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[あらすじ] 20年放置していた、机の引き出しを整理した。
平たい引き出しには、紙類がいろいろ。
年金手帳や、古い運転免許証や、古い通帳、
学生バンドの頃に利用していたスタジオの会員証などが続々出てくる。
友達の名刺は、どれを見ても初めて就職した会社でのものだ。
タイムマシンというよりは、タイムカプセルと言ったほうが正確か。
通ってい(なかっ)た大学からの封書があった。
配達証明が速達で来ている。
'92年3月18日の消印。
こんなモノモノシいのは、大体ナカミが想像できる。
ドイツ語学科2年 須山殿
在学年限について(通知)
あなたは、平成4年3月31日をもって学則第13条に定める在学年限が
満了するため、学則第40条の規定により同日付けで除籍手続きを
とりますのでご承知おき願います。
なお、自主退学を希望する場合は、別紙退学願を平成4年3月31日までに
教務課記録係あてに提出するとともに未納の授業料を併せて
会計課出納係に納入してください。
(注)学則第13条 学部に在学できる期間は8年とする。ただし、前期に
ついては4年を超えることができに。
学則第40条 次の各号の一に該当する者は、学長が除籍する。
(1)第13条に定める在学年限を超えた者
(2)略
(3)授業料の納付を怠り、督促してもなお納付しない者
以下略
大学を何故やめたのか、と近年でも聞かれることがあるけれど、
自分にとってはすでに過ぎ去った過去のいにしへなので、
正確には思い出せずまともに答えられない。
ただ、その頃すごくタイヘンな思いをしていて、
部屋からほとんど出なかったことは憶えている。
しかし、オーケストラやバンドの練習には出かけて行ったし、
友達が紹介してくれたバイトにちょこちょこ出ていたことは確かだ。
その頃のことについては、以前ちょっと書いたことがある。
http://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/0ee9e4228258a547907a12122d0f55fc
同級生たちの卒業式の後のパーティーにしれっと参加した記憶がある。
ブラウス着てジャケット羽織ってスカート履いて、友達にメイクされて、
女装気分だった。
あれは何日だったんだろう。
この通知は18日の消印だ。
学科長から電話がかかってきたのは、いつだったろう。
なんと切り出されたか憶えていないが、
「それについてはちょっと考えておりましてモニョモニョ…」とかなんとか
答えたら、電話の向こうで先生は、
「よし、わかった。じゃあ今度話そう。」と、数日後に研究室に来るように
時間を決めたのだ。
この先生は親が無くて苦学した人で、
しかし両親が大学者という環境に育った学生の気持ちなどにも寄り添ってくれる
フトコロのある人だった。
他の先生とちょいと味わいの違う、苦労人だ。
「で、学校をやめて何をするのだ。」
「そうか、トロンボーンをドイツ語でなんと言うか知ってるかい。」
「そうだ。auの発音が良い。リズムが良い。
音楽家は耳が良いから、語学をやると上手だ。」
今さら語学をほめられても、とチラリと思ったものだが、
先生は自分の持っている尺度を用いて、私の他の道への適性を
見ていたのかもしれない。
たまたまなのか、いつもなのか、
それともついぞ先生のもとなどに足を運ばぬ若者の緊張をほぐすために呼んであったのか、
その時、研究室には奥様がいらっしゃって、お茶やお菓子を出してもらって
実際ちょっとホッとしたのを憶えている。
今、
この先生の名前を思い出そうとしているのだが…。
結核を患ったとかで肺が片方無いだか機能していないだかだけれど
大きい声が出る、というのが自慢だった。
授業中さんざん似顔絵を描いたので、顔は思い出せるのだが。
平たい引き出しには、紙類がいろいろ。
年金手帳や、古い運転免許証や、古い通帳、
学生バンドの頃に利用していたスタジオの会員証などが続々出てくる。
友達の名刺は、どれを見ても初めて就職した会社でのものだ。
タイムマシンというよりは、タイムカプセルと言ったほうが正確か。
通ってい(なかっ)た大学からの封書があった。
配達証明が速達で来ている。
'92年3月18日の消印。
こんなモノモノシいのは、大体ナカミが想像できる。
ドイツ語学科2年 須山殿
在学年限について(通知)
あなたは、平成4年3月31日をもって学則第13条に定める在学年限が
満了するため、学則第40条の規定により同日付けで除籍手続きを
とりますのでご承知おき願います。
なお、自主退学を希望する場合は、別紙退学願を平成4年3月31日までに
教務課記録係あてに提出するとともに未納の授業料を併せて
会計課出納係に納入してください。
(注)学則第13条 学部に在学できる期間は8年とする。ただし、前期に
ついては4年を超えることができに。
学則第40条 次の各号の一に該当する者は、学長が除籍する。
(1)第13条に定める在学年限を超えた者
(2)略
(3)授業料の納付を怠り、督促してもなお納付しない者
以下略
大学を何故やめたのか、と近年でも聞かれることがあるけれど、
自分にとってはすでに過ぎ去った過去のいにしへなので、
正確には思い出せずまともに答えられない。
ただ、その頃すごくタイヘンな思いをしていて、
部屋からほとんど出なかったことは憶えている。
しかし、オーケストラやバンドの練習には出かけて行ったし、
友達が紹介してくれたバイトにちょこちょこ出ていたことは確かだ。
その頃のことについては、以前ちょっと書いたことがある。
http://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/0ee9e4228258a547907a12122d0f55fc
同級生たちの卒業式の後のパーティーにしれっと参加した記憶がある。
ブラウス着てジャケット羽織ってスカート履いて、友達にメイクされて、
女装気分だった。
あれは何日だったんだろう。
この通知は18日の消印だ。
学科長から電話がかかってきたのは、いつだったろう。
なんと切り出されたか憶えていないが、
「それについてはちょっと考えておりましてモニョモニョ…」とかなんとか
答えたら、電話の向こうで先生は、
「よし、わかった。じゃあ今度話そう。」と、数日後に研究室に来るように
時間を決めたのだ。
この先生は親が無くて苦学した人で、
しかし両親が大学者という環境に育った学生の気持ちなどにも寄り添ってくれる
フトコロのある人だった。
他の先生とちょいと味わいの違う、苦労人だ。
「で、学校をやめて何をするのだ。」
「そうか、トロンボーンをドイツ語でなんと言うか知ってるかい。」
「そうだ。auの発音が良い。リズムが良い。
音楽家は耳が良いから、語学をやると上手だ。」
今さら語学をほめられても、とチラリと思ったものだが、
先生は自分の持っている尺度を用いて、私の他の道への適性を
見ていたのかもしれない。
たまたまなのか、いつもなのか、
それともついぞ先生のもとなどに足を運ばぬ若者の緊張をほぐすために呼んであったのか、
その時、研究室には奥様がいらっしゃって、お茶やお菓子を出してもらって
実際ちょっとホッとしたのを憶えている。
今、
この先生の名前を思い出そうとしているのだが…。
結核を患ったとかで肺が片方無いだか機能していないだかだけれど
大きい声が出る、というのが自慢だった。
授業中さんざん似顔絵を描いたので、顔は思い出せるのだが。
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