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犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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セクシュアルマイノリティと介護

2018年11月15日 | LGB&T
介護を受ける側が、同性愛者やトランスジェンダーである場合、
介護を職業とする者がセクシュアルマイノリティである場合、
というのもそれぞれ考えておかにゃならない事なのだが、
今日、触れておきたいのは、
介護する家族がセクシュアルマイノリティの場合、だ。

なーんだ。つまりす~さん、自分のことか。
はーいそうです。
ケースのご説明をいたします。

〇山〇子さん、85歳、パーキンソン病、認知症。
左股関節人工関節。云々
定期巡回介護一日三回、訪問看護週一回、訪問リハビリ週一回、
月一回神経内科受診はご家族の付き添い。云々



介護が必要となると、家族の誰が主だって見るかということが
問題になる。
同居している人がいれば、まずその人が挙げられる。
同居人が高齢であると、誰かが通うなど考えられる。
では誰か。

よくある話をする。
きょうだいのうち、子どもの無い者、
勤めの無い者、未婚の者、などが挙げられる。

少しでも余裕の有る者がやるべきだろう、ということになる。



親の介護に適当な存在、の条件に、
セクシュアルマイノリティの者は当てはまりやすい。
結婚していない。
それもあって、親と同居している。
子どももいない。

これはもちろん、セクシュアルマイノリティだからということでなく、
単に未婚であったり、他の理由で親と同居していたり、
まったく別の理由で子どもがいなかったりしても当てはまる。
ただ、セクシュアルマイノリティであることによって、
これらの条件に当てはまりやすいということは、実際に言える。

そこで、介護ということになるとして。
では親との関係がどうか。
親にカムアウトできていて、関係が円滑であるか。
というと、必ずしもそうでもない。

これもまた、親との関係なんて
まったく別の様々な理由で円滑でないことだって有る。
ただ、セクシュアルマイノリティであることによって、
大きな課題としてありがちとは言える。

これはまた、カムアウトの問題として別にねちねち考えるべき事だが、
親との関係という問題だけでなく、
親が抱いている子への期待の中に、
社会通念に基づいたものも多く有り、
だから、個人対個人の問題で済まなく、
価値観の問題になってゆくのだ。

だから、セクシュアルマイノリティの家族が介護する側になりがち、
ということは、他の理由の場合と別に考える必要の有る
細かい課題がいろいろ有ると思う。



私について言えば、
カムアウトできていないから信頼関係が築けていない、
または、信頼関係が無いからカムアウトできない、
という堂々巡りの中に在る。

「そんなことわざわざ年取った親に言うことないよ」
という意見をもらった時、私もそう思った。
そう言ってから20年、親は年を取り続け、信頼の無い関係は続いている。
事態の良くなる判断ではなかった、と今は思う。

そういう関係の中で、
親への単純な感謝の気持ちとか、
残りの時間を気持ちよく過ごしてもらおうとか、
リハビリがんばりつつ毎日好きなことをしてねとか、
そういった思いに繋がる基盤が、自分に無いと感じる。



話をちょいと戻し、家族の誰が介護をするか、
というところで言うと、
私にはきょうだいも無く、母のきょうだいも既に他界しているので、
特に相談する相手もいないような中で、私は同居している。
別に私のセクシュアリティと、私が介護役であることとは、
繋がりは無い。

ただ、私の気持ちの中だけで、煩悶が有る。というだけのことだ。

ええっ!今日はここまで。


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