書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

真実

2021年04月19日 23時06分04秒 | 意識論関連

動物が物事を論理的に検証して合理的な行動を主体的に選択しているようにも見えることもある

しかし それは単に合理性の欠けた条件反射的行動習性を持った個体が淘汰された結果に過ぎないとも言える

蓋然性(可能性)としてはどちらも存在しているとも言え 本当に動物が物事を考えて行動を選択しているのかどうかは生体の脳の動的検証が困難な現状では「わからない」とは言える

しかし である

動物が何か合理的に物事を考えて行動しているかのような行動結果だけを都合よく抽出してきて「動物は物事を合理的に考えて行動している」などと結論付けることは 結論ありきのこじつけ論法であり 科学的検証を逸脱している

実際には動物の行動の中には非合理で無駄な結果しか至らない先天的本能習性というものも多く存在しており ヒトにおいても先天的本能習性によって合理性のない行動を採る事例は無数に見られるのである

動物のある特定の行動が 特定環境下において生存にとって有利な行動習性を持っているとしても あくまで生存にとって不利な行動習性を持っていた個体の死滅による淘汰の結果に過ぎないと考えることの方が 動物の行動習性全体から見た場合には蓋然性が高いことは確かである

感染症の蔓延によって密集密接を避けなければならない状況下でありながらも 密集過密状態になりたがるヒトの頭の悪さからも 情動(本能習性)行動というものには論理的合理性が伴わない非合理なものであるとしか言いようがない

簡単に詐欺やデマに騙されることからも ヒトは日常物事を論理的に検証して合理的行動選択をしていない証拠でもある

数十億年もの変異と淘汰圧力の結果だけを抽出してきて 遺伝的進化の全てが常に正しい結果だけしか至らないかのように言い張るのは非科学的妄想観念でしかない

 

「生存」や「種の保存」や「環境調和」であっても これらは全て変異と淘汰圧力による大量死滅の結果的なものであって

個体の意図目的意識によって主体的に選択したものであるとは言えないのである

なぜなら 自己の遺伝子は自分では都合よく書き換えることが構造原理的に不可能であり 誰の意図目的意識も介在する余地はないからである

遺伝的進化には意図目的意識が介在しない以上 それを「賢い」などと称して あたかも何かを考えて主体的に選択しているかのように形容するのは科学を逸脱したオカルトでしかないからだ

 

配偶者選択による淘汰圧力というものは その内容が理不尽で非合理なものであったとしても非常に強く種の存続に関わるものであり メスに対する忖度が先天的習性として組み込まれる可能性は非常に高く

クジャク マイコドリ ニワシドリ などに見られる必死な異性へのアピール行動には何の合理性も存在しないのである

しかも 近年の研究ではクジャクは飾り羽の豪華さよりも鳴き声で配偶者を選択しているらしいことが言われており 単なるメスの主観的好き嫌いだけで決定しているに過ぎず 論理的合理性を見出すことは不可能である

ヒトの女性が少なからずDV男に悩まされることからも ヒトの女性の主観的好き嫌いには何の合理的「理由」も存在していない証拠でもある

ヒトの同性カップルが種の存続にとって非合理なのも同じことである

それでも主観的に同性にしか興味が持てないことは主観的には事実である以上 これを否定する権利は誰にもない

 

タレントの千秋が遠藤章造との間に子供をもうけたことに対し 事後正当化の屁理屈として「優秀な遺伝子を選べた」などと述べていたことがあるが これは自分の過去の選択である既成事実を事後正当化して認知的不協和を解消するためのご都合主義的なこじつけによって主観的に満足したいだけであって 科学的には何の根拠も伴わないのである

だから何度も言ってるでしょ

個人の主観になんぞ合理的な意味なんぞありゃしないって

だから論理客観的検証という人間としての意識の本質の中にしか真実は存在しないのよ

自分の主観的感覚や感情を正当化するための屁理屈をでっち上げるからヘイトスピーチだの自粛警察だのイジメだのブラック企業だのに陥る原因となるわけよ

それはあらゆる「人災」の根源に個人の主観的感覚を絶対だとみなす錯覚が存在していることを意味する

「自分だけは絶対に大丈夫」だと思っているから「原発は絶対に安全」という根拠のない神話をでっち上げることも可能となる

真実を見極められなければ 危険性を簡単に見落とすことになる

ちょっと自分の頭で考えれば見極められる嘘を見抜けないから「人災」なんであって 脳をエタノールで麻痺させている暇なんぞ本当はないはずなんですけどね

 

 


Ende;

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必然的結果の全てが常に合理性が伴う保証はない

2021年04月19日 00時57分48秒 | 意識論関連

魚類の一種において オスがメスに餌を与えることで結果的にオスの子孫を遺せる利己的行動として「考えて」いるとするのは間違いである

あくまでメスに餌を与える行動を採るオスの方が結果的に子孫を遺すことに適しただけであって

「子孫を遺そう」と考えて行動を選択している論証にはならない

結果的に子孫が遺るような行動習性(無意識な行動バイアス)を採る個体への淘汰圧力の必然的な結果に過ぎない

そもそもヒトの繁殖行動にも合理性はなく 繁殖能力のない幼女強姦の後に殺害する事も少なくはない

先天的本能習性の全てに合理性があると見なした論証は頭の悪い生物学者の非科学的こじつけでしかない

ただ カミさんが見ている前では他の女に利益提供をしないというのは カミさんのご機嫌を損ねたがらない習性が魚類にまで存在していることは確かなようである

とは言え カミさん怒らせたら嫌な思いをするんじゃないかと「思って」はいるとしても カミさんを怒らせたら遺伝子がのこせないなどと「考えて」いるとは言えず カミさんを怒らせるような行動を採ったオスが配偶者選択によって淘汰された結果にすぎない可能性が高い

先天的本能習性というものは結果的になにがしかの合理性をこじつけ説明可能であるとしても 必然的な結果に過ぎない可能性の方が高く 行動に「考え」が伴うことの論証にはならない

ヒトも含めた哺乳類などのの行動習性を鑑みても 本能習性が促す行動によって非合理であさはかな行動に陥ることは非常に多く 様々な「人災」の要因ともなっている

それでもなを先天的本能習性の全てに合理的な「考え」が伴うものであると言い張るのは もはや科学ではなく一種の盲目的宗教でしかない

科学を逸脱していれば真実を見誤ることになるのは必然である

 

 

Ende;

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