スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

JBC協会賞農林水産大臣賞典ブリーダーズゴールドカップ&第一部定理八

2007-08-16 22:37:29 | 地方競馬
 美浦・栗東の両トレーニングセンターにいる馬の中から馬インフルエンザに感染している馬が発見され,この影響でJRAに所属する馬の移動が大幅に制限され,今日の第19回ブリーダーズゴールドカップに出走の予定だった4頭もやむなく競走除外ということになってしまいました。
 笠松や兵庫からの参戦もありましたが,こうなれば同じ旭川の2300で行われた6月のステイヤーズカップの再戦模様。そのときは出走していなかったバンブーボカが逃げ,ギルガメッシュが2番手でマーク。直線に入ると並びかけ,そのまま抜け出して優勝。中団から追い上げてきたビーファイターが2着で,3番手でレースを進めたオースミシュネルが流れ込んでの3着と,ステイヤーズカップとまったく同じ結果になりました。
 優勝したギルガメッシュは重賞初制覇。勝ちタイムの2分36秒2はお世辞にも速いとはいえず,はっきりメンバーに恵まれたと思います。まだ4歳で成長力があることは間違いありませんが,現時点では残念ながら全国レベルとはいいがたいのではないかと思います。父はサクラローレル
 馬インフルエンザに関しては,後日,何らかの記事をアップするつもりです。

 明日は松戸記念の決勝。並びは矢口-神山-阿部の関東,石毛-山田孝司の南関東,金子-山田裕仁の中部,三ツ石-加倉の西国で4分戦。やはり3車の関東勢が有利ではあるでしょうが,金子選手に魅力を感じます。

 今回のテーマは無限と有限ということですので,まず無限infinitumであるものの実在について考え,それが永遠aeterunusのうちに実在するということを,第一部定理七を利用して,実在的な意味で証明しました。しかし,実際にスピノザが『エチカ』に配置した順序では,先に実体substantiaが自己原因causa suiであるということ,したがって実体が実在するならばそれは永遠のうちに実在するということが第一部定理七で名目的に証明され,その後で,そうした実体というのは無限であるということが次の第一部定理八で示されています。この第一部定理八というのは,今後の考察の上でひとつの導入部分になりますので,ここでみておくことにします。
 「すべての実体は必然的に無限であるOmnis substantia est necessario infinita.」。
 すでに何度もいっているように,僕は『エチカ』の第一部定理八まではすべて名目的なものであると考えています。第一部定理七に関してはそれでも実在的に解釈する余地があると思われ,そのために今回の考察ではそのような仕方で証明しましたが,この第一部定理八に関しては,僕には実在的には考えることができません。というのは,すべての実体といういい方は,実在的に解釈するならば,明らかに複数の実体が実在することを含意していると思われるのですが,実際には,実在する実体というのは神Deusだけだからです。したがって,この第一部定理八に関しては,ここでも名目的なものと理解します。ですので,第一部定理七に関してはここでは実在的に証明しましたが,もしも第一部定理八の証明に第一部定理七を利用する場合には,あくまでも第一部定理七は名目的に正しいということを前提とすることにします。実在的に正しいものは名目的にも必ず正しくなりますので,そこには矛盾はないものと考えます。
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クラスターカップ&第一部定理七証明

2007-08-15 22:38:04 | 地方競馬
 昨年までは盛岡の1200メートルで行われていましたが,第12回クラスターカップからは水沢の1400メートル。しかし2日続けて1400メートルのJpnⅢをやる意義があるのかどうか,いささか疑問に感じます。
 発走でタイキサファリが落馬するというアクシデントはあったものの,アグネスジェダイが逃げ,メイショウバトラーが2番手でこれをマーク。ここでは実力上位の2頭が前にいき,ほとんどマッチレースという印象。直線ではメイショウバトラーが楽に差し,3馬身の差をつけて快勝しました。アグネスジェダイが2着で,3着は中団から追い込んできたテンショウボスできわめて固い決着。
 優勝したメイショウバトラースパーキングレディーカップに続き,これで4連勝。2着と3着が9馬身も開いたように,今日はアグネスジェダイを負かせば勝てるというレース。武豊騎手も明らかに的を絞ったような騎乗でした。父はメイショウホムラ
 アグネスジェダイも力は出し切ったものと思います。今日はいかにも相手が悪すぎました。

 明日は旭川でブリーダーズゴールドカップ。ここはJRA勢の争いが濃厚。順番は,メイショウトウコン◎,マイネルボウノット○,オリンピアンナイト▲,アルドラゴン△で。発走は19時55分。

 ここでは第一部定理七を次のように証明します。
 まず,もしもある実体substantiaが実在するなら,第一部公理三により,この実体が実在する何らかの原因causaがなければなりません。そこでこの原因は,その実体自身のうちにその実体の本性essentiaとして含まれているか,そうでなければほかのもののうちにあるかのどちらかです。これはそれ自体で明らかだといっていいでしょう。そこでもしもほかのもののうちにその実体が実在する原因があると仮定すると,第一部公理四により,この実体の認識cognitioはその原因の認識に依存するということになります。ところが,第一部定義三によれば,それ自身によって認識されるもののことを実体というわけですから,これは不条理であるということになります。このことから,実体の本性にはその存在existentiaが含まれるか,そうでなければ実体は実在しないかのどちらかであるということが帰結するのですが,絶対に無限な実体である神Deusが実在するということは,第一部定理一一から明らかになっていますから,実体が実在しないということもまた不条理で,したがって,実体はそれ自身の本性のうちにその存在を含むものとして実在するということになります。したがって実体は必然的にnecessario,つまり永遠aeterunusのうちに実在するということになるでしょう。
 僕の考えでは,第一部定理七は名目的な定理Propositioですので,その観点からはこのような証明Demonstratioが必要であるとはいえません。ただ,ここではこれを実在的な意味で証明する必要がありましたのでこのような証明になりました。
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農林水産大臣賞典サマーチャンピオン&第一部定理七

