犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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訪問看護史

2018年11月16日 | からだ
出かけようとしたが、あと数分で訪問看護さんが来るので、
少し立ち話でもと思って、ちょいと待ってみた。

看護師Tさんに週一回来てもらうようになって、
一年4ヶ月くらい経つ。
「マッサージしながら内容の薄い話してるんですよー。
漫才みたい。
うんこ教とか。
硬いのはうんこ、適度に柔らかいのはうんち、
坐薬を使って出るのはベンジャミンと呼ぼう、
なんておっしゃるんですよー。」

楽しい時間をありがとうございます。



この看護師さんが二回目に来た後、
母は、違う人に変えて欲しい、と言った。
相性の問題という面も有るとは思ったが、
相性ぴったりではない人をいちいち断っていたら、
いっくら人材が豊富でも間に合わない。
看護ステーションなんて、そんな規模ではない。

母がなつくまで、少し時間はかかるだろうけれど、
そこは看護師、やってくれるだろうと思って私は任せていた。

一年近く経って、ひと安心、と思った頃、
母はまた違う人に変えて欲しい、と言った。
その頃には既に、看護師さんも母の性格に慣れ、
私も看護師さんを信頼するようになっていた。
ここまで積み上げてきたものを捨ててしまいたくない。

また別の人に一から関係を築いてもらうのはたいへんだよー
とかなんとかなだめて、続けている。



「全てNOから入るから。
理解して、自分の欲求が無いとやらないから。
強引にやるくらいじゃないと。
リハビリの方がいま困ってるんじゃないかな、と思って。」
と訪問看護さんは言う。
訪問リハビリは始まってまだ2ヶ月ほどだ。

「全てNO」なのは、自分で納得しないと、できないからだ。
ひとの提案にはなかなか乗らない。
説明を受けてしっかり理解したらやらぬでもないが、
自分の思いの引力が非常に強いので、しばらくすると元に戻る。
ふりだしに戻って、同じ説明を求めたり、もう取り組まなかったりする。

リハビリなんて、先生が自分に適した運動を考えて選んでくれるので、
まさに、ひとの提案に乗る、ということが必要だが、
どうもそこがまさにネックなようだ。



「自分」というものが、たいへん強く大きい。
周囲のものを寄せ付けない強大さが有る。
も少しすぼんどいたら周囲の支援が生きるんじゃないか、
という気がする。

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