[あらすじ] 同居母87歳パーキンソン病ヤール4要介護5認知症状少々、
10日間のショートステイ中。
茶毒蛾の幼虫が出ないうちに椿をずいぶん剪定しておいた。
切り落とした葉を処分できずに置いたままだった。
それを、70リットルの半透明ごみ袋に詰め込むという作業を
毎日少しづつやっている。
なんせ、数週間は放置してしまったものだから、
表面以外は湿っている。
表面の乾いた分だけを袋に詰めて、
次の日にまた表面の乾いた分を袋に詰めて、
ということを一日にできれば2回、4日くらいかけてやっているだろうか。
すごい量だ。
※
鋏を使う音を聞きつけたのか、隣家のおっちゃんが声をかけてきた。
もともと足の悪い人だが、そこに年齢も加わって、危なっかしくなってきている。
「一人で出かけちゃダメだって。」と不満そうだ。
酒屋さんなので、原付であちこちに配達に行っては、
友達とおしゃべりしてくるのが毎日の過ごし方だった。
出かけられないのでは、さびしい思いをしているだろう。
ウチの母もそうですよ。
転んで骨折でもしたらいけない、って。
週に2回リハビリの先生が来てくれるから、その時に付き添ってもらったりして歩いてます。
「お母さん見かけないけど、どうかしたの?」
いえいえ、ショートステイに入っています。
「病院?」
病院じゃなくてね、老人ホームに短い間だけ入っているの。十日間だけ。
「じゃあまた戻って来るのね。」
見かけないって言うけれど、
こちらの家の中の母がいつも見えている、ってことかな。
まあ、たまにこっそり庭に出たことも有るようだが。
「おじさん、2級だよ。」
と、障害者手帳を見せてくる。
あらあら。持ち歩いているのだろうか。
失くさないようにね…。
※
そう言えば、一年くらい前に母が
「お隣のおっちゃん見かけないけど、どうしたのかしら。」と言っていた。
おっちゃんもあまり外に出なくなったが、
そもそも自分が外に出なくなっているのだから、見かけるわけが無い。
そのことを思い出した。
お隣のおっちゃんも、同じことを言っているのだ。
誰のことも見かけない生活になっている、ということなのだ。
※
亡父が最後の15年あまりを過ごした部屋の、棚を片付けている。
書斎は半年くらい前までに、半年くらいをかけて片付けた。
規模はずっと少ないが、内容はそっくりだ。
手紙の束、古い日記帳、母親の書いたものや、亡くした先妻のノート、
著書や、原稿の束や、手帳や、読書ノートや、聖書や、辞書や、写真。
父の人の他界した後、ずっとその机はそのままにしたまま、
その周辺で母が生活していた。
だから、亡父の物に母の物が混じってしまっている。
片付けはその分、手間がかかる。
古い写真の束が出てきた。
すこぶる古いものではなく、適当に古いもの。
亡兄が子どもで、私が赤ん坊で、前に住んでいた家や、
できたての代々木の競技場や武道館の写真も有る。
※
赤ん坊から子どもの頃の私は、子どもであった。
親の、子だった。
特に、母に近かったと思う。
髪の毛がくるくる巻いている様子や、頬っぺたのふくれ具合や、
ものごとをおそれたり、行動や表現が抑圧されていた部分なんかも母を映していた。
ってな頃の写真。
母に抱かれ、祖母に抱かれ、兄に抱かれ。
ご機嫌よろしいようですな。
カラーだって有る時代だわよ!
10日間のショートステイ中。
茶毒蛾の幼虫が出ないうちに椿をずいぶん剪定しておいた。
切り落とした葉を処分できずに置いたままだった。
それを、70リットルの半透明ごみ袋に詰め込むという作業を
毎日少しづつやっている。
なんせ、数週間は放置してしまったものだから、
表面以外は湿っている。
表面の乾いた分だけを袋に詰めて、
次の日にまた表面の乾いた分を袋に詰めて、
ということを一日にできれば2回、4日くらいかけてやっているだろうか。
すごい量だ。
※
鋏を使う音を聞きつけたのか、隣家のおっちゃんが声をかけてきた。
もともと足の悪い人だが、そこに年齢も加わって、危なっかしくなってきている。
「一人で出かけちゃダメだって。」と不満そうだ。
酒屋さんなので、原付であちこちに配達に行っては、
友達とおしゃべりしてくるのが毎日の過ごし方だった。
出かけられないのでは、さびしい思いをしているだろう。
ウチの母もそうですよ。
転んで骨折でもしたらいけない、って。
週に2回リハビリの先生が来てくれるから、その時に付き添ってもらったりして歩いてます。
「お母さん見かけないけど、どうかしたの?」
いえいえ、ショートステイに入っています。
「病院?」
病院じゃなくてね、老人ホームに短い間だけ入っているの。十日間だけ。
「じゃあまた戻って来るのね。」
見かけないって言うけれど、
こちらの家の中の母がいつも見えている、ってことかな。
まあ、たまにこっそり庭に出たことも有るようだが。
「おじさん、2級だよ。」
と、障害者手帳を見せてくる。
あらあら。持ち歩いているのだろうか。
失くさないようにね…。
※
そう言えば、一年くらい前に母が
「お隣のおっちゃん見かけないけど、どうしたのかしら。」と言っていた。
おっちゃんもあまり外に出なくなったが、
そもそも自分が外に出なくなっているのだから、見かけるわけが無い。
そのことを思い出した。
お隣のおっちゃんも、同じことを言っているのだ。
誰のことも見かけない生活になっている、ということなのだ。
※
亡父が最後の15年あまりを過ごした部屋の、棚を片付けている。
書斎は半年くらい前までに、半年くらいをかけて片付けた。
規模はずっと少ないが、内容はそっくりだ。
手紙の束、古い日記帳、母親の書いたものや、亡くした先妻のノート、
著書や、原稿の束や、手帳や、読書ノートや、聖書や、辞書や、写真。
父の人の他界した後、ずっとその机はそのままにしたまま、
その周辺で母が生活していた。
だから、亡父の物に母の物が混じってしまっている。
片付けはその分、手間がかかる。
古い写真の束が出てきた。
すこぶる古いものではなく、適当に古いもの。
亡兄が子どもで、私が赤ん坊で、前に住んでいた家や、
できたての代々木の競技場や武道館の写真も有る。
※
赤ん坊から子どもの頃の私は、子どもであった。
親の、子だった。
特に、母に近かったと思う。
髪の毛がくるくる巻いている様子や、頬っぺたのふくれ具合や、
ものごとをおそれたり、行動や表現が抑圧されていた部分なんかも母を映していた。
ってな頃の写真。
母に抱かれ、祖母に抱かれ、兄に抱かれ。
ご機嫌よろしいようですな。
カラーだって有る時代だわよ!
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