2007-08-14 22:39:08 | 地方競馬
 ヨーロッパ遠征で2週間ほど日本を留守にしていた武豊騎手も帰国,早速参戦してのレースとなった佐賀の第7回サマーチャンピオン
 ほぼ一斉の発馬ということで,内枠のフサイチホクトセイとキングスゾーンが前に出ましたが,最初のコーナーまではある程度の距離があったので,大外のディバインシルバーが先手を奪いました。ムーンバレイは中団,オフィサーは後方。
 向正面でキングスゾーンが先頭に。これをめがけて外を回った各馬が襲い掛かり,直線ではキングスゾーンとオフィサーの叩き合いに。勢いはオフィサーが勝り,一旦は差したように見えるのですが,ゴール直前でキングスゾーンが一踏ん張り。オフィサーを頭差抑えて優勝となりました。2着にオフィサー,3着はムーンバレイで順当な決着。
 優勝した愛知のキングスゾーンはこれが待望の重賞初制覇。今日はメンバーに恵まれた感もありますが,自ら勝ちにいく強気な競馬をしてのものですから,ある程度の価値はあると思います。1400メートルがベスト。これまで,重賞は左回りの方が活躍できていましたが,右回りで勝てたのは収穫でしょう。父はキングヘイロー
 2着のオフィサーはメンバー次第では重賞で勝てるだけの能力はあると思いますが,前半に置かれがちですので,そのあたりが課題になってきます。
 3着のムーンバレイはどうやら遠征に関しては克服できたと思います。この馬は右回りの方が走れるということでしょう。

 明日は水沢でクラスターカップ。ここはメイショウバトラー◎が中心で,相手もアグネスジェダイ○。ほかではテンショウボス△とヤマニンエグザルト△。

 大井では黒潮盃。こちらはロイヤルボス◎が中心になりますが相手は難しく,コピエトドリーム○,パルパディア▲,ジェイドロボス△,ソーニャドリーム△で。

 第二部定義五の正当性が明らかになることで,無限定であるものが一定の持続duratioのうちに実在するということが分かりましたので,今度は,無限infinitumであるものが永遠aeterunusのうちに実在するということを明らかにしていくことにします。これについては様ざまな方法が考えられるのですが,ここでは第一部定理七を利用することにします。このような定理Propositioです。
 「実体の本性には存在することが属する」。
 まず,これによってどうして無限であるものが永遠のうちに実在するといえるのかを説明します。無限である実在は,絶対に無限な実在である神Deusと,自己の類において無限な実在である神の各々の属性attributum,そしてこれら各属性の直接無限様態と間接無限様態です。しかしこのうち無限様態modus infinitusについては,すでに第一部定理二一と二二によって,永遠であるということが明らかになっていますので,これは問題になりません。一方,属性は第一部定義四により,実体substantiaの本性essentiamを構成しますから,実在する唯一の実体である神が永遠であることになれば,属性もまた永遠であることになります。
 ここで用いる第一部定理七は,僕の考えでは名目的な定理ですが,実在する実体がだけである以上は,実在的に解釈すれば,神の本性naturaには神の存在existentiaが属するということになるでしょう。そのものの本性にその存在が属するなら,このものの存在を排除する原因causaはあり得ませんので,そのものは必然的にnecessario,すなわち永遠に実在することになります。よって,この第一部定理七が正しいということが証明できれば,無限であるものが永遠であるということもまた証明できるということになるのです。
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小松島記念&第二部定義五

2007-08-13 22:42:05 | 競輪
 今日の小松島競輪場には雨が降ったようで,その中での記念競輪決勝となったため,アクシデントが起こってしまいました。
 前受けしたのは武井選手。渡部選手が中団で後方から北津留選手。北津留選手の上昇に合わせて渡部選手も上がっていったため,残り2周のホームでごちゃつき,渡部選手が落車。さらにこのあおりで,武井選手も車体故障を起こしてしまったようです。
 バックで北津留選手が前を抑え,九州3人が出きって後ろに小倉選手と藤野選手。武井選手の車体故障を見越して渡辺選手が打鐘から追い上げると,北津留選手が発進。この番手が内の小野選手と外の渡辺選手で取り合いになりました。この競り合いがバックまで続き,3コーナーでようやく小野選手が死守して決着。直線で北津留選手に迫りましたが,楽な形での逃げと競り合っての番手確保ということもあり,及ばずに北津留選手が逃げ切って優勝。小野選手が2着で,3着は直線で内を突いた室井選手を抑えて藤野選手。九州の上位独占となっています。
 優勝した福岡の北津留翼選手はこれが記念競輪初優勝。とはいえ競輪学校90期。まだ22歳で,デビューして2年3ヶ月ほどですから,今後が楽しみといえるでしょう。ただし今日のレースに限っては,3分戦で,残りふたりの自力型にアクシデントがあったということで,恵まれたという面は否定できません。番手の競り合いが長く続いた影響で,小倉選手もなかなか自力で捲っていくことができなくなったのも,ひとつ有利な材料でした。

 変わって明日からは松戸記念。僕は神山選手に注目します。昼の開催です。

 明日は佐賀でサマーチャンピオン。このメンバーなら愛知のキングスゾーン◎が中心。能力では同じ愛知のムーンバレイ○ですが,遠征競馬は微妙。オフィサー▲と地元のザオリンポスマン△も。

 それでは,事物が無限infinitumである場合にはその事物は永遠aeterunusのうちに実在し,逆に事物が無限定である場合にはその事物はある一定の持続duratioのうちに実在するということを,もう少し詳しくみていくことにします。
 まず先に,無限定である場合の方に注目します。というのは,これについては第二部定義五というのが,事物が持続するということについての正当な定義Definitioであるということさえ明らかにできれば,それだけで十分であると考えられるからです。そこでこの第二部定義五は次のようになっています。
 「持続とは存在の無限定な継続である(Duratio est indefinita existendi continuatio.)」。
 この定義の正当性は,簡単にいえば,第三部定理四から明白であると僕は考えています。ここで証明されているように,ある個物res singularis,すなわち有限finitumであるものは,まさにそれが有限であるということによって,現実的に実在しないと考えられることができるようなあるものです。しかしそれがどの程度にわたって実在し得るのか,いい換えれば,現実的に実在する個物の実在の限界がどこまでであるのかということについては,知性intellectusは単にこの個物を認識するだけでは把握することができません。よって知性は,現実的に実在する個物について,その個物の実在には限界があるということについては知り得ても,その限界がどこまでなのかということについては把握することができないでしょう。ところでそうした事柄について,それを無限定というわけですから,個物の持続とは,個物の実在の無限定な継続であるということになるわけです。
 よってこれを逆にいえば,無限定に継続するものは持続のうちに実在するということになります。つまりこれで,無限定であるものがある一定の持続のうちに実在するということが明らかになったといえると思います。
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ペナルティー&無限と無限定

