出かけようとしたが、あと数分で訪問看護さんが来るので、
少し立ち話でもと思って、ちょいと待ってみた。
看護師Tさんに週一回来てもらうようになって、
一年4ヶ月くらい経つ。
「マッサージしながら内容の薄い話してるんですよー。
漫才みたい。
うんこ教とか。
硬いのはうんこ、適度に柔らかいのはうんち、
坐薬を使って出るのはベンジャミンと呼ぼう、
なんておっしゃるんですよー。」
楽しい時間をありがとうございます。
※
この看護師さんが二回目に来た後、
母は、違う人に変えて欲しい、と言った。
相性の問題という面も有るとは思ったが、
相性ぴったりではない人をいちいち断っていたら、
いっくら人材が豊富でも間に合わない。
看護ステーションなんて、そんな規模ではない。
母がなつくまで、少し時間はかかるだろうけれど、
そこは看護師、やってくれるだろうと思って私は任せていた。
一年近く経って、ひと安心、と思った頃、
母はまた違う人に変えて欲しい、と言った。
その頃には既に、看護師さんも母の性格に慣れ、
私も看護師さんを信頼するようになっていた。
ここまで積み上げてきたものを捨ててしまいたくない。
また別の人に一から関係を築いてもらうのはたいへんだよー
とかなんとかなだめて、続けている。
※
「全てNOから入るから。
理解して、自分の欲求が無いとやらないから。
強引にやるくらいじゃないと。
リハビリの方がいま困ってるんじゃないかな、と思って。」
と訪問看護さんは言う。
訪問リハビリは始まってまだ2ヶ月ほどだ。
「全てNO」なのは、自分で納得しないと、できないからだ。
ひとの提案にはなかなか乗らない。
説明を受けてしっかり理解したらやらぬでもないが、
自分の思いの引力が非常に強いので、しばらくすると元に戻る。
ふりだしに戻って、同じ説明を求めたり、もう取り組まなかったりする。
リハビリなんて、先生が自分に適した運動を考えて選んでくれるので、
まさに、ひとの提案に乗る、ということが必要だが、
どうもそこがまさにネックなようだ。
※
「自分」というものが、たいへん強く大きい。
周囲のものを寄せ付けない強大さが有る。
も少しすぼんどいたら周囲の支援が生きるんじゃないか、
という気がする。
少し立ち話でもと思って、ちょいと待ってみた。
看護師Tさんに週一回来てもらうようになって、
一年4ヶ月くらい経つ。
「マッサージしながら内容の薄い話してるんですよー。
漫才みたい。
うんこ教とか。
硬いのはうんこ、適度に柔らかいのはうんち、
坐薬を使って出るのはベンジャミンと呼ぼう、
なんておっしゃるんですよー。」
楽しい時間をありがとうございます。
※
この看護師さんが二回目に来た後、
母は、違う人に変えて欲しい、と言った。
相性の問題という面も有るとは思ったが、
相性ぴったりではない人をいちいち断っていたら、
いっくら人材が豊富でも間に合わない。
看護ステーションなんて、そんな規模ではない。
母がなつくまで、少し時間はかかるだろうけれど、
そこは看護師、やってくれるだろうと思って私は任せていた。
一年近く経って、ひと安心、と思った頃、
母はまた違う人に変えて欲しい、と言った。
その頃には既に、看護師さんも母の性格に慣れ、
私も看護師さんを信頼するようになっていた。
ここまで積み上げてきたものを捨ててしまいたくない。
また別の人に一から関係を築いてもらうのはたいへんだよー
とかなんとかなだめて、続けている。
※
「全てNOから入るから。
理解して、自分の欲求が無いとやらないから。
強引にやるくらいじゃないと。
リハビリの方がいま困ってるんじゃないかな、と思って。」
と訪問看護さんは言う。
訪問リハビリは始まってまだ2ヶ月ほどだ。
「全てNO」なのは、自分で納得しないと、できないからだ。
ひとの提案にはなかなか乗らない。
説明を受けてしっかり理解したらやらぬでもないが、
自分の思いの引力が非常に強いので、しばらくすると元に戻る。
ふりだしに戻って、同じ説明を求めたり、もう取り組まなかったりする。
リハビリなんて、先生が自分に適した運動を考えて選んでくれるので、
まさに、ひとの提案に乗る、ということが必要だが、
どうもそこがまさにネックなようだ。
※
「自分」というものが、たいへん強く大きい。
周囲のものを寄せ付けない強大さが有る。
も少しすぼんどいたら周囲の支援が生きるんじゃないか、
という気がする。
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