介護を受ける側が、同性愛者やトランスジェンダーである場合、
介護を職業とする者がセクシュアルマイノリティである場合、
というのもそれぞれ考えておかにゃならない事なのだが、
今日、触れておきたいのは、
介護する家族がセクシュアルマイノリティの場合、だ。
なーんだ。つまりす~さん、自分のことか。
はーいそうです。
ケースのご説明をいたします。
〇山〇子さん、85歳、パーキンソン病、認知症。
左股関節人工関節。云々
定期巡回介護一日三回、訪問看護週一回、訪問リハビリ週一回、
月一回神経内科受診はご家族の付き添い。云々
※
介護が必要となると、家族の誰が主だって見るかということが
問題になる。
同居している人がいれば、まずその人が挙げられる。
同居人が高齢であると、誰かが通うなど考えられる。
では誰か。
よくある話をする。
きょうだいのうち、子どもの無い者、
勤めの無い者、未婚の者、などが挙げられる。
少しでも余裕の有る者がやるべきだろう、ということになる。
※
親の介護に適当な存在、の条件に、
セクシュアルマイノリティの者は当てはまりやすい。
結婚していない。
それもあって、親と同居している。
子どももいない。
これはもちろん、セクシュアルマイノリティだからということでなく、
単に未婚であったり、他の理由で親と同居していたり、
まったく別の理由で子どもがいなかったりしても当てはまる。
ただ、セクシュアルマイノリティであることによって、
これらの条件に当てはまりやすいということは、実際に言える。
そこで、介護ということになるとして。
では親との関係がどうか。
親にカムアウトできていて、関係が円滑であるか。
というと、必ずしもそうでもない。
これもまた、親との関係なんて
まったく別の様々な理由で円滑でないことだって有る。
ただ、セクシュアルマイノリティであることによって、
大きな課題としてありがちとは言える。
これはまた、カムアウトの問題として別にねちねち考えるべき事だが、
親との関係という問題だけでなく、
親が抱いている子への期待の中に、
社会通念に基づいたものも多く有り、
だから、個人対個人の問題で済まなく、
価値観の問題になってゆくのだ。
だから、セクシュアルマイノリティの家族が介護する側になりがち、
ということは、他の理由の場合と別に考える必要の有る
細かい課題がいろいろ有ると思う。
※
私について言えば、
カムアウトできていないから信頼関係が築けていない、
または、信頼関係が無いからカムアウトできない、
という堂々巡りの中に在る。
「そんなことわざわざ年取った親に言うことないよ」
という意見をもらった時、私もそう思った。
そう言ってから20年、親は年を取り続け、信頼の無い関係は続いている。
事態の良くなる判断ではなかった、と今は思う。
そういう関係の中で、
親への単純な感謝の気持ちとか、
残りの時間を気持ちよく過ごしてもらおうとか、
リハビリがんばりつつ毎日好きなことをしてねとか、
そういった思いに繋がる基盤が、自分に無いと感じる。
※
話をちょいと戻し、家族の誰が介護をするか、
というところで言うと、
私にはきょうだいも無く、母のきょうだいも既に他界しているので、
特に相談する相手もいないような中で、私は同居している。
別に私のセクシュアリティと、私が介護役であることとは、
繋がりは無い。
ただ、私の気持ちの中だけで、煩悶が有る。というだけのことだ。
ええっ!今日はここまで。
介護を職業とする者がセクシュアルマイノリティである場合、
というのもそれぞれ考えておかにゃならない事なのだが、
今日、触れておきたいのは、
介護する家族がセクシュアルマイノリティの場合、だ。
なーんだ。つまりす~さん、自分のことか。
はーいそうです。
ケースのご説明をいたします。
〇山〇子さん、85歳、パーキンソン病、認知症。
左股関節人工関節。云々
定期巡回介護一日三回、訪問看護週一回、訪問リハビリ週一回、
月一回神経内科受診はご家族の付き添い。云々
※
介護が必要となると、家族の誰が主だって見るかということが
問題になる。
同居している人がいれば、まずその人が挙げられる。
同居人が高齢であると、誰かが通うなど考えられる。
では誰か。
よくある話をする。
きょうだいのうち、子どもの無い者、
勤めの無い者、未婚の者、などが挙げられる。
少しでも余裕の有る者がやるべきだろう、ということになる。
※
親の介護に適当な存在、の条件に、
セクシュアルマイノリティの者は当てはまりやすい。
結婚していない。
それもあって、親と同居している。
子どももいない。
これはもちろん、セクシュアルマイノリティだからということでなく、
単に未婚であったり、他の理由で親と同居していたり、
まったく別の理由で子どもがいなかったりしても当てはまる。
ただ、セクシュアルマイノリティであることによって、
これらの条件に当てはまりやすいということは、実際に言える。
そこで、介護ということになるとして。
では親との関係がどうか。
親にカムアウトできていて、関係が円滑であるか。
というと、必ずしもそうでもない。
これもまた、親との関係なんて
まったく別の様々な理由で円滑でないことだって有る。
ただ、セクシュアルマイノリティであることによって、
大きな課題としてありがちとは言える。
これはまた、カムアウトの問題として別にねちねち考えるべき事だが、
親との関係という問題だけでなく、
親が抱いている子への期待の中に、
社会通念に基づいたものも多く有り、
だから、個人対個人の問題で済まなく、
価値観の問題になってゆくのだ。
だから、セクシュアルマイノリティの家族が介護する側になりがち、
ということは、他の理由の場合と別に考える必要の有る
細かい課題がいろいろ有ると思う。
※
私について言えば、
カムアウトできていないから信頼関係が築けていない、
または、信頼関係が無いからカムアウトできない、
という堂々巡りの中に在る。
「そんなことわざわざ年取った親に言うことないよ」
という意見をもらった時、私もそう思った。
そう言ってから20年、親は年を取り続け、信頼の無い関係は続いている。
事態の良くなる判断ではなかった、と今は思う。
そういう関係の中で、
親への単純な感謝の気持ちとか、
残りの時間を気持ちよく過ごしてもらおうとか、
リハビリがんばりつつ毎日好きなことをしてねとか、
そういった思いに繋がる基盤が、自分に無いと感じる。
※
話をちょいと戻し、家族の誰が介護をするか、
というところで言うと、
私にはきょうだいも無く、母のきょうだいも既に他界しているので、
特に相談する相手もいないような中で、私は同居している。
別に私のセクシュアリティと、私が介護役であることとは、
繋がりは無い。
ただ、私の気持ちの中だけで、煩悶が有る。というだけのことだ。
ええっ!今日はここまで。
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