2007-08-12 20:25:58 | 将棋トピック
 自らの勘違いにより対局に現れず,不戦敗となった棋士が,罰金100万円のペナルティーを命じられたというニュースがありました。
 将棋連盟の米長会長の将棋の話によると,フリークラスの棋士が半年間対局をすると,仮にその間に1勝もできないとしても100万円強の収入があるということで,僕はこれについては調査のしようがありませんので,これから書くことは,この前提が正しいと仮定した上での話になります。
 かつて半年間の出場停止というペナルティーを課せられた棋士がいて,今回の処分はこの前例が基準となったようです。するとこれでみれば,今回の処分は半年間の出場停止よりは甘いことになります。出場停止の場合,勝つことによってさらに増える可能性のある収入も得られなくなるのに対し,今回の場合はその可能性が封じられたわけではありません。それより何より,棋士にとっては対局をするということ自体が喜びであると思われます。そう考えれば対局が禁止されないだけでもましだといえるでしょう。
 今回の処分に釈然としないものが残るのは,この100万円強が,フリークラスの棋士の収入を基準としている点。今回の処分を受けた中田七段はC級1組ですので,フリークラスの棋士より収入があると考えられ,まったく同じ理由によって処分されたフリークラスの武者野六段と比べれば,その処分が相対的には軽いことになります。しかしもしも逆に出場停止処分が下されていれば,同じ理由から中田七段の方が相対的に重い処分となっていたわけで,一律に処分を与えれば,棋士によって処分の重さが異なるということが分かります。
 しかし僕が思う最大の問題は,今回の処分が,明らかに過去に遡って下されていると思われる点。逆にいうと,これまでは不戦敗というのを不問に付してきたという歴史があるわけで,そのことの矛盾がここにきて一気に噴出してきたといえそうです。
 棋士の不戦敗というのは,会社員でたとえれば,無断欠勤に相当するわけで,それに処分が与えられるのは普通のことであり,僕は不戦敗には何らかの処分が必要と考えます。そして無断欠勤の処分が,大抵はその都度与えられるように,不戦敗の処分もその都度与えられしかるべきでしょう。またそうすることによって,過去に遡って処分するような矛盾も回避できると思われます。また,平社員の無断欠勤と部長の無断欠勤では意味合いが異なるでしょうから,立場に応じた処分というのも必要かもしれません。
 先月には,初の不戦敗となった中村亮介四段が処分されています。この処分が今後のひとつの基準となるのでしょうが,これは棋士の問題ですので,片上五段が一案を示していますが,棋士で決めればいいと思います。ただ,1度目より2度目,2度目より3度目といった具合に処分は徐々に重くされてしかるべきと思います。今回のように,何度か大目に見られた後でいきなり厳しい処分というのでは,物議をかもしても致し方ないでしょう。
 いずれにしても,明らかに本人に落ち度のある不戦敗にはその都度のペナルティーが必要で,そのペナルティーが,規則として定められていることが望ましいのではないかと思います。

 明日は小松島記念の決勝です。並びは武井-渡辺-法月の南関東,渡部-小倉-室井の四国,北津留-小野-藤野の九州。こう地区的にきれいな3分戦になるのは,記念の決勝では珍しいんじゃないでしょうか。

 ある事物が無限定であるといわれる場合には,実際にはその事物が有限であるということを含意しているわけですから,僕たちは,僕たちの精神があるものの限界を認識し得ないからといって,直ちにそれを無限であると考えてはいけないということになります。なぜなら,確かにその事物は無限であるかもしれませんが,実は単に無限定であるにすぎない,すなわち有限であるかもしれないからです。確かに僕たちは,僕たちにとって限界を知り得ないようなものについてそれを無限と考えてしまう場合が往々にしてありますから,このことにはよほどの注意が必要であると思います。
 しかし,事物が無限である場合と,単に無限定であるにすぎない場合とでは,もうひとつの大きな違いがあります。それはちょうど,『エチカ』において無限定ということばが使われる代表的な例として挙げた第二部定義五が,事物の持続に関連していわれているという点に関係しています。というのは,持続という概念は,スピノザの哲学においては第一部定義八の,永遠という概念に対応しているのであって,自然のうちに実在する事物,あるいは実在し得ると考えられるような事物はすべて,永遠のうちに,すなわち永遠から永遠にわたって実在するか,そうでなければある持続のうちに,すなわちある限られた時間のうちに実在するかのどちらかなのです。ここで無限定という概念が持続に関連して示されているということからも分かるように,無限定であるものは持続のうちに実在するのに対し,無限であるものは永遠のうちに実在するという相違もあるのです。
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よしこの賞&無限定

2007-08-11 22:44:02 | 競輪
 小松島記念2日目優秀のよしこの賞
 前受けをしたのは渡部選手。中団が山内選手,後方が小嶋選手での周回。残り2周のホームで上昇してきた小嶋選手が渡部選手を抑えると,このラインを追走した山内選手がさらに抑え,南関東3車が前に出きったところで打鐘。ここから渡部選手がかまして発進すると,四国の4車が前に出て,残り1周のホームでは一列棒状に。バックから小嶋選手が発進すると,中団で構えていた山内選手もこれに併せて発進しましたが,渡部選手の番手の堤選手がうまく牽制して前に出させず。ここで渡部選手と堤選手の車間が少し開きましたが,直線に入り堤選手が踏み込むと,渡部選手を差して1着。堤選手マークの小倉選手が2着で,逃げた渡部選手が3着。四国の上位独占が決まりました。
 一言でいって今日は四国勢の作戦勝ち。ラインが4車と最も長かったこともありますが,前を取って,あっさり引いてかましていくというのが当たりました。小嶋選手を8番手に置くことに成功したのも,展開的に少し楽になった一因でしょう。逃げた渡部選手,番手の堤選手ともによい仕事をしたと思います。
 ゴール後に落車がありまして,小嶋選手が肩甲骨と肋骨の骨折。残念ながら明日から欠場となっています。競輪選手にとってはこの程度の骨折はよくあることではありますが,ずっと勝ち続けていただけに心配ではあります。

