落語の題に、「たいこ腹」というのがある。
鍼師の私としては、ひやひやして聞いていられない噺(はなし)だ。
なんたって、若旦那がいろんな趣味にコる中、ついに鍼にコる。
金はあるので、すぐに道具を買い揃える。
ヒマはあるので、すぐにアレコレに鍼を打つ。
枕に打ってすぐにあきる。
飼い猫に打って引っ掻かれる。
人間に打ちたいというので、街に出かける。
いつもの茶屋に上がって、贔屓の幇間(ほうかん)を呼ぶ。
幇間とは、たいこもちとも呼ぶ。
お客さんにうまい相槌を打ち、良い心持ちにさせる。
お大尽気分で財布の紐がゆるんだところで、芸者をあげよう、
という流れになる。
そういう役割の芸人で、現代では希少生物、絶滅寸前だ。
「一八おまえ鍼は好きか」
と聞かれれば、旦那の言うことには気持ち良い相槌を打つ商売、
はいはい好きですと答える。
「それは良かった。最近おれは鍼にこっててな」
打たせろという話になる。
鍼は好きだと言ってしまった手前、旦那の言うことには逆らえない商売、
しかたない、腹を括って、いや腹をまくって、若旦那に鍼を打たせる。
文字通り昨日今日初めて鍼を持ったものだ。
いきなり人間に打ってうまく行くわけがない。
チクンと来てブスブスッと来たもんだから、一八は慌てて動く。
激しい動きに、鍼が折れる。
折れた鍼を抜くべく、横に迎え鍼を打つ。
同じことで、これまた折れる。
うまく行かないと分かると、若旦那は早々に逃げて行ってしまう。
一八は腹に鍼を二本刺したまま残される。
もう、鍼師として聞いてて冷や汗が流れる。
寄席でこの話を聞きながら、客席の反応を見渡してみると、
どなたも表情が変わらない。
どうやら、鍼を好む人がいないようだ。
経験があれば、この話の怖さが分かるはずだ。
しかし、鍼師としてはまた、こんなことが実際には起こらないということも
強調しておきたい。
まず、現代の鍼は、ステンレス製で丈夫だ。
落語の舞台であろう江戸時代の鍼とでは、今は違う。
それと、鍼を打つ瞬間というのは、チクンとすることもある。
これは、うまくやればチクンと来ないが、どうしてもチクンとすることもある。
しかし、その瞬間のかすかなものであって、どうということは無い。
その後の鍼の進め方は問題である。
ブスブスッと若旦那のように鍼を進めると、違和感や痛みを感じることもある。
一八はそこでビックリして動いてしまったのだろう。
噺の中では、おかみさんが「あらまあ、おなかから鍼二本はやして」と発見しているから、
外の部分が折れたことになっている。
しかし、鍼が折れる時は、困ったことに、体内で折れる。
患者が動くということは、筋肉が動く。
鍼が縦に入っている筋肉が横に動く。
筋肉というのは層になっていて、動き方が層によって異なる。
そのズレによって、鍼が折れる。
まあ、現代のしなやかで丈夫な鍼の場合、折れると言っても折れ曲がるだけだ。
頭は外に出ているので、引っ張りゃ抜ける。
しかし、曲がっているから引っ張りにくい。
そこで、周囲の筋肉をほぐすためにわきにもう一本打つのを、迎え鍼と呼ぶ。
若旦那はそんな迎え鍼を知っていたわけだ。
とにかく、おっかない噺にするために、実際には無いことを言っている、
おもしろおかしくしているだけだ、あくまで落語なんだ、と言いたい。
これを聞いて「鍼ってやっぱり怖い」なんて思われちゃ困る。
太鼓腹の噺家、柳家喬太郎による「幇間腹」をどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=s0FlKTLOhdg
腹から笑えばいいや。
鍼師の私としては、ひやひやして聞いていられない噺(はなし)だ。
なんたって、若旦那がいろんな趣味にコる中、ついに鍼にコる。
金はあるので、すぐに道具を買い揃える。
ヒマはあるので、すぐにアレコレに鍼を打つ。
枕に打ってすぐにあきる。
飼い猫に打って引っ掻かれる。
人間に打ちたいというので、街に出かける。
いつもの茶屋に上がって、贔屓の幇間(ほうかん)を呼ぶ。
幇間とは、たいこもちとも呼ぶ。
お客さんにうまい相槌を打ち、良い心持ちにさせる。
お大尽気分で財布の紐がゆるんだところで、芸者をあげよう、
という流れになる。
そういう役割の芸人で、現代では希少生物、絶滅寸前だ。
「一八おまえ鍼は好きか」
と聞かれれば、旦那の言うことには気持ち良い相槌を打つ商売、
はいはい好きですと答える。
「それは良かった。最近おれは鍼にこっててな」
打たせろという話になる。
鍼は好きだと言ってしまった手前、旦那の言うことには逆らえない商売、
しかたない、腹を括って、いや腹をまくって、若旦那に鍼を打たせる。
文字通り昨日今日初めて鍼を持ったものだ。
いきなり人間に打ってうまく行くわけがない。
チクンと来てブスブスッと来たもんだから、一八は慌てて動く。
激しい動きに、鍼が折れる。
折れた鍼を抜くべく、横に迎え鍼を打つ。
同じことで、これまた折れる。
うまく行かないと分かると、若旦那は早々に逃げて行ってしまう。
一八は腹に鍼を二本刺したまま残される。
もう、鍼師として聞いてて冷や汗が流れる。
寄席でこの話を聞きながら、客席の反応を見渡してみると、
どなたも表情が変わらない。
どうやら、鍼を好む人がいないようだ。
経験があれば、この話の怖さが分かるはずだ。
しかし、鍼師としてはまた、こんなことが実際には起こらないということも
強調しておきたい。
まず、現代の鍼は、ステンレス製で丈夫だ。
落語の舞台であろう江戸時代の鍼とでは、今は違う。
それと、鍼を打つ瞬間というのは、チクンとすることもある。
これは、うまくやればチクンと来ないが、どうしてもチクンとすることもある。
しかし、その瞬間のかすかなものであって、どうということは無い。
その後の鍼の進め方は問題である。
ブスブスッと若旦那のように鍼を進めると、違和感や痛みを感じることもある。
一八はそこでビックリして動いてしまったのだろう。
噺の中では、おかみさんが「あらまあ、おなかから鍼二本はやして」と発見しているから、
外の部分が折れたことになっている。
しかし、鍼が折れる時は、困ったことに、体内で折れる。
患者が動くということは、筋肉が動く。
鍼が縦に入っている筋肉が横に動く。
筋肉というのは層になっていて、動き方が層によって異なる。
そのズレによって、鍼が折れる。
まあ、現代のしなやかで丈夫な鍼の場合、折れると言っても折れ曲がるだけだ。
頭は外に出ているので、引っ張りゃ抜ける。
しかし、曲がっているから引っ張りにくい。
そこで、周囲の筋肉をほぐすためにわきにもう一本打つのを、迎え鍼と呼ぶ。
若旦那はそんな迎え鍼を知っていたわけだ。
とにかく、おっかない噺にするために、実際には無いことを言っている、
おもしろおかしくしているだけだ、あくまで落語なんだ、と言いたい。
これを聞いて「鍼ってやっぱり怖い」なんて思われちゃ困る。
太鼓腹の噺家、柳家喬太郎による「幇間腹」をどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=s0FlKTLOhdg
腹から笑えばいいや。
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