犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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音楽家高木と私

2017年09月23日 | なりもの
今度出演するライブハウスの店長がファンクバンドをやってるらしい、見に行こう。
とバンドのリーダーが言う。
それで、秋葉原のGoodmanに行った。
ってえのは、20何年前だったろう。

=BAD★GUN=のステージは、メンバーひとりひとりが際立っていて、刺激的で、
私は自分のホームバンド以外で、参加したい!と熱く思ったのはこのときが一番だった。

願いは後で叶うこととなったが、
その前にまず、そこに参加していたギター氏のバンドの
お手伝いホーンセクションに呼んでもらえた。
ホームバンドのトランペット嬢と一緒にで、サックスはバッドガンで吹いていた野郎だった。

それが高木であった。
高木はその時のバッドガンのステージではふざけて白衣を着ていて、
本番後にしつこく女の子をナンパしていたのが印象的だった。

ギター氏のバンドはDue Tess Parlourという名前で、
雰囲気ある女性ボーカルと、魅力的な楽曲が柱になっていた。
ホーンセクションの中心は、バッドガンのホーンアレンジもした、
ネタンダーズの井上"JUJU"博之さんであった。

それから、バッドガンで何年か吹いた。
ベースのラリーが元気だった頃だ。

高木が、スカバンドのWhat's Love?に呼んでくれた。
ライブサポートメンバーとして、2年あまりか、つとめた。

ワッツラブの後、私はバンド界から引っ込んだ。
復活しようと思った矢先に腱鞘炎になり、思うに任せぬ日々であった。
そのこともあって鍼灸の道を目指したが、国家試験も通ってしばらくすると音楽の虫がうずいた。
(この3行で十年)

そんで2年前にファンクをやるフルバンドに参加。
一回きりのステージであったが、久々にアレンジし、吹いた。
トランペットとサックスを探すのに、とにかくまず高木に相談した。
すると高木はすぐにトランペットを紹介してくれ、そして
サックスは自分がやる、と言ってくれた。

この上無い。
お前がやってくれるなら、それに越したこたあ無いんだ高木よ。

15年ぶりくらいに、セクションで吹いた。
相変わらずの高木節である。
まあ、同じように思われていたことだろう。

彼と私ではタイム感がずいぶん違う。
それでも一緒にセクションで吹く。
お互いに歩み寄って、マトモなタイムになる。
吹きやすいわけではないけれど、良い結果が生まれる。
これが、アンサンブルの妙味ってところだ。

あるとき、ワッツラブのやはりライブサポートで入っているメンバーが
私に聞いてきた。
「尊敬する人っている?」
そんなのいないだろ、お前は傲慢で誰も尊敬なんかしていない、ひとのこと馬鹿にしてるよな、
という前提での質問だった。
私の思い込みでこう書いているのではなくて、
「す~さんは自分が一番だもんね。」ということを言われた。
まあ、そう見られても仕方ない。

いやいや、尊敬する人はいる、高木だ、と答えた。
相手は、音楽活動についてのことだと捉えているようであったが、
私が高木を敬愛するのは、もっと別のことが理由だ。
彼はとんと害意が無いのだ。

これもほんの私見に過ぎず、他の誰かから見れば、
付き合いづらい面倒くせえ厄介な野郎だったりするかもしれない。
けれど私にとって高木は愛すべき馬鹿野郎だ。

あるとき、バンドの練習の場で、
「す~さんは女が好きなんだよね。」と言う。
私は自分の恋愛対象が女性であることを、当時は特にオープンにしているわけではなかった。
それを高木は言いふらしてしまったことになる。
いわゆるアウティングというのに当てはまるので、やっちゃいけないことだ。

女は女であるということだけで男から大事にされる、という利点がある。
女だと思っていたら実はよくわかんないオッサンだということがバレると、
警戒されるということが起きることもある。
起きた。
どう接して良いかわからない、という雰囲気が漂った。
結局そのバンドの中で私は孤立してしまった。
けれど私は高木が言ってしまったせいだなんて思ってはいない。
高木は良いのだ。
みんなが高木のように、す~さんが女が好きだからといってどう付き合えばいいのかわかんなく
なったりしなければ、なんの問題も無いのだ。

またあるとき、ライブ前、リハーサルが終わって、誰かが案内してくれる。
「女性の楽屋は2階、男性の楽屋はこっちの奥になります。」
すかさず高木は
「す~さーん、こっちよー。」とかなんとか言う。

私は結局のところは女性の楽屋に行く。
私としてはどっちへ行ってもいいんだけどね。
どちらかと言ったら女性が同性だと思っている。
女性からも同性だと見られていると思っているわけだ。
男性からはなかなか同性と見られにくい。
そりゃそうだ。
私もそうは思っていない。

高木はそんなめんどくさいことは理解しない。
それでいい。
気にしない。
高木のように気にしなければ、実は細かいことはどうでもいいのだ。
「あなた男よ。」と高木は言って、それはまるで私の理解とはほど遠いのだけれど、
とにかくそれ以上に何も無いのが気持ち良かった。

高木はとにかく音楽活動中心で生きていた。
音楽のために生きていた。
ただ、プロになれる音楽家ではなかった。
そういう意味でも、私は同じように生きる者として、
高木は指針のようなものであった。

ゼニにできないけれど音楽が自分の生き方である、
という不器用な人間はチラホラいる。
その中でも高木ははえぬきの不器用であった。
高木の存在は、私の支えであった。
いつも、あいつがいるから、安心して音楽に取り組んでいられる。
そういう部分が、私の気持ちの中に、確実に在る。

呼べば一緒に吹いてくれるし、
私がしっかりやっていれば一緒に吹ける場に呼んでくれる、
そういう信頼が有る。

ただ音楽の、ホーンセクションの相方というだけでなく、
よけいなことを気にせず付き合える、稀有な友人であった。

その高木が、昨日、この世を去ってしまった。

私は支えを失ったような気持ちでいるけれど、
こんなもの、彼と婚約していたひとの気持ちからしてみたら
ハナクソほどでもない。
ちゃらんぽらんに見える高木が、
「病気を治したら結婚しよう」と言って格闘した。
看病する彼女を笑わせるくらいの強さを見せた。
こんなにかっこいい高木を私は見たことが無かった。

高木の「す~さーーん」という間延びした声が聞こえるようだ。
奴の強さが、彼女とともにありますように。

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