 本題に入っていく前に,『エチカ』ではもうひとつ,無限定indefinitumという語が出てきますので,これについて説明しておきます。もちろんこれは,無限infinitumとはまったく異なった意味のことばですから,混同してはならないわけですが,僕たちが無限ということばからイメージするものは,むしろスピノザが無限定ということばで示そうとしている事柄に近いかもしれません。ですので,無限と無限定を混同しないようにするということは,常に注意しておかなければならないことであるといえると思います。
 『エチカ』において無限定ということばは,代表的には第二部定義五において,「持続とは存在の無限定な継続であるDuratio est indefinita existendi continuatio」という仕方で登場します。しかしその実,この無限定ということばがどのような意味を表しているのかということを,スピノザは『エチカ』の中でははっきりと説明していません。そこで岩波文庫版の訳者である畠中尚志による訳注に倣い,ここではそれを,『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』第二部定義四に示されているのと同じ意味で解釈することとします。そしてそこにはこうあります。「無限定とはその限界(もしそうしたものがあれば)が人間の知性によって探求され得ないところのものである」。
 これでみれば分かるように,無限というのが文字通りに限界のないものを意味するのに対し,無限定というのは,本当はそれには限界がある,すなわちこれは有限finitumであるということを意味しますが,本当は有限であるけれども,その限界を人間の知性intellectusが把握することができないもののことを意味します。したがって,あるものが無限定であるといわれる場合には,実はそのものは有限であるということを含意していると考えるべきであるということになります。
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ファミリーナンバー&無限と有限の実在

2007-08-10 21:40:17 | 血統
 これまで競走馬の牝系について説明するときに,たとえばフロリースカップ(3-l)というように,馬名と数字,アルファベットを合わせて紹介するケースがありました。このカッコの中の意味を説明します。
                  
 これはファミリーナンバーと呼ばれるもので,サラブレッドを母,母の母,その母という具合に辿っていったときの区分となるもの。ですのでこのファミリーナンバーが同じなら,どこかで同一の母系先祖に辿りつくことになります。ここまで紹介してきた馬でいえば,たとえばアストニシメントダイシングは同じ7-cというファミリーナンバーですので,日本での祖は違っていても,さらに輸入前の先祖を辿っていけば,同じ馬にいきつくことになります。この2頭の場合は,1845年に産まれたWiasamaという馬がそれ。
 そして最初の数字が血統書で判明している最初の祖先,アルファベットがその中の分枝を示していますので,アルファベットが違っても,数字が同じであれば,やはり同じ祖先にいきあたることとなります。たとえばチップトップ(4-m),クヰックランチ(4-r),スカーレットインク(4-d)は,それぞれ分枝こそ異なりますが,すべて同じ4号族ですので,同じ牝馬を母系祖先にもっているということになります。
 サラブレッドは父,父の父,その父と辿っていくと,現存するする馬は3頭のいずれかにいきつきますが,母系はもっと多く,この番号が作られた19世紀末の時点で43,その後,さらに増えています。

 明日は小松島記念2日目優秀のよしこの賞が行われます。並びは山内ー渡辺ー会田の南関東,渡部ー堤ー小倉ー吉岡の四国,小嶋に兵藤で変則3分戦。2車で小嶋選手がどんな戦い方をするかが注目です。

 これで,自然Naturaのうちに無限なもの,有限なものとしてどんなものが実在するのかということが明らかになりましたのでこれをまとめておきます。
 まず,無限な実在というのは,絶対に無限な実在と,自己の類において無限な実在に分類されますが,絶対に無限な実在というのは神Deusだけです。そして自己の類において無限な実在としては,その神の本性essentiaを構成する各々の属性attributumと,これら各々の属性の無限様態modus infinitus,さらに正確を期していうなら,直接無限様態と間接無限様態があげられることになります。
 ただし,ここでひとつ注意しておくべきことがあるとしたら,神の属性と,その属性の直接無限様態および間接無限様態は,まったく同じ理由によって自己の類において無限であるというわけではありません。属性は,第一部定義四により,その各々が神の本性を構成essentiam constituensしますから,神の本性が絶対に無限absolute infinitumであるといわれるのと同じ意味で,その本性において自己の類において無限です。しかし直接無限様態と間接無限様態は,第一部定理二一でいわれているように,この属性によって自己の類において無限です。つまり,属性がその本性によって自己の類において無限であるのに対しては,ふたつの無限様態は,その原因causaによって自己の類において無限であるということになります。
 自然のうちに実在するこれら以外のもの,あるいは実在し得ると考えられるようなこれら以外のすべてのものは有限finitumであるということになります。これら有限であるものは,『エチカ』においては個物res particularis,res singularisといわれることになります。
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王位戦&第一部定理二三証明

2007-08-09 22:47:05 | 将棋
 角換り相腰掛銀先後同型の将棋というのは,途中の手順に若干の相違はあっても,38手で組み上がります。渡辺竜王によると,この局面がプロの公式戦に出現したのは,昨日も紹介した棋聖戦五番勝負第一局以降では,昨日・今日の王位戦七番勝負第四局が初めてとのこと。そういえば名人戦七番勝負第七局では,おそらく郷田真隆九段はこの局面を志向したと思うのですが,森内俊之名人は避けています。そういう意味では,現状のプロ間の見解では,この38手まで組み上がると,ここから▲4五歩と仕掛けて,難しいながらも先手の方が指しやすいということなのではないかと推測されます。
 この将棋もそのように進み,ほんの少しだけリードしている先手の深浦康市八段が,最後の最後までそのわずかな差を維持したまま押し切ったということではないかと僕は思います。羽生善治王位は,76手目に△7六桂と王手し,▲7七玉となった形が寄せにくかったという趣旨のことをおっしゃっていましたが,封じ手の△8八歩というのはこの王手をひとつの狙いとした手と思いますので,渡辺竜王の△3六歩に替えての△8八歩でも,あるいは後手が芳しくないということなのかもしれません。
 手として印象に残ったのは107手目の▲6七桂。これが単に受けだけでなく攻めに大きな効果を発揮しました。それから113手目の▲4六銀で,なるほどこう寄せていくものなのですね。この局面ではライブ中継を見ていまして,この手が指されてすぐ終ると思いましたが,これでも負けとはいえ次の△2七馬もいい粘り方だったと思いました。
 大盤解説のライブ中継で,終局直後に大きな拍手が上がっていました。前夜祭の決意表明で深浦八段が言っていたように,長崎出身の深浦八段にとって,この九州での対局はいわばホームでの戦い。何となくその利を生かしたように僕には思えました。人間が指すものですから,周囲の雰囲気の影響というのはばかにならないのではないかと思います。
 大きな一番を制して深浦八段が王位戴冠に王手。第五局は29日と30日に指されます。

