庭に蚊が多い。
なぜかと言えば、庭が藪と化しているからだ。
もっときれーいに整えていれば、今ほど蚊が殖えることも無いだろう。
茗荷の茎が倒れ始めたので、一掃することにした。
茗荷の間に蕗が生えていて、そこいらには元々、菖蒲が生えている。
なんと。3種類とも根茎で殖える植物だ。
見た目も繁っているのだが、ちょっと掘ると
土の中はもっと繁って混迷というか根迷を極めている。
そこにまたヤブカラシの地下茎が這っていたりする。
いつもは憎たらしいヤブカラシの地下茎だが、
蕗や茗荷の根茎のようなややこしい物の間だと、
すーっと一筋、素直なものに思えてくるぐらいだ。
倒れた茗荷を取り除くと、枯れた菖蒲の葉が現れる。
さらにそれを取り除くと、茗荷のつぼみ、いわゆる
「ミョウガ」と呼んで食べるあの部分がたくさん出ているのが現れた。
10月の半ばにまたこれが出るのは知らなかった。
夏だけだと思っていた。しかも、どでかい。
葉や茎に養分を回さない分、大きく花咲くつもりなのだろうか。
※
食べる茗荷と似て非なる、ヤブミョウガというヤツがよく生える。
見付けたら引っこ抜く。
何年もそうしているが、無くなりゃしない。
これの名前を母は「ハナミョウガ」と教えてくれた。
ある時、近所の神代植物公園でハナミョウガを見た。
ウチの「ハナミョウガ」と違うものだった。
やられた。
調べると、「ハナミョウガ」の本名は「ヤブミョウガ」だった。
とにかくあちこちの家の裏なんかに繁っている。どこにでも有る。
※
サンスクリットはクソやたら長ったらしい複合語を作る。
複合語の要素に隠れた格が有って、要素の間の関係の意味を作っている。
その隠れた格をあばくのが、文法研究の一つの味わいだったりする。
もしサンスクリットで「ハナミョウガ」と書いてあったら、
花の茗荷ね、で済ませるのではなく、「花を咲かせる茗荷」だろう
というところまで丁寧に読み解く。
「ヤブミョウガ」だったら、「藪に生える茗荷」と
「ヤブ」は位置を示す処格(locative)に取れば良いだろう。
※
その、茗荷と蕗と菖蒲が絡み合っている場所に、
いつの間にか増殖しているヤツらがいる。
ヤブランだ。
これも、母に「キッチョウソウ」と教わったが、
疑って自分で調べてみたらヤブランだったのだ。
要するに
母は間違いだらけで、
ウチの庭は藪だらけなのである。
ヤブランは地上で茎を横這いさせて広がる。
どんどん広がる。
どんどん広がって、藪になる。
藪に咲く蘭、ではなく
藪を作る蘭である。
自らが藪であるところの蘭、でもいいだろう。
つまり「ヤブラン」の「ヤブ」は処格ではなく、
「藪を作る」ので目的格(accusative)が妥当か。
「自らが藪である」の場合は主格(nominative)かなあ。
他にも生えていて「藪の一部である」なら属格(genitive)でも良さそう。
なんて考えても、勉強にも草取りにもならないのである。
※
と、ここまで書いてからよく確認したら、
今、ウチの庭で藪を広げているのは
「キチジョウソウ」のようだ。
まったく、見た目と名前の両方が紛らわしいというのはやめてほしい。
今回で憶えよう。
キチジョウソウキチジョウソウキチジョウソウ
とにかく、
蚊を減らすためにも藪を刈るべし。
なぜかと言えば、庭が藪と化しているからだ。
もっときれーいに整えていれば、今ほど蚊が殖えることも無いだろう。
茗荷の茎が倒れ始めたので、一掃することにした。
茗荷の間に蕗が生えていて、そこいらには元々、菖蒲が生えている。
なんと。3種類とも根茎で殖える植物だ。
見た目も繁っているのだが、ちょっと掘ると
土の中はもっと繁って混迷というか根迷を極めている。
そこにまたヤブカラシの地下茎が這っていたりする。
いつもは憎たらしいヤブカラシの地下茎だが、
蕗や茗荷の根茎のようなややこしい物の間だと、
すーっと一筋、素直なものに思えてくるぐらいだ。
倒れた茗荷を取り除くと、枯れた菖蒲の葉が現れる。
さらにそれを取り除くと、茗荷のつぼみ、いわゆる
「ミョウガ」と呼んで食べるあの部分がたくさん出ているのが現れた。
10月の半ばにまたこれが出るのは知らなかった。
夏だけだと思っていた。しかも、どでかい。
葉や茎に養分を回さない分、大きく花咲くつもりなのだろうか。
※
食べる茗荷と似て非なる、ヤブミョウガというヤツがよく生える。
見付けたら引っこ抜く。
何年もそうしているが、無くなりゃしない。
これの名前を母は「ハナミョウガ」と教えてくれた。
ある時、近所の神代植物公園でハナミョウガを見た。
ウチの「ハナミョウガ」と違うものだった。
やられた。
調べると、「ハナミョウガ」の本名は「ヤブミョウガ」だった。
とにかくあちこちの家の裏なんかに繁っている。どこにでも有る。
※
サンスクリットはクソやたら長ったらしい複合語を作る。
複合語の要素に隠れた格が有って、要素の間の関係の意味を作っている。
その隠れた格をあばくのが、文法研究の一つの味わいだったりする。
もしサンスクリットで「ハナミョウガ」と書いてあったら、
花の茗荷ね、で済ませるのではなく、「花を咲かせる茗荷」だろう
というところまで丁寧に読み解く。
「ヤブミョウガ」だったら、「藪に生える茗荷」と
「ヤブ」は位置を示す処格(locative)に取れば良いだろう。
※
その、茗荷と蕗と菖蒲が絡み合っている場所に、
いつの間にか増殖しているヤツらがいる。
ヤブランだ。
これも、母に「キッチョウソウ」と教わったが、
疑って自分で調べてみたらヤブランだったのだ。
要するに
母は間違いだらけで、
ウチの庭は藪だらけなのである。
ヤブランは地上で茎を横這いさせて広がる。
どんどん広がる。
どんどん広がって、藪になる。
藪に咲く蘭、ではなく
藪を作る蘭である。
自らが藪であるところの蘭、でもいいだろう。
つまり「ヤブラン」の「ヤブ」は処格ではなく、
「藪を作る」ので目的格(accusative)が妥当か。
「自らが藪である」の場合は主格(nominative)かなあ。
他にも生えていて「藪の一部である」なら属格(genitive)でも良さそう。
なんて考えても、勉強にも草取りにもならないのである。
※
と、ここまで書いてからよく確認したら、
今、ウチの庭で藪を広げているのは
「キチジョウソウ」のようだ。
まったく、見た目と名前の両方が紛らわしいというのはやめてほしい。
今回で憶えよう。
キチジョウソウキチジョウソウキチジョウソウ
とにかく、
蚊を減らすためにも藪を刈るべし。
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