犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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親不孝、孝経を読む

2017年06月19日 | 椰子の実の中
なんたって高齢化社会である。
そんな中で、まんまと同居の母親は要介護1である。

親は敬え、大事にしろ、というのが常識、あたりまえのように言われる。
孝行したいときに親は無し、なんて言って脅しまでかけられる。

親が年老いるまでの間に、親子の間でも、またきょうだいや周辺の親戚との間にも、
そりゃあ様々な人間関係の歴史がある。
すんなりと単純に「じゃあ私んとこでお母さんの世話をする」なんてあまりならないだろう。

私は兄も早くに亡くなったので、幸いそういったことで揉めることにはならなかった。
親の期待が一手に掛かってくる鬱陶しさだけを感じていればいい。



孝経は、こう始まる。
「身体髪膚これを父母に受くあえて毀傷せざるは孝の始め也」
ここんところが、「刺青なんか入れるもんじゃないよ」と言ってみたり、
「手術には反対だな」なんて言ってみたり、
あれこれと解釈される。
そんなことひとことも書いてないってえの。

この後、天子、諸侯、卿大夫、士、庶人の章と続き、
それぞれの身分にとっての孝とはどういう事かを説く。

庶人の章ではこう言っている。
「天の道を用い、地の利を分ち、身を謹み用を節し、以て父母を養う。これ庶人の孝なり、と。」
せっせと農業にいそしんで、倹約して、父母にも飯を食わせるのが、庶民にとって大事なことだよ、
といったような意味である。

当時の社会の状況から考えるということが大事だ、と
私が読んでいる『孝経』の訳者の加地伸行は言う。
つまり、孝経の中で庶人と言っているのは農民のことで、
貧しくて、不作の年ともなれば食い詰めて死ぬしか無かったような人々の中で、
年寄りを見捨てずにいることが最低限の人道だったのだろう。

日本にも、姥捨てという事が有った。
生きてゆくことはそれだけ厳しかった。
食うや食わずの庶人にとって、生きているということはそれだけで価値があることだ。
年寄りに関して、偉大なる孝経が打ち出している孝とは、
殺しちゃいかんよ、というラインなのだ。

まあ、他の部分を読めば、父への敬だの母への愛だのという言葉が出てくるので、
それだけでもなかろうけれど、庶民の暮らしの中では、こう言っていたのだ。



今の日本で、家族との関係や、親に対して十分に大事にしてやれないことで
自分を責めて苦しむ人は多いように思う。
自分を含めて。

良識は親孝行を言う。
現実はそれだけではない。

ま、自分はなんとか生きてくことが大事、親は殺さなきゃいいんだよ、
って孝経に書いてあるからさ、
まず、自分が生きてりゃいいんだよ。

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