私はヒネクレてしまって、親を信頼できなくなってしまった。
もっとたくさんのことを学び取り、
その懐でもっと伸び伸びとできたかもしれなかったけれど、
うまく交わることができなかった。
十代の頃からか、あまり信頼しなくなった。
私は女性の身体で生まれて、まあまあ女性として育てられ、
しかし子どもの頃から身体の性別違和感が有った。
恋愛対象は主に女性であった。
時代の流れと自分の考えを合わせ、
今では身体の性別を変えることはしたくない、
女性として扱われるのは不快だけれど、
男性として見られるのはまったく納得がいかない、
といった感覚のところにいる。
こういうことを、親に打ち明けることができないままやってきた。
私は今53歳で、父は12年前に亡くなり、母は今90歳で特別養護老人ホームにいる。
親が六十代くらいの頃から、
トシヨリにこんな私を受け止めるという難儀なことを押し付ける気がしなかった。
そんなふうに思っていたら、親はどんどん年を取って、体力も気力も下がっていった。
ますます言う気がしない。
よく、
「親御さんは気付いてるんじゃないの?」とか
「なんでも受け止めてくれるのが親」とか言われる。
それももっともだと思う。
しかし、私が四十代半ばだったかそれくらいの頃、
「いい人がいたら結婚してもいいのよ」と母に言われた。
自分のせいで私が結婚していない、と思ったのかもしれない。
異性愛社会の中で、異性愛者には、人生のモデルが有る。
結婚して、子どもをもって、働いて、育てて、孫ができて、年老いて。
一般的に、こういう人生設計図を「しあわせ」と呼ぶ。
私には、そういう人生の図が無い。
制度的にも無い。
日本という国は、私に、私が出会って伴侶としたいと思った人と伴に歩むための
制度を設けていない。
今の言い方で言えば「同性婚」ということになる。
現在の日本の国家は私のしあわせを担保していないのである。
私と伴侶の人生設計を、国家は後ろ盾していない。
そういう人生設計図に当てはまらないことを、
「しあわせ」に当てはまらないから「不幸」だと思うと、不幸になってしまう。
ここいらへんは、もっとねちね…丁寧にあらためて書きたい。
今日は、親という存在についてが主題なのだ。
自分自身が異性愛者であり、そのことに疑問も持たずに生きてきた人が、
我が子が同性愛者だ、と知ったら、「この子は不幸だ」ということになったりする。
そう思うのも無理は無いと思う。
現代日本社会の常識がそのようだからだ。
同性愛者だってトランスジェンダーだってAセクシュアルだって、
みんな、親から生まれてくる。
ここがしんどい第一歩だと思う。
子どもにとって、最初の他人は親であり、最初の社会は家庭だ。
親は、自分の生きてきた地盤だけで子に向かうと、
受け入れることができないということが起きてしまう。
なかなかたいへんよね。
でも、こちとら自分自身のこととして、選択の余地もなく、生まれながら
常識にはまらない自分の在り処を探し続ける人生なんだい。
※
どうして親を信頼できなくなってしまったのかな、と考えると、
やはり、カムアウトできないから信頼関係を築けなかった、
信頼関係を築けなかったからカムアウトできなかった、
というところだと思うのである。
※
六十代の友人が言う。
「でも親って、いてくれるだけで安心よね。」
へええ!そういうものか!
