相模原障害者施設津久井やまゆり園虐殺事件を引き起こした植松聖はNHKの取材面会で
「成功者になりたかった」と言ってたそうだ
「成功者」とは何かと言えば 要するに社会からの評価承認や それに付随する報酬を意味する
障害者虐殺に限らず ネット上での悪ノリ投稿の類いも評価承認への異常執着(中毒)が最も大きな動機要因であり 多数他人によって形成される社会環境から与えられる脳への報酬に依存した行動動機であるが故に本質的な自発性や主体性に欠け 自律的な社会的責任判断選択能力の欠如を引き起こす原因となるのである
植松の裁判において弁護側は心神喪失や心神耗弱による刑事責任能力の有無を争点にしようとしているが
刑事責任能力の有無の根拠とする「心神耗弱」の判定というのは心理臨床における観念的で便宜的なものに過ぎず 科学的に明確な根拠はない
そもそも「心神耗弱が全く存在しないヒト」など存在するのであろうか?
それは一体どのようなヒトであろうか
神ですか?
皆さん自分を絶対的に何も間違えることのない神のような存在だとでもお思いか?
マイケル:サンデルだの養老孟司だのマルクス:ガブリエルだのリチャード:ドーキンスだの優生学だの遺伝的進化万能だのを鵜呑みにしている大多数の大衆など私から見れば全員「心神耗弱」である
絶対的に心神耗弱がないヒトなどいない以上 ヒトは何らかの心神耗弱による論理整合性の欠落が存在しており それはスペクトラムでありグラデーションなのである
危険学の観点から考えれば 大きな間違いの影には無数の小さな間違いが存在しているのであって 大きな間違いに至った個人を糾弾差別して罰さえ与えておけば解決だと見なす現在の刑法裁判制度自体がヒトという種の生物全体に普遍的に見られる間違いを見落とす原因となっているのである
だから危険学や失敗学では刑罰審理を一時停止するのである
間違いが小さいうちに摘んでおけば 大きな間違いに発展することの有力な予防策になることは いちいち説明せんでも解るやろ
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逃げ場のない走行中の新幹線車内で無差別殺人をやらかした男の裁判では 被告の望んだ通りに無期懲役の判決が下り 被告は法廷で万歳三唱をしたという
それで「解決」だと 皆さんご納得頂けたでしょうか?
刑法裁判というものは判決以上の原因究明や再発防止につながるような調査研究は一切行われることはありません
予言しておきますよ 無差別殺人はこれからも何度も起きます
大した予言じゃありません だって原因究明も再発防止もされていないんですからね
むしろ当然の結果ですよ
それで皆さん良いんですか?
私は嫌ですけどね
Ende;