犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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実家あるあるが有る有る

2020年05月31日 | 日々
[あらすじ] 同居母87歳パーキンソン病ヤール4要介護5認知症状少々、
10日間のショートステイ中。

茶毒蛾の幼虫が出ないうちに椿をずいぶん剪定しておいた。
切り落とした葉を処分できずに置いたままだった。
それを、70リットルの半透明ごみ袋に詰め込むという作業を
毎日少しづつやっている。

なんせ、数週間は放置してしまったものだから、
表面以外は湿っている。
表面の乾いた分だけを袋に詰めて、
次の日にまた表面の乾いた分を袋に詰めて、
ということを一日にできれば2回、4日くらいかけてやっているだろうか。
すごい量だ。



鋏を使う音を聞きつけたのか、隣家のおっちゃんが声をかけてきた。

もともと足の悪い人だが、そこに年齢も加わって、危なっかしくなってきている。
「一人で出かけちゃダメだって。」と不満そうだ。
酒屋さんなので、原付であちこちに配達に行っては、
友達とおしゃべりしてくるのが毎日の過ごし方だった。
出かけられないのでは、さびしい思いをしているだろう。

ウチの母もそうですよ。
転んで骨折でもしたらいけない、って。
週に2回リハビリの先生が来てくれるから、その時に付き添ってもらったりして歩いてます。

「お母さん見かけないけど、どうかしたの?」
いえいえ、ショートステイに入っています。
「病院?」
病院じゃなくてね、老人ホームに短い間だけ入っているの。十日間だけ。
「じゃあまた戻って来るのね。」

見かけないって言うけれど、
こちらの家の中の母がいつも見えている、ってことかな。
まあ、たまにこっそり庭に出たことも有るようだが。

「おじさん、2級だよ。」
と、障害者手帳を見せてくる。
あらあら。持ち歩いているのだろうか。
失くさないようにね…。



そう言えば、一年くらい前に母が
「お隣のおっちゃん見かけないけど、どうしたのかしら。」と言っていた。
おっちゃんもあまり外に出なくなったが、
そもそも自分が外に出なくなっているのだから、見かけるわけが無い。

そのことを思い出した。
お隣のおっちゃんも、同じことを言っているのだ。
誰のことも見かけない生活になっている、ということなのだ。



亡父が最後の15年あまりを過ごした部屋の、棚を片付けている。
書斎は半年くらい前までに、半年くらいをかけて片付けた。
規模はずっと少ないが、内容はそっくりだ。
手紙の束、古い日記帳、母親の書いたものや、亡くした先妻のノート、
著書や、原稿の束や、手帳や、読書ノートや、聖書や、辞書や、写真。

父の人の他界した後、ずっとその机はそのままにしたまま、
その周辺で母が生活していた。
だから、亡父の物に母の物が混じってしまっている。
片付けはその分、手間がかかる。

古い写真の束が出てきた。
すこぶる古いものではなく、適当に古いもの。
亡兄が子どもで、私が赤ん坊で、前に住んでいた家や、
できたての代々木の競技場や武道館の写真も有る。



赤ん坊から子どもの頃の私は、子どもであった。
親の、子だった。
特に、母に近かったと思う。
髪の毛がくるくる巻いている様子や、頬っぺたのふくれ具合や