地下鉄サリン事件程度までだと刑法懲罰で解決だと見做してしまうんだけど
相手がISILみたいになると急に社会背景だの政治の問題として扱うようになる
「暴力=解決」という短絡性においては何も違いなんてありゃしないのに
単独通り魔事件や学生による殺人と集団テロを全く違うものであるかのように取り扱っている
単独通り魔や学生殺人事件であっても本来社会背景や成育環境にまで踏み込んで原因究明や再発防止の考慮に入れるべきなのに
それは全くせずに「当人の責任能力」などと称して臨床心理学上の分類を鵜呑みにして無視する
ところがISILのように規模が大きくなった途端に社会背景や政治の問題として取り扱うようになる
社会背景や政治が悪いとテロや紛争が起きやすい傾向というのは確かにあるのだが
テロや紛争というのは平和な日本においても起きうる普遍的な出来事であって
被害規模だけで分類して別物扱いするのは論理整合性がない
ISILであろうとオウム真理教であろうと学生殺人事件であろうと暴力を用いた短絡的最終解決に陥っている点においては何の違いもなく
「なぜ短絡的最終解決に陥るのか。」についての分析は共通して必要なものである
◇
そもそも暴力者というのは先天的本能習性のままに行動している結果であって そこに目的など最初から存在しておらず
ISILのテロには利益も合理性も何もないのであって 国際法による規制など最初から意味を為さない
それは自暴自棄な通り魔に死刑が通用しないのと同じことであって
目的行動選択をするという意識(理性)自体が初めから存在しておらず 機械的法手続きによる規制に効力はない
自暴自棄な通り魔に対して 法律へのリスペクトを求めるというのは 求めている方の頭も充分にイカれている
自暴自棄な通り魔やISILのような非合理的暴力者に どうしてなってしまうのか その過程や構造を解析しないことには 社会情勢などの外的環境要因をどんなに取り除いても 非合理な暴力自体を撲滅することは出来ない
そもそも貧富格差などの社会的不公平が生じてしまう原因も 目先の欲望という先天的本能習性の暴走に因るものであって 非合理な先天的欲望そのものが諸悪の根源なのである
しかし 欲望というものには多面性があり 子供達のために公平で平和な社会の構築を望むこともまた欲望の一面ではある
ことほど左様に 欲望というのは多面性があり その多面性の中から理性(本質的意識)によって制御選択することによって人間性として働かせることも出来るのである
だが ゆめゆめ間違えてはならないのは 本能欲望自体が人間性を生み出す訳ではなく あくまで理性という本質的意識によって 先天的本能欲望から取捨選択されることによって人間性というのは機能するのであり 最も重要なのは理性であり意識であるところの自律的論理検証性こそが 人間性の源なのである
先天的本能欲望の多面性の都合の良い部分だけを抽出してきて あたかも先天的本能欲望こそに人間性が自動的に宿るかのように言い張るのは 非論理的で無責任な大衆迎合でしかなく
先天的な本能欲望というものは無意識であり 動物的な条件反射に過ぎない
それを無視して文科系大衆観念的な「気持ち」だの「心」だのといった抽象論で片付けようとするのは 愚かというより無責任という他ない
松沢哲郎ら進化生物学者達の嘘を鵜呑みにしている大衆マスコミも 無責任であることにおいて同罪である
ヒトという種の生物を鋼鉄とポリカーボネートの檻に入れ 彼らがどのような行動を採ったとしたら 既に散ざっぱら行われてきた人類のあらゆる残虐行為の反証になると言うのであろうか
既に行われてきた残虐行為を反証することなど 構造原理的に不可能であり そんな非科学的オカルトに文化功労賞を出すこと自体が ふざけているとしか言いようがない
フランシス:ゴルトンの提唱した優生学が 科学的論理的には意味が全くないことを 大衆一般にも周知しておけたら もしかすると相模原の障害者虐殺事件は回避出来た可能性もある
それをしなかった進化生物学者も 大衆マスコミも 殺人に加担したのも同然である
