スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

印象的な将棋⑲-8&第四部定理四七備考

2024-06-15 19:07:22 | ポカと妙手etc
 ⑲-7の第2図は,先手玉は詰まないのですが局面は後手の勝ちです。なぜならここで☖5八とと金を取る手が成立するからです。
                                        
 ここまできてしまうと盤上の駒の数に違いがありますから,先手が受け切るということはできません。受け続けていけばいわゆる一手一手の寄りになります。なので先手が勝つためにはここで後手玉を詰ますほかないのですが,この局面は2六に打った角と4九に打った飛車という2枚の大駒が,先手玉に対する寄せだけでなく後手玉の受けにもよく働いています。なのでここから先手が攻めていっても後手玉は寄らず,後手の勝ちになります。要するに第1図は先手が攻めても受けても勝てないので,後手の勝ちなのです。
 とても長くなりましたが,⑲-2の第2図で,後手が☖4六歩と銀を取れば,とても難解な変化ですが後手が勝ちであったということは分かりました。

 第四部定理四七備考でいわれていることのうち,何か特筆しておくべきことがあるとすれば,これはスピノザ自身も指摘していることではありますが,安堵securitasと歓喜gaudiumが認識cognitioの欠乏privatioと精神mensの無能力impotentiaを表示しているといわれている点でしょう。これらふたつの感情affectusは喜びlaetitiaなのですが,それでも希望spesと同様の評価が下されているのです。なぜそのような評価が下されなければならないかといえば,このふたつの感情は,希望および不安metusの先行を前提としているからであって,第四部定理四七でいわれているように,それ自体では善bonumであり得ない感情なのであり,認識の欠乏および精神の無能力を表示しているのです。
 ただ,僕がいっておいたように,現実的に存在する人間というのは,未来の事柄に対しては確実ではあり得ないのであり,すべての人間の精神mens humanaが等しく無能力であるといわなければなりません。ではその無能力を表示しないようにはどうすればいいのでしょうか。それは,同じ備考Scholiumの中で,スピノザがいっていることが指標となります。
 「我々が理性の導きに従って生活することにより多くつとめるにつれて我々は希望にあまり依存しないように,また恐怖から解放されるように,またできるだけ運命を支配し・我々の行動を理性の確実な指示に従って律するようにそれだけ多く努める」。
 僕たちは理性ratioに従ったからといって,未来のことを確実に見通せるといういうわけではありません。しかし理性に従うことによって,希望に依存したり不安に苛まれないようにすることはできるのです。できるというのは,完全にそうできるということではなく,より少なくすることができるという意味です。これはこの備考の中で,あまり依存しないように,とか,できるだけ努めるconari,といったいい方がなされていることから明らかでしょう。これはもちろん,第四部定理四系にあるように,僕たちが受動passioから完全に解放されるということは不可能なことであって,そのために希望や不安を感じることから完全に逃れることは不可能であるからです。ただ,僕たちは,希望や不安といった受動感情が表示するpotentiaよりも多く自分の理性という能動actioの力を多く表示することはできるのです。

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