピノザは,舞台演劇の演出がいかなるものであるのかということを,内部の人間として知っていたということは確実視することができます。さらにいえば,ナドラーSteven Nadlerがいうように,スピノザがエンデンの助手的な役割を果たしていたのだとすれば,ある時には演出の手伝いをしたことがあったとしてもおかしくありません。そしてそうであればなおのこと,スピノザは舞台演出がいかなるものであるのかということを,より知ることができたでしょう。
逃げたのはハセノブライアン。向正面に入って2馬身くらいのリードになりました。2番手にガバナビリティーで2馬身差でアッカーマン。2馬身差でオニアシとウィルオレオールとキングミニスター。3馬身差でプレミアムハンド。2馬身差でプローラーティオー。レッドサラマンダーは8馬身ほど遅れました。頭数のわりに縦長の隊列でしたが前半の800mは51秒4のミドルペース。
3コーナーではハセノブライアンのリードは1馬身くらいに。ガバナビリティーとアッカーマンの差も縮まり,ウィルオレオールとキングミニスターまでの5頭が集団に。直線の入口ではガバナビリティーが先頭に。それを外からアッカーマンとウィルオレオールが追い,大外からプレミアムハンドの追い込み。直線先頭のガバナビリティーをフィニッシュ前にウィルオレオールが差し切って優勝。ガバナビリティーがクビ差で2着。大外のプレミアムハンドが5馬身差で3着。アッカーマンが1馬身差の4着で最内から脚を伸ばしたオニアシがアタマ差で5着。
優勝した北海道のウィルオレオールはここまで2勝。栄冠賞で2着があり,例年通りなら優勝候補になる馬。距離も前走でこなしていましたから,順当な優勝といっていいと思います。2着馬を差すのに苦労した感はありますが,見た目ほどペースが速くなかったことと,重馬場で前の馬がやや有利だったことが影響したからだと思います。父は2019年にデイリー杯2歳ステークスを勝ったレッドベルジュールでその父がディープインパクト。母の父がフサイチコンコルドで祖母の父がグラスワンダー。母の従弟に2021年のゴールドジュニアを勝ったママママカロニ。Aureoleは後光。
騎乗した北海道の石川倭騎手は南関東重賞は初勝利。管理している北海道の小国博行調教師は南関東重賞2勝目。第68回以来2年ぶりの平和賞2勝目。
スピノザがファン・デン・エンデンFranciscus Affinius van den Endenのラテン語学校でラテン語を学んでいたこと,そしてある程度までラテン語に習熟した後は助手的な役割を務めていたことは,おそらく史実です。そしてこのラテン語学校の授業に演劇があったということは確定的な史実です。だからといってそこで『蛙Βάτραχοι』が教材として用いられ,スピノザがそれを演じたことがあると確定することができるわけではありません。よって『レンブラントの生涯と時代The life and times of Rembrandt』で書かれていることが史実であり得たということを,このことだけでいうことはできません。もっと重要な史実があります。
ファン・デン・エンデンは,単に演劇を授業に取り入れていたというだけでなく,その演劇を生徒たちに上演させていました。ここでいう上演というのは,授業中に演じるとか,生徒たちの保護者にそれを見せるという意味ではなく,一般の観客から金を取って上演していたという意味です。つまり演劇は単に授業内容のひとつだったわけではなく,本格的な稽古を積んで,客に見せるためのものだったのです。そしてそうした公演の中にテレンティウスPublius Terentius Aferの劇作があり,その上演にスピノザが参加していたことはかなり確実だと『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』に書かれています。つまりスピノザが,ファン・デン・エンデンのラテン語学校の生徒のひとりとして,興行としての演劇に参加していたことは,史実としてかなり確定的にいえることです。
こうした演劇のためには,単に台本があるだけでは十分ではなく,演出が必要不可欠であるということは間違いないでしょう。おそらくその演出もまたファン・デン・エンデンがしていたと思われますが,演者として舞台を踏んでいたスピノザは,舞台演劇の演出がいかなるものであるのかということを,内部の人間として知っていたということは確実視することができます。さらにいえば,ナドラーSteven Nadlerがいうように,スピノザがエンデンの助手的な役割を果たしていたのだとすれば,ある時には演出の手伝いをしたことがあったとしてもおかしくありません。そしてそうであればなおのこと,スピノザは舞台演出がいかなるものであるのかということを,より知ることができたでしょう。
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