Ende;
相手がISILみたいになると急に社会背景だの政治の問題として扱うようになる
「暴力=解決」という短絡性においては何も違いなんてありゃしないのに
単独通り魔事件や学生による殺人と集団テロを全く違うものであるかのように取り扱っている
単独通り魔や学生殺人事件であっても本来社会背景や成育環境にまで踏み込んで原因究明や再発防止の考慮に入れるべきなのに
それは全くせずに「当人の責任能力」などと称して臨床心理学上の分類を鵜呑みにして無視する
ところがISILのように規模が大きくなった途端に社会背景や政治の問題として取り扱うようになる
社会背景や政治が悪いとテロや紛争が起きやすい傾向というのは確かにあるのだが
テロや紛争というのは平和な日本においても起きうる普遍的な出来事であって
被害規模だけで分類して別物扱いするのは論理整合性がない
ISILであろうとオウム真理教であろうと学生殺人事件であろうと暴力を用いた短絡的最終解決に陥っている点においては何の違いもなく
「なぜ短絡的最終解決に陥るのか。」についての分析は共通して必要なものである
◇
そもそも暴力者というのは先天的本能習性のままに行動している結果であって そこに目的など最初から存在しておらず
ISILのテロには利益も合理性も何もないのであって 国際法による規制など最初から意味を為さない
それは自暴自棄な通り魔に死刑が通用しないのと同じことであって
目的行動選択をするという意識(理性)自体が初めから存在しておらず 機械的法手続きによる規制に効力はない
自暴自棄な通り魔に対して 法律へのリスペクトを求めるというのは 求めている方の頭も充分にイカれている
自暴自棄な通り魔やISILのような非合理的暴力者に どうしてなってしまうのか その過程や構造を解析しないことには 社会情勢などの外的環境要因をどんなに取り除いても 非合理な暴力自体を撲滅することは出来ない
そもそも貧富格差などの社会的不公平が生じてしまう原因も 目先の欲望という先天的本能習性の暴走に因るものであって 非合理な先天的欲望そのものが諸悪の根源なのである
しかし 欲望というものには多面性があり 子供達のために公平で平和な社会の構築を望むこともまた欲望の一面ではある
ことほど左様に 欲望というのは多面性があり その多面性の中から理性(本質的意識)によって制御選択することによって人間性として働かせることも出来るのである
だが ゆめゆめ間違えてはならないのは 本能欲望自体が人間性を生み出す訳ではなく あくまで理性という本質的意識によって 先天的本能欲望から取捨選択されることによって人間性というのは機能するのであり 最も重要なのは理性であり意識であるところの自律的論理検証性こそが 人間性の源なのである
先天的本能欲望の多面性の都合の良い部分だけを抽出してきて あたかも先天的本能欲望こそに人間性が自動的に宿るかのように言い張るのは 非論理的で無責任な大衆迎合でしかなく
先天的な本能欲望というものは無意識であり 動物的な条件反射に過ぎない
それを無視して文科系大衆観念的な「気持ち」だの「心」だのといった抽象論で片付けようとするのは 愚かというより無責任という他ない
松沢哲郎ら進化生物学者達の嘘を鵜呑みにしている大衆マスコミも 無責任であることにおいて同罪である
ヒトという種の生物を鋼鉄とポリカーボネートの檻に入れ 彼らがどのような行動を採ったとしたら 既に散ざっぱら行われてきた人類のあらゆる残虐行為の反証になると言うのであろうか
既に行われてきた残虐行為を反証することなど 構造原理的に不可能であり そんな非科学的オカルトに文化功労賞を出すこと自体が ふざけているとしか言いようがない
フランシス:ゴルトンの提唱した優生学が 科学的論理的には意味が全くないことを 大衆一般にも周知しておけたら もしかすると相模原の障害者虐殺事件は回避出来た可能性もある
それをしなかった進化生物学者も 大衆マスコミも 殺人に加担したのも同然である
Ende;