と思った。
数歩譲って、私にもそういう時は有った。
10歳くらいまでは。
あの感じをずっと持っていられる人もいるのか。
※
母が四十代の頃、母の仕事を手伝ってくれていたMMさんが、
たまに連絡をくれる。
「今はお困りのこともなくお過ごしのことと思いますが、
何かあったら75歳の、おばあさん(私のこと)に、
お話しくださいね。できることなら、お手伝いしますよ。
小さかった暁子ちゃんが私の思い出の中に生きていますもの。」
子どもの頃のままの姿を思っているというのは、
親と同様だな、と思いつつも、
ありがとうございます。
実際に相談することは無かったとしても、
そういうふうに言ってくださる方がいる、ということが
とても心強いです。
と、返事を書こうとして、思った。
ああ、これが、「いるだけで安心」というヤツか。
なるほどこれはかなり温かい感覚だな。
もっとたくさんのことを学び取り、
その懐でもっと伸び伸びとできたかもしれなかったけれど、
うまく交わることができなかった。
十代の頃からか、あまり信頼しなくなった。
私は女性の身体で生まれて、まあまあ女性として育てられ、
しかし子どもの頃から身体の性別違和感が有った。
恋愛対象は主に女性であった。
時代の流れと自分の考えを合わせ、
今では身体の性別を変えることはしたくない、
女性として扱われるのは不快だけれど、
男性として見られるのはまったく納得がいかない、
といった感覚のところにいる。
こういうことを、親に打ち明けることができないままやってきた。
私は今53歳で、父は12年前に亡くなり、母は今90歳で特別養護老人ホームにいる。
親が六十代くらいの頃から、
トシヨリにこんな私を受け止めるという難儀なことを押し付ける気がしなかった。
そんなふうに思っていたら、親はどんどん年を取って、体力も気力も下がっていった。
ますます言う気がしない。
よく、
「親御さんは気付いてるんじゃないの?」とか
「なんでも受け止めてくれるのが親」とか言われる。
それももっともだと思う。
しかし、私が四十代半ばだったかそれくらいの頃、
「いい人がいたら結婚してもいいのよ」と母に言われた。
自分のせいで私が結婚していない、と思ったのかもしれない。
異性愛社会の中で、異性愛者には、人生のモデルが有る。
結婚して、子どもをもって、働いて、育てて、孫ができて、年老いて。
一般的に、こういう人生設計図を「しあわせ」と呼ぶ。
私には、そういう人生の図が無い。
制度的にも無い。
日本という国は、私に、私が出会って伴侶としたいと思った人と伴に歩むための
制度を設けていない。
今の言い方で言えば「同性婚」ということになる。
現在の日本の国家は私のしあわせを担保していないのである。
私と伴侶の人生設計を、国家は後ろ盾していない。
そういう人生設計図に当てはまらないことを、
「しあわせ」に当てはまらないから「不幸」だと思うと、不幸になってしまう。
ここいらへんは、もっとねちね…丁寧にあらためて書きたい。
今日は、親という存在についてが主題なのだ。
自分自身が異性愛者であり、そのことに疑問も持たずに生きてきた人が、
我が子が同性愛者だ、と知ったら、「この子は不幸だ」ということになったりする。
そう思うのも無理は無いと思う。
現代日本社会の常識がそのようだからだ。
同性愛者だってトランスジェンダーだってAセクシュアルだって、
みんな、親から生まれてくる。
ここがしんどい第一歩だと思う。
子どもにとって、最初の他人は親であり、最初の社会は家庭だ。
親は、自分の生きてきた地盤だけで子に向かうと、
受け入れることができないということが起きてしまう。
なかなかたいへんよね。
でも、こちとら自分自身のこととして、選択の余地もなく、生まれながら
常識にはまらない自分の在り処を探し続ける人生なんだい。
※
どうして親を信頼できなくなってしまったのかな、と考えると、
やはり、カムアウトできないから信頼関係を築けなかった、
信頼関係を築けなかったからカムアウトできなかった、
というところだと思うのである。
※
六十代の友人が言う。
「でも親って、いてくれるだけで安心よね。」
へええ!そういうものか!
と思った。
数歩譲って、私にもそういう時は有った。
10歳くらいまでは。
あの感じをずっと持っていられる人もいるのか。
※
母が四十代の頃、母の仕事を手伝ってくれていたMMさんが、
たまに連絡をくれる。
「今はお困りのこともなくお過ごしのことと思いますが、
何かあったら75歳の、おばあさん(私のこと)に、
お話しくださいね。できることなら、お手伝いしますよ。
小さかった暁子ちゃんが私の思い出の中に生きていますもの。」
子どもの頃のままの姿を思っているというのは、
親と同様だな、と思いつつも、
ありがとうございます。
実際に相談することは無かったとしても、
そういうふうに言ってくださる方がいる、ということが
とても心強いです。
と、返事を書こうとして、思った。
ああ、これが、「いるだけで安心」というヤツか。
なるほどこれはかなり温かい感覚だな。
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