 明日から小松島記念。ここは小嶋選手を軸に展開していくでしょう。

 第一部定理二三というのは,結果の認識が原因の認識に依存するという第一部公理四を用いることによって,わりと簡単に証明できると僕は考えています。なお,ここでは今のテーマに沿って,無限であることについてだけ証明することにします。
 この公理四により,もし結果として無限である様態が生じるならば,この様態が無限であるということは,その原因であるものに依存しなければならなくなります。したがって,もしも原因であるものが有限であるもの,すなわち個物であるとしたら,それを原因として無限な様態は生じません。このことは個物の原因はほかの個物であるという第一部定理二八を逆に考えた場合からもいえます。したがって,もしもある無限な様態が自然のうちに生じるなら,その原因であるものは,その本性が無限であるものでなければならないということが理解できます。
 これだけで十分であると僕は考えます。なぜなら,第一部公理一の意味により,自然のうちには実体とその属性,そして様態だけしか実在しませんが,様態というのは実体のうちにあるものですから,その本性が無限であるものは実体,あるいは実体の本性を構成する属性だけであることになります。だから無限である様態の原因は,そうした無限であるという属性の絶対的本性を原因とするか,そうでなければ,この絶対的本性が変状した直接無限様態を原因とするかの,どちらかでなければならないということになります。
 永遠である様態がこうした仕方でしか生じ得ないということについても,結果が永遠であるためには原因も永遠でなければならないという観点から,同じ仕方で証明が可能であると考えます。
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ダイナゴン&第一部定理二三

2007-08-08 20:42:34 | 血統
 帝王賞で大レース制覇を達成したボンネビルレコード。この馬の牝系も日本である程度の歴史を刻んでいます。
                         
 日本での祖となっているのは1952年にアメリカで産まれたダイナゴン(4-m)という馬。表記を見ますとDainagonとなっていますので,おそらく大納言のことではないでしょうか。1957年には日本で初産駒を産んでいて,この馬の父が日本で種牡馬生活を送っていた馬。ということは1956年の春には少なくとも日本にいて種付けされたことになりますので,おそらく日本で名付けられたものと思います。
 しかしこの系統,これまでに紹介したものと比べると細々と続いてきたといえ,大レースの勝ち馬というのは実にこのボンネビルレコードが初めて。それどころか,重賞を勝った馬というのもこれまでに1頭,それもダイナゴンの産駒のタイホープ(ボンネビルレコードもこの系統の子孫)という馬が産んだ,1969年産のタイバブー1頭しか出ていません。サラブレッドの血統というのはどうしても淘汰されていくものですから,こんなにも長いこと大レースはおろか重賞の勝ち馬も輩出していない母系が現在まで続いてきたというのは不思議な気さえします。

 王位戦七番勝負第四局は角換り相腰掛銀先後同型の戦いになりました。序盤は若干の手順の違いはありましたが,仕掛けてからの手順は今年の棋聖戦五番勝負第一局と同じ。そのとき渡辺竜王は☖3六歩と指しましたが,羽生王位の封じ手はどうなるでしょうか。局面は難しい筈ですが,消費時間に大きな差がついているのは気になるところです。

 第一部定理二一と第二部定理二二証明されることによって,いわゆる直接無限様態と間接無限様態が無限infinitumであるということ,とくに自己の類において無限であるということについてはこれでいいと思います。ところで,現状の課題というのは,自己の類において無限な実在というものは,スピノザの哲学においては何であるかということを調べることですので,これだけでは不備があります。なぜなら,神Deusの属性attributumと,各々の属性の無限様態modus infinitusが自己の類において無限な実在であるということについてはこれでいいとしても,それ以外にも自己の類において無限な実在があるかもしれないからです。
 第一部公理一の意味により,自然Naturaのうちに実在するものは実体substantia,すなわち実在する唯一の実体である神と,その神の属性,そして様態だけです。このうち,神は絶対に無限absolute infinitumであり,属性は自己の類において無限であるということがすでに明らかとなっているわけですから,もしも無限様態以外にも自己の類において無限なものが実在するとしても,それは様態であるということになるでしょう。したがって,無限様態以外には無限である様態は実在しないということを証明すれば,自己の類において無限な実在というのが,神の属性と無限様態だけであるということもまた証明されることになります。『エチカ』においてそれを示しているのは,次の第一部定理二三になります。
 「必然的にかつ無限に存在するすべての様態は,必然的に,神のある属性の絶対的本性から生起するか,それとも必然的にかつ無限に存在する一種の様態的変状に様態化したある属性から生起するかでなければならぬ」。
 すでに第一部定理二一と第一部定理二二についての考察から,この定理Propositioが,無限な様態が存在するなら,それは直接無限様態か間接無限様態であるということを意味していることについては問題がないものと考えます。
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ふるさとダービー&第一部定理二一証明

