本質的な人間としての意識の有無とは 単なる結果的事実に対する傍観か 目的意識に基づく論理客観的真理の追求かの違いである
ただ結果的事実を陳列するだけでは何の役にも立たず 何一つ科学的論証にもならない
例えば 長谷川眞理子は日本において犯罪が減っていることに対して 「これから犯罪が減るのかどうか 楽しみだわ」などと言っていたが 犯罪がどういう理由や仕組みによって減ったのかについては何一つ科学的根拠を示しておらず これはただの傍観であって論理客観性ではない
理由もわからず 結果的に犯罪が減ればラッキーではあるものの 理由根拠がわからなければ何の応用性もなく 本当に減り続けるのかどうかも何の保証もないのであり 「楽しみ」にすべきことではない
養老孟司は「ヒトとは今まで実証不能の観念を振り回し他人に多大な迷惑をかけてきた」という結果的事実に対し 「ヒトとはそういうものである」などと勝手に決めつけただけで 具体的になぜヒトが実証不能の観念を振り回してしまうのかについての論理客観的な知見は何一つ提示しておらず 当然ながら何の応用性もないのだが 衆愚マスコミはこうした話で何かを理解したかのように勝手に錯覚し 満足安心して養老を信用するようにもなる
養老は死体を担ぎ出して「実証だ」などと言っていたが それは死体という結果を持ってきただけの「犬のお使い」にしかならず 死体から目的意識に基づいた意味のある証拠や根拠を導き出して初めて科学的実証と言うことができるのである
与えられた仕事業務をただ漫然とこなしているだけならイヌでもサルでも訓練次第で可能だが 人間としての目的意識に基づいて問題解決を「考え」なければ何も「立証」したことにはならないのである
それでも養老に人気があるのは むしろ積極的に結果だけを鵜呑みにし 養老の論説は物事を論理客観的に考えないように促してくるからこその人気である これはフリードリヒ:ニーチェの勝手な決めつけに多数の衆愚やエセ「哲学者」共が満足したり 人気を集めることが可能だからである
ところが 一方スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験のように 科学的に「ヒトは盲目的に権威の命令に従ってしまう習性がある」ことを立証した知見に対しては無視しようとし 何の根拠も示さず「それでも権威に服従しない社会は崩壊する」などと決めつけたり 「自分だけは絶対に間違えることはない」などと慢心し まるで他人事のように傍観し 意識から外し 「なかったこと」にすることで満足しようとする
太平洋戦争の時の日本人の多くが戦争に反対しないばかりか むしろ戦争を美化推奨する方向へと傾倒したことや ナチス政権下のドイツ人の多くがユダヤ人迫害や侵略戦争を正当化したり傍観放置したのであるが
それらはまるで政権指導者達だけに責任をなすりつけておけば 政権に全く反対しなかった大多数の大衆には何の責任もなかったかのように責任逃れをすることによって 多数の大衆は自分達を正当化出来ていると倒錯しているのである
これは現在のロシア プーチン政権においても同じように大多数の国民が戦争に加担賛成するか 他人事として傍観放置するのと同じ状況である
NHKの戦争時代を扱ったドラマでは まるで国民のほとんどが軍事政権の被害者であるかのような描かれ方しかしていないが 実際には戦争に賛成し 政府を批判するような記事を書いた新聞社が国民によってボイコットされることすらあった
ドイツのナチス政権もまた民主的に選ばれた政権であり 一応形式的にはプーチン政権もまた民主的選挙によって選ばれたものでもある
日本大学田中英寿理事体制に対し 日本大学の職員は「組織は頭から腐る」などと称して組織のトップだけに責任をなすりつけ 組織腐敗を傍観放置した事実をまるで「なかったこと」のようにはぐらかしているのも同じことである
東京電力福島第一原子力発電所事故においても 「組織の体質が悪かった」などと称し 組織を構成していた個人には何の責任もなかったかのように言い逃れをするのも同じことである
畑村洋太郎は国会原発事故調査委員会報告書において 最も根源的原因として「個人が自律的な社会的責任を負わなかったこと」を挙げており 「組織の体質」を作り上げていたのもまた組織を構成する個人の責任でもあって 特定の取締役員だけを「悪者」として扱うことは むしろ組織を構成していた大多数の個人の責任逃れやはぐらかしにしかならないのである
ヒトが腐敗組織に対して批判しなくなるのは 数の論理によって批判者が「裏切り者」として排除差別されるからであり 批判を控える理由として「生き残るためには」という屁理屈をこじつけるのである
それは 学校や職場におけるイジメに対して批判すれば 批判者の方がイジメの標的にされることを「怖れ」ることによって 批判を控えて傍観放置者や「加害者」の方に回るのである
ヒトは権威などの「怖い」相手には逆らいたくはない
だが それはヒトという種の生物の習性としての「結果」であって 目的意識に基づいた合理性のある行動選択を阻害することはあっても 組織腐敗を解消自浄させる方向としては働かないのである
ヒトという種の生物は 先天的に権力や暴力を振りかざす「怖い相手」に同調迎合忖度服従し 組織腐敗を知っていても他人事のように傍観放置し 後になってから「組織は頭から腐る」だの「組織の体質が悪い」などと称し 組織を構成していた自分個人の判断責任を「なかったこと」にはぐらかすことができると「思って」いるのである
この倒錯こそが あらゆる組織腐敗の根源的原因である
特に軍隊というものは 上官に対する絶対的命令服従を旨とした組織であり 自律的な社会的責任判断選択など一切しない無責任さを持っているからこそ 文民統制が必要となるのであり
