大作である。
文庫で340頁ほどなので、長いわけではない。
中は三つの章にわかれていて、第一第二の章で二人の主人公それぞれの
生い立ちが描かれ、第三章で二人が出会う。
この第一第二の章が圧巻である。
産みの親がどんな人だったかから始まって、
幼少の環境、幼いながらの性質、小学生の頃、
思春期のあれこれ、高校生としてどんなだったか、
どのような道をなぜ選び、どんな就職をしたか。
100頁かけて履歴を描いていく。
読者は主人公の人となりを知る。
ひょっとすると、親しい友だちのことよりもことこまかに知る。
第三章で、二人がどのような言動に出た時も、
読者には納得が行く。
どうやって生きてきたか、知っているからだ。
第三章すべての根拠が第一第二の章にある。
再読する際には、第三章だけ読んでみよう。
成立するのかどうか。
たぶん、知らない人と知らない人がジタバタして、
そんなこと言わなくてもいいのにと思うようなことを言い、
そんなふうにしなくてもいいのにと思うようなことをするのだろう。
私たちが他人に対してそんなふうに理解無く感じるのは、
その人の人となりを知らないからかもしれない。
作者は第一第二の章で徹底的に人を描くことによって、
主人公と読者を友だちよりも親きょうだいよりも近く知らせる。
そうやって、作者は読者の感情を作中へひきつける。
ふつう、誰かが誰かの生い立ちを描いても、こうは書けない。
どこの病院で生まれたか、ほんとのところ初めて好きになった子は誰だったか、
あの時ああ言ったけれど実は何を思っていたか。
誰かは誰かのことをすべて知っているわけはない。
どこか知らないことがある。
伝記でも人物伝でも、描かれないことだらけだ。
自分史だったらそこも書けるだろう。
しかし、この第一第二の章はそれとも違う。
本人しか知らない体験ばかりでなく、
本人も知らない周辺の事柄までが書かれる。
友だちよりも親きょうだいよりも近く、
自分よりも客観的に知る、
二人の女性が第三章に出会う。
文庫で340頁ほどなので、長いわけではない。
中は三つの章にわかれていて、第一第二の章で二人の主人公それぞれの
生い立ちが描かれ、第三章で二人が出会う。
この第一第二の章が圧巻である。
産みの親がどんな人だったかから始まって、
幼少の環境、幼いながらの性質、小学生の頃、
思春期のあれこれ、高校生としてどんなだったか、
どのような道をなぜ選び、どんな就職をしたか。
100頁かけて履歴を描いていく。
読者は主人公の人となりを知る。
ひょっとすると、親しい友だちのことよりもことこまかに知る。
第三章で、二人がどのような言動に出た時も、
読者には納得が行く。
どうやって生きてきたか、知っているからだ。
第三章すべての根拠が第一第二の章にある。
再読する際には、第三章だけ読んでみよう。
成立するのかどうか。
たぶん、知らない人と知らない人がジタバタして、
そんなこと言わなくてもいいのにと思うようなことを言い、
そんなふうにしなくてもいいのにと思うようなことをするのだろう。
私たちが他人に対してそんなふうに理解無く感じるのは、
その人の人となりを知らないからかもしれない。
作者は第一第二の章で徹底的に人を描くことによって、
主人公と読者を友だちよりも親きょうだいよりも近く知らせる。
そうやって、作者は読者の感情を作中へひきつける。
ふつう、誰かが誰かの生い立ちを描いても、こうは書けない。
どこの病院で生まれたか、ほんとのところ初めて好きになった子は誰だったか、
あの時ああ言ったけれど実は何を思っていたか。
誰かは誰かのことをすべて知っているわけはない。
どこか知らないことがある。
伝記でも人物伝でも、描かれないことだらけだ。
自分史だったらそこも書けるだろう。
しかし、この第一第二の章はそれとも違う。
本人しか知らない体験ばかりでなく、
本人も知らない周辺の事柄までが書かれる。
友だちよりも親きょうだいよりも近く、
自分よりも客観的に知る、
二人の女性が第三章に出会う。
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