2007-08-07 22:16:15 | 競輪
 天候にはあまり恵まれなかった今回の函館でのふるさとダービーは,予定通りに今日,決勝が行われました。
 号砲で飛び出したのは村上選手と望月選手。内枠を利して村上選手の方がSを取り,そのまま前受け。中団が山崎選手で後方が佐々木選手。残り2周のホームで上昇した佐々木選手が前を抑えると,山崎選手がこのラインを追うように上昇,バックでは村上選手に蓋をするような形から,打鐘を迎えて発進。前で構えていた佐々木選手も合わせて出ましたが,山崎選手のスピードが勝り,ホームでは叩いてこのラインが出きりました。村上選手はバックから巻き返していったのですが,3番手で一杯。結局,山崎ラインでの決着となり,逃げ切った山崎選手が優勝。マークの佐藤選手が2着で3着も3番手の望月選手でした。
 優勝した福島の山崎芳仁選手は1月の競輪祭に続き今年2度目のビッグ優勝。4月には川崎記念を勝っていて,グレードレースはそれ以来。昨日の準決勝,今日の決勝と同じようなレースで勝っていて,相手が違っても同じように勝てるというのは強さの証明。大ギアはこのような展開になったとき,末の威力を発揮するようです。今年の競輪界は東の山崎,西の小嶋を軸に推移していきそうです。

 明日から王位戦七番勝負第四局。羽生善治王位がタイに追いつくか,深浦康市八段が王手を掛けるか,シリーズの行方を左右する大きな一番です。

 第一部定理二一と第一部定理二二は,同じ方法によって証明することが可能です。スピノザもそのために第一部定理二二の方は証明Demonstratioを省略していますので,ここでは僕も第一部定理二一の方だけを証明することにします。なお,この定理Propositioは,直接無限様態が無限infinitumでありかつ永遠aeterunusであるということを意味していますが,現在の目的に合わせ,ここでは無限であるということだけを詳しく証明します。
 まず,神Deusのある属性attributumAがあり,このAのうちにXという様態modiがあるとして,このXが有限finitumであると仮定してみます。すると,第一部定義二によって,同じAの属性のほかのものによって限定されるということになります。ほかのものである以上,これを限定するのは,AのうちにあるXではなくて,Aのうちにあるほかのもの,たとえばAのうちにあるYであるということになります。
 実はこれだけでこの定理は証明されています。なぜなら,この仮定においては,Xをそのうちに含まないようなA,たとえばAのうちにあるYがあるということになるからです。どういうことかというと,ここで属性Aと仮定されている属性は無限ですから,もしもその絶対的本性を原因としてXが生じるのであれば,Aある限りXはそのうちにあるでしょう。ところがこの仮定にはXを含まないようなAの存在が必要とされます。よってこの仮定は不条理である,つまり,もしもXがAの絶対的本性を原因として生じるのであれば,Xは有限であることができない,すなわち無限であるということになるのです。
 Xが永遠であるということについても,ここでは詳しく証明しませんが,ほぼ同様の仕方で証明することが可能です。
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クロフネ&第一部定理二二の意味

2007-08-06 21:20:34 | 名馬
 6月の関東オークスを快勝したホワイトメロディーの父は,アメリカで産まれ,輸入されて日本でレースをしたクロフネという馬です。
 デビュー戦は2着に負けたものの,2戦目,3戦目と2000メートルで連勝。同じ距離の暮れの重賞に進み,1番人気に支持されたものの,ここはアグネスタキオンの3着に敗れました。
 3歳になりやはり2000メートルの毎日杯から始動。ずっと乗っていた松永幹夫騎手がドバイに遠征したので四位洋文騎手に乗り換り,ここで重賞初制覇。さらに武豊騎手に換ってNHKマイルカップに出走すると,絶体絶命と思われた位置から見事に差し切り大レース制覇を達成しました。
 日本ダービーというレースは,長らく外国産馬の出走が禁じられていたのですが,この年から開放。記念すべき最初の年にこの馬が来襲するということでクロフネと名付けられたのですが,まさにその思惑通りに出走。しかし結果は5着でした。
 秋は初戦を3着。ダービーで負けた距離の適性から,菊花賞ではなく天皇賞を目指しました。しかし天皇賞も外国産馬は2頭しか出走できず,賞金順で2頭が埋まってしまい,やむなくという感じで初ダートとなる武蔵野ステークスに出走。すると後ろを大きく離してレコード勝ち。抜群のダート適性を示しました。
 よってジャパンカップダートに出走。ここも後ろを引き離しての楽勝。その後に大きな期待を抱かせましたがこれで故障を発症し,引退となってしまいました。
 間違いなく日本のダート競馬の最強馬。種牡馬としては,一昨年の朝日杯フューチュリティステークスを勝って,最優秀2歳牡馬に選出された現役のフサイチリシャールを出しています。

 明日はふるさとダービー函館が決勝を迎えます。並びは山崎ー佐藤の福島に望月,村上ー前田の近畿に合志,佐々木ー三宅の四国中国に阿部で3分戦。僕としては近畿からいきたいところです。

 第一部定理二一の意味についてはこれでいいのではないかと思います。どちらかといえば難しい部分を多く抱えているのは,第一部定理二二の方ではないでしょうか。
 まずここで,必然的にnecessarioといわれているのは,永遠にという意味に理解していいと思います。これは第一部定理二一とのバランスからいってもそうでなければならないでしょうし,永遠aeternitatemの定義をしている第一部定義八で,ある必然性necessitasに言及していることもそうですが,ほかの部分でも,スピノザは事物の必然性と事物の永遠性aeternitasとを等置するケースがあり,ここもそのひとつであると考えられると思います。
 次に,様態的変状modificatioに様態化する,ということについては,岩波文庫版『エチカ』の訳者である畠中尚志は,様態modiに変状すると理解していいと訳注でいっています。僕は厳密にいえば,様態的変状に様態化するというのと様態に変状するというのとでは,少し違いがあるのではないかと考えていますが,今はこれを追及する必要を感じませんので,この訳注に従って解釈しておくことにします。
 したがって第一部定理二二の全体の意味は,神Deusのある属性attributumがその属性を原因causaとして永遠かつ無限に存在する様態,すなわちこれを直接無限様態というわけですから,神のある属性が直接無限様態に変状した限り,このある属性から,いい換えれば,直接無限様態に変状したある属性から,生じるすべてのものは,無限infinitumでありまた永遠である,ということになります。
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五稜郭賞&第一部定理二一・二二