プーチンのように元KGBという「兵隊」が追求するのは世界全体の安全性や公平性ではなく 利己的国益追求や国民だけからの評価報酬だけである
それはかつて日本も巻き込まれた列強諸国による侵略植民政策の暴走も同じ原因であり 絶対権力であったはずの昭和天皇に対する下剋上によって勝ち目のない戦争へと突き進むことに至った
軍隊という組織には民主的決定は存在しておらず 自分の頭で物事を考え 責任ある行動選択を誰も求められることがないからこそ 戦争などというバカげた行為もさせることが可能となるのである
それらは全て「結果」的事実ではあっても 目的意識に基づいた再発防止のための科学や哲学の「真理」の論証にはならない
海上自衛隊でパワハラやイジメが起きるのも 陸上自衛隊で卑劣なセクハラが起こるのも 自衛隊という組織は法律上「軍隊ではない」だけであって その内部は軍隊のそれと全く同じものであり 上官に対する命令に対する絶対的服従を旨とする非民主的組織であるが故の結果でもある
誰も自分の頭で物事を論理客観的に「考え」 目的意識に基づいて行動選択をしなくても済む集団組織であるからこそ 糞しょうもない卑劣な行為も発生してしまうのである
それはもはや未成年学生レベルの幼稚な判断能力しか育っていないからである
こうした幼稚性というものは 別に自衛隊や軍隊に限ったことではなく むしろヒトという種の生物に普遍的に見られる先天的習性であり
ヤクザだのゲリラだのテロリスト集団の形成においても働くものであり 軍隊というのはこうしたヒトの先天的習性を利用した為政者や無責任な衆愚にとって便利に使える いわば「生贄」であって 軍事力任せにしておけば自分達が守ってもらえる「安全保障」だと倒錯しているに過ぎない
スタンレー:ミルグラム著「服従の心理」においても ヒトの盲目的服従性に対して進化的有用性を正当化するような解釈もされており これは遺伝的進化万能論に基づいた非科学的見解である
遺伝的進化というものは あくまで「拡がりやすい遺伝子が拡がる」という結果に過ぎず それが結果的に生存や繁殖にとって適しているのは 生存や繁殖に適した遺伝子を持った個体種への収斂進化の結果であって 断じて「生物の目的は生存や繁殖」であることの科学的論証には全くならず
遺伝的進化というものは決して個体種にとって都合よく起きるものではないのである
糖の摂り過ぎによる生活習慣病が ヒトの祖先の生息環境によって収斂進化の結果的傾向性であり どんなに多くのヒトが生活習慣病に陥るという結果を陳列しても「ヒトは生活習慣病になることを目的としている」ことの科学的論証にはならない
結果的事実をいくら大量に陳列枚挙しても それが短絡的に合理性のある目的の論証にはならない
ヒトの大半は自分の頭で物事を論理客観的に検証(考え)判断せずに ただ既存の権威肩書に「怖れ」ることで盲目的に鵜呑みにするばかりで 何が真実なのかは誰も考えようともしないものである
山極寿一のように 「ヒトの大半は戦争をせず 平和を求めている」などという結果的事実だけを陳列しておけば 安心満足して衆愚人気を集めることは簡単である
しかし ヒトが武力暴力や国家権力による懲罰によって全てが解決したかのように倒錯するメカニズム構造や先天的習性を論理科学的に説明しても 自己に対する過信を喪失する恐怖心から「なかったこと」にして無視し 論理客観的根拠や統計的証拠も示さずに頭ごなしに否定し 忘れようとするのである
通り魔やテロリストを死刑にしておけば通り魔事件やテロ事件が起きなくなるわけでもないのと同様に 戦争犯罪者に懲罰を加えても全く戦争はなくなることはない
なぜなら 刑法懲罰によって根源的原因究明や それに伴う再発防止策が全く「見えて」いないからである
大衆マスコミは殊勝ぶって「先の戦争から学んで再発防止」などと主張しているが 「お涙頂戴」の悲惨な結果だけを陳列して被害者面ばかりをしていて 加害者側に無意識に加担していた客観的事実を忘れていて再発防止もヘッタクレもあったものではない
「遺伝的進化というものに目的が存在しているはずだ」という錯覚は ヒトという種の生物が遺伝的進化によって先天的人間性が組み込まれているはずだという希望的願望に基づいたデマに過ぎず フランシス:ゴルトンの優生学は進化生物学における間違った「常識」に基づいた妄想であり これを認識理解しようとしないNHK教育番組制作者達はデクノボウの集団としか言いようがない
未だに生物学者の多くは「○○のために進化を選んだ」などという説明解釈を続けているが その一方では「進化は選べない」とも言っているのであり この論理矛盾を傍観放置している頭の悪さを大多数の衆愚マスコミは全く自覚していない
ロシア軍による虐殺や拷問をどんなに立証して戦争犯罪者として懲罰で裁いても それは「戦争が起きる原因」の解明にも再発防止にもつながらない
「悪者探し」で懲罰報復すれば 気分的には満足することができることはわかっている ヒトとはそういうものであるが それはあくまで「結果」的事実でしかない
どんなに残虐な「犯人」に どんなに苛烈な罰を与えても 原因究明にも再発防止にもならないことに誰も気づかない頭の悪さがヒトには普遍的に存在しているのである
衆愚マスコミの大半は 懲罰的報復こそが尊厳だの正義だと倒錯しているが 倒錯を倒錯として理解認識できない頭の悪さを自覚しないことには戦争や犯罪も含めたあらゆる「人災」の再発防止にはつながらないのである
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