決定論
周囲の環境によって最初から決定している
触覚ラビット錯覚
⇨特定の錯覚現象だけを取り上げて あたかも感覚の全てが錯覚であるかのように言い張るのは科学を逸脱している
プロ野球選手の投球は0.4秒でキャッチャーミットに到達するので 意識的に打つことは不可能
しかし訓練を繰り返すことによって反射的な高速処理能力を獲得して打つことが可能となる
「脳活動が意識より先行している」というが
⇨そもそも意識そのものが脳活動によるものである
意識の始まりが無意識だとしても 「殴りたい」と思ったからといって殴る以外の行動選択が不可能であることの論証にはならない
選択盲など どんなにたくさんの錯覚を挙げても 意識的選択可能性の全てが存在しないことの論証にはならない
そもそも行動選択可能性が存在しないというのであれば あらゆる犯罪も過失(人災)も「俺の所為ではない」と言い逃れすることが可能となる
「刑罰が良いのかどうか」
⇨刑罰で何かが「解決」していると思っていることそのものが間違いである
刑罰が再犯において有効性が低く むしろ刑罰を廃止した北欧の「リゾート刑務所」の方が再犯率を著しく下げることが立証されている
犯罪者の多くは幼少期からの虐待を受けていると言われており 自律的に自分の行動責任を負わないからこそ「人災」に至るのであり
自律的に社会的責任を負おうとする人に育てることは「大人」側の行動責任である
「教わっていないことは 教えられない(養老孟司)」などと言い出すバカは 自分で物事を考え発見発明することができず 社会をより良く発展させる本質的知能を発揮できず 全ては環境や状況の所為にして何も考えようとする「意志」すら持たない
ヒトの大半は自分では物事の真理を見極めようともしないバカであるが どんなに多くのバカを陳列枚挙しても「ヒトの大半には自由意志がほとんどない」ことの論証にはなっても「ヒトの全てには自由意志などない」ことの論証にはならない
こんな簡単な理屈すらも理解できないバカ脳科学者しかいないから養老孟司がいつまでも「名誉教授」扱いされ続けているという大失態をし続けているのである
Ende;