2007-08-05 22:16:27 | 競輪
 ふるさとダービー函館の2日目メインの五稜郭賞
 三宅選手がSを取って佐々木選手の前受け。隊列が決まるのにやや時間を要しましたが,後閑選手が4番手で山崎選手は8番手から。残り2周のバックで後閑選手が先に動いて佐々木選手を抑えると,これに乗って動いてきた山崎選手が打鐘過ぎに抑えて先行態勢。佐々木選手は7番手で,一列棒状となりました。このまま最終ホームから山崎選手が先行。バックから捲っていった佐々木選手がほとんど車を出せず,事実上の不発に終りましたので,前で決まるのかと思いましたが,3コーナー過ぎから踏み出した後閑選手と山崎選手の番手から出た佐藤選手の間を神山選手が直線で急襲,鋭く伸びて1着。佐藤選手が2着で僅差の3着に山崎選手が逃げ粘りました。
 結果的には北日本と関東が協力した6対3のようなレースとなり,佐々木選手には苦しくなりました。神山選手も絶好の展開とはいえないと思いますので,1着は立派。追込みに転向したとはいえこのメンバーで自力を選択しなかったのはやや気掛かりですが,今シリーズは好調とみてよさそうです。

 『エチカ』において自己の類において無限な実在のひとつである無限様態modus infinitusについては,直接無限様態については第一部定理二一で,また間接無限様態についてはその次の第一部定理二二で言及されていますので,まずはそのふたつの定理Propositioをみていくことにします。
 まずは第一部定理二一。
 「神のある属性の絶対的本性から生ずるすべてのものは常にかつ無限に存在しなければならぬ,言いかえればそれはこの属性によって永遠かつ無限である」。
 そして第一部定理二二。
 「神のある属性が,神のその属性によって必然的にかつ無限に存在するようなそうした一種の様態的変状に様態化した限り,この属性から生起するすべてのものは同様に必然的にかつ無限に存在しなければならぬ」。
 まず第一部定理二一についてですが,常に存在するというのが永遠に存在するという意味であるということは問題ないと思います。そして第一部公理一の意味により,自然Naturaのうちに存在するのは実体substantiaとその属性attributum,もしくは様態だけですので,ここですべてのものといわれているのが様態であるということも明白でしょう。したがって,この第一部定理二一の全体の意味は,もしも神Deusのある属性の絶対的本性を原因causaとしてある様態が生じるならば,この様態は永遠に存在し,また無限に存在する。つまり,こうした仕方によって存在する様態は,この属性を原因として永遠aeterunusで無限な様態である,ということになります。ここでは無限であるということだけを問題としていますので,あとで証明する際にもそれだけを証明する予定ですが,この定理Propositioそのものの中には,この様態が永遠であるということも含まれているということになります。
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アグネスワールド&自己の類において無限な実在

2007-08-04 21:07:45 | 名馬
 6月の北海道スプリントカップを勝ったアグネスジェダイ。この馬の父はアメリカで産まれ,輸入されてアグネスジェダイと同じ森秀行厩舎で競走馬生活を送ったアグネスワールドという馬です。
 新馬を勝つと函館3歳ステークスを制覇。朝日杯3歳ステークスは太目も残って4着でしたが全日本3歳優駿(大レース昇格前)を優勝。3歳1月のシンザン記念を2着しましたが,ここから1年以上の休養を余儀なくされてしまいました。
 4歳1月に復帰してからはスプリント路線に専念。夏の小倉でオープン特別を連勝するとフランスに渡り,アベイユドロンシャン賞GⅠに挑戦,見事にこれを制覇しました。これを手土産に帰国。小倉で行われたCBC賞を逃げ切りスプリンターズステークスへ。しかしここは2着に敗れました。
 一頓挫あったので5歳の初戦はぶっつけで高松宮記念。やはりこれはローテーションの面で不利だったか,キングヘイローの3着に負けました。
 夏はイギリスへ。キングズスタンドステークスGⅡ2着をステップにジュライカップGⅠに出走すると,ここでGⅠ2勝目をマークしました。競馬発祥の国といえるイギリスでGⅠを勝った日本の馬は現在までこの馬だけ。ヨーロッパでGⅠを2勝した日本の馬というのもこの馬だけです。
 その後の2戦は勝てずに引退,種牡馬入り。この馬もシャトル種牡馬として活躍していて,産駒のWonderful Worldという馬がオーストラリアのコーフィールドギニーGⅠを勝っています。日本ではまだ大レースの勝ち馬が出ていませんが,何となく,海外ではGⅠを2勝したものの,日本では大レースを勝てなかったこの馬らしい種牡馬成績のようにも思えます。

 台風の影響は受けたもののふるさとダービー函館は予定通りに開催されました。明日のメーンは今日の特選上位者による五稜郭賞。並びは山崎-佐藤の北日本,佐々木-三宅-紫原の西日本は当然として,関東は後閑が先頭で,神山-阿部-茂木と続くそうです。

 それでは,自己の類において無限といわれるものは,自然のうちにはどのようなものとして実在するのでしょうか。まずここでは,第一部定義四に注目してみます。すると属性とは実体の本性を構成するものであるということが分かりますが,絶対に無限であるといわれる実在が神だけであるということを証明したときに,自然のうちに実在する実体というのは神だけであるということを併せて証明していますので,実在する属性というのは神の属性だけであるということになります。すると,神が絶対に無限といわれる以上は,この神の本性を構成する属性の各々は,自己の類において無限であることになります。というよりもこのことは,第一部定義六説明が,絶対に無限といわれるものは,自己の類において無限であるものの総体であるという観点から構築されているということ自体から明白であるといえるでしょう。
 もうひとつ,スピノザは『エチカ』で無限様態という概念を導入しています。これは神の属性の本性の絶対的本性から生じる様態のことです。あるいはもっと正確を期していうなら,そうした様態を直接無限様態というなら,この直接無限様態に変状した属性から生じる様態は間接無限様態といわれ,この直接無限様態と間接無限様態が単に無限様態といわれるわけです。このとき,神の属性がそうであるように,無限様態は自己の類において無限であるということになっていると理解していいと思うのですが,このことについてはやはり一応は証明しておく必要があるといえそうです。
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へザーランズ&自己の類において無限

