ヘーゲルは「相互承認」を説いたが 結論から言えば単なる「多数決」に過ぎず 合理性も普遍的価値も存在しない
啓蒙思想だけがテロル暴力の源であるかのような「こじつけ」をしておいて その代替として「相互承認」なる「多数決」こそが正しいなどという屁理屈にしかなっていないのである
ヒトは合理性や普遍的価値には興味はなく 多数決などによって主観的安心満足さえ得られれば論説の信憑性や論理整合性の欠落など関心を持たなくなるという先天的な認知上の重大な欠陥を持っているのである
カントの言う「道徳」だの「叡智界」などというデマを鵜呑みにしてしまうのも 読者が主観的な安心満足による認知上の重大な欠陥が原因である
哲学というのは主観的に安心満足感を得られる話だけを都合良く「解釈」するためのものではなく 哲学とは論理客観的に真偽を判定するためのものであり 小川仁志による「お悩み解決人生相談」のように主観的「悩み」を解決することが哲学ではない
哲学とは「自由に考えて良い」ものではあるものの あくまで論理客観的に真偽を判定するための自由であって 論理客観的根拠を飛躍して主観的「悩み」をはぐらかして安心満足することではない
それはもはや「考え」ですらない
ヒトは主観的に「悩む」ことと 論理客観的に「考える」こととの区別が困難である それゆえヒトはバカげたデマや嘘に翻弄されることに陥るのである
Ende;