犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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阿久悠氏を偲ぶ ダンチョネ~

2021年01月05日 | なりもの

毎月一日に法螺を書いて、四月馬鹿ならぬ毎月馬鹿と称している。
正月は特別興行で三が日を法螺で通した。
二日はこうだ。

[あらすじ] 今年は人出が少ないということで、二年詣りに出かけた。
元三大師堂の前のおびんづる様の所で見知らぬ爺さんが
脇腹が痛んでいる様子だったので声をかけた。
奇妙なしゃべり方をする爺さんは、酒が飲みたいと言う。
おごってくれると言うので、近くのお好み焼き屋に連れて行った。
それはなんと、歌謡曲の大作詞家、阿久悠氏であった。

実際のところ、大晦日は普段通りの時間に寝た。22時になっていたか、どうか。
年の変わり目に、花火が上がる。
華やかに開くやつじゃなくて、
「ドン、ドン、ドン」と音だけするヤツだ。
その音で目が覚めたが、またすぐに寝た。

深大寺へは三日に行った。
元三大師(がんざんだいし)という名は、正月三日に入滅したところからの呼び名だ。
だから1月3日は深大寺にとって大きな記念日なのだが、
正月に飲まれてしまっている。
別の日にパーッとやりゃあその分お賽銭も入るだろうと思う。

深大寺と言えば、だるま市が有名だ。
毎年3月3、4日に催される。
これが実は、元々は1月だった。
それじゃあ正月と重なっていけない、と、私と同じようなことを考える輩がいて、
ほんじゃあ月をずらそう、
2月の3日は節分だからいけない、というわけで3月3日になった。
しかしこれまた雛祭り、桃の節句と重なるから4月3日にしようとか、
いやそれだと4月8日の花まつりと近過ぎるから5月にしようとか、
いやそれだとゴールデンウィーク中になるから6月にしようとか、
だったら3月3日を両方倍にして6月6日にしようとか、
それだと666っぽくて欧米の観光客にウケが悪いからとか、
議論が白熱しているとか、
以上どこからかが私の法螺であるとか。



2日の法螺のために、阿久悠氏について調べてみた。
腎臓癌を患って2007年に亡くなっている。

おびんづる様とは、自分が病気している部分を撫でると治る、と言われている。
どこのおびんづる様も、膝やら頭やらが人々の手垢でテカテカに黒光りしている。
阿久悠氏だったら、痛む脇腹を撫でたのではないか、と想像する。

実際のお正月の深大寺では、元三大師堂では護摩供養が行われる。
お焚き上げ申し込みの受付テントがお堂の前に立てられ、列が並ぶ。
そこで、おびんづる様は急遽、釈迦堂の陰に移動される。

法螺の中で、阿久悠の霊の爺さんは、自作の歌詞でしかしゃべれない。
https://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/0f87f5c3ec297c9f802253033753ce0f
家をたずねても、
『港 港の町で
浮名流した果てに
ここへたどりつく
たどりつく』
といった具合だ。

この法螺のために、阿久悠氏の書いた詞をいろいろ読んだ。
すごい量だ。
5,000曲以上という。
曲の付いていない詞も遺されているそうである。

これだけ有ると、どこかしらを切り取ればなんとなく日常会話にも使える。
私はお好み焼き屋に阿久悠氏と行き、何を飲むか聞く。
『お酒はぬるめの燗がいい』
そりゃそうだろう。
何を食べるか聞く。
『肴はあぶったイカでいい』
そうでしょうそうでしょう。
そこで阿久悠氏だと気付いて名前を確かめると、
『わたしの名前はカルメンです』
と言う。

演歌ばかりでなく、ピンクレディーやジュリーや郷ひろみなど
広く歌謡曲の作詞にたずさわっていたことをあらためて認識した。
最後のわかれの挨拶に
『また逢う日まで 逢える時まで』
「あなたに逢えて良かった」
と書く頃には、私はすっかり阿久悠ファンになっていた。



意外なところでは『ヤンチャリカ』が有る。
うたのお兄さんが歌った、私も好きな歌だ。



ほほう、合唱曲の『未知という名の船に乗り』もか。
思いがけないな。



阿久悠作詞の曲を私も演奏したことが有った。
『宇宙戦艦ヤマト』である。
トロンボーン吹き語りした。
https://youtu.be/PGLKpWucEfQ



そしてこの度は、八代亜紀さんの歌った『舟唄』の歌詞を、
オッフェンバック作曲の『ホフマンの舟唄』のメロディーにはめて演奏した。
https://www.youtube.com/watch?v=-cwf4e9JdTo
阿久悠作詞オッフェンバック作曲『ホフマンのダンチョネ節』のできあがりである。

ダンチョネ節とは、神奈川は三崎の海の男たちの民謡だったらしい。
大正時代に流行し、様々な歌詞があてられ、海軍飛行隊を描いたものが有名なようだ。
「沖の鴎に深酒させてヨ
いとしあの娘とヨ 朝寝する
ダンチョネ」
鴎が鳴いたら朝と知れる。
鴎にも寝坊してもらおうと酒を飲ませる。というわけだ。

撮影地は池だけれど、心は三崎に飛んでいた。
カモメもいたし。

つづく

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