2007-08-03 21:05:25 | 血統
 桜花賞を勝ったダイワスカーレットの父であるアグネスタキオン。この馬の母系はかなり優秀です。
 日本での祖となっているのは1957年にイギリスで産まれたヘザーランズ(1-l)という馬。僕が知る限り,残っているのは輸入されて最初に産んだイコマエイカンから続く血脈で,とくにこのイコマエイカンが1976年に産んだアグネスレディーからの分枝は現在でも大きく繁栄しています。
 このアグネスレディーはオークスの勝ち馬で,最優秀3歳(当時は4歳)牝馬に選出されました。このアグネスレディーが1987年に産んだアグネスフローラは桜花賞を勝ってオークスは2着。やはりこの年の最優秀3歳牝馬に選出されています。
 そしてこのアグネスフローラこそがアグネスタキオンの母。つまりアグネスタキオンは母も祖母も大レース,しかもクラシックを勝っているので,アグネスタキオンまで含めると3代続けてのクラシック制覇。のみならず,アグネスタキオンのひとつ上の全兄になるアグネスフライトもダービーを勝っています。
 このようにアグネスタキオンは超がつくほどの良血馬。皐月賞までに見せたパフォーマンスは,アグネスフライトの比ではありませんでしたので,かえすがえすも故障で引退というのは残念でした。

 明日からGⅡのふるさとダービー函館が開催の予定ですが,台風の進路が懸念されます。これは昼の開催です。

 スピノザの哲学において絶対に無限absolute infinitumであるということがどういうことであるのかということ,また絶対に無限な実在というのはDeusだけであるということについてはこれで十分であると考えます。そこで今度は,第一部定義六説明において,もうひとつの無限として示されている,事物が自己の類において無限であるといわれる場合について考えていくことにします。
 僕が思うに,これについてはむしろ有限finitumについての定義Definitioである第一部定義二を参照するのが適当です。なぜなら,この第一部定義二の意味というのは,ある事物についてそれが有限であるような場合には,必ず自己の類において有限なのであって,ほかの意味において,たとえば事物が無限である場合のように,絶対的な意味で有限であるといわれることはないということになっているからです。したがって,自己の類において無限であるものというのは,自己の類にはとどまるのだけれども,しかし有限であるとはいわれ得ないもののことであるということが,ここから出てくると考えられます。
 そこでもう一度この第一部定義二の意味に注目すれば,ここでいわれている自己の類というのは,この定義の後半部分の説明から鑑みて,同一の属性attributumであると解釈するのが妥当であろうというのが結論になっています。よって,自己の類において無限であるものとは,ほかの属性に属するものによってはそうではないけれども,自己の属性に属するほかのものによっては一切の限定determinatioを受けないものであると解釈するのが妥当であろうと思われます。
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サンタアニタトロフィー&神だけである証明

2007-08-02 20:43:13 | 地方競馬
 アメリカにはサンタアニタ競馬場があって,大井競馬場とそこは姉妹競馬場。昨日の大井で第28回サンタアニタトロフィーという名のレースが行われたのはそういう関係からです。
 どの馬が逃げるのか予想しづらいレースでしたが,ベルモントファラオが先手を奪いました。インターセフォーとホクトアサティスがこれを追い,前半の800メートルが48秒1。ミドルペースでのレースとなりました。
 3コーナー手前で故障を発症,残念ながらそのまま安楽死処分となったベルモントファラオが後退。ホクトアサティスが先頭に立ちましたが,直線に入ると失速。インターセフォーがまず抜け出すと,この外から,道中は中団にいて,向正面から進出を開始して追い上げてきたショーターザトッシ,さらにその外により後ろに位置していたシーチャリオットが並びかけて3頭の叩き合いに。勢いではシーチャリオットかと思ったのですが,真中のショーターザトッシがこの追撃を首だけ抑えて優勝。シーチャリオットは2着で,インターセフォーが3着でした。
 優勝したショーターザトッシは笠松デビュー。大井転入初戦で白星。その後は2勝しかしていないのですが,入着を着実に繰り返してこのクラスまで上がってきました。南関東重賞は初制覇。鞍上の川崎の今野忠成騎手は前開催もジャパンダートダービーを勝っています。僕の印象だと今野騎手は,馬をトップスピードにのせた後,それを維持する能力に秀でた騎手で,人気のシーチャリオットより先に動いて叩き合いを制したこの騎乗は,そのよさをいかんなく発揮したように思えます。
 逆にシーチャリオットは1コーナーでやや不利を受け,そこでの位置取りを悪くしてしまったのが最後になって響いてしまったという印象。3歳の東京ダービー以来,勝てていませんが,現状の体重を維持できれば,どこかで勝てるのではないかと思います。

 絶対に無限な実在というのが神だけであるということは,確かにスピノザの哲学における事物の定義のあり方という観点からして,第一部定義六から直接的に生じてくるわけですが,部分的にはこれはあまりにも形式的であるともいえると思いますので,『エチカ』に訴えることによって,ほかの仕方でもこれを証明しておくことにします。なお,神すなわち絶対に無限な実体が実在するということについては,ここではすでに証明されているという前提で話を進めます。
 神のほかに何か実体が実在すると仮定してみます。ここでは絶対に無限な実体が神だけであるということが証明できれば十分ですが,絶対に無限な実体に限らず,ある実体が実在すると仮定します。そこでこの実体をXと仮定すれば,第一部定義四によって,この実体Xの本性はある何らかの属性,たとえば属性Aによって構成されます。
 ところで,第一部定義六説明から分かるように,神が絶対に無限であるなら,神の本性はありとあらゆる属性から構成されるわけですから,当然のことながらこの属性Aも神の本性の一部を構成することになります。したがって,神のほかにある実体が実在すると主張することは,同一の属性を有する複数の実体が存在することを主張することにほかならないということになります。ところが,第一部定理五によって,これをいうことは不条理です。よって,自然のうちには絶対に無限である神のほかには,いかなる実体も存在し得ないということになります。いかなる実体も存在し得ないなら,絶対に無限な神以外の実体も存在し得ないというのは当然でしょう。したがって,自然のうちに実在する絶対に無限なものは,神だけであるということになります。
 なお,この証明はスピノザによる第一部定理一四の証明と同じです。そちらも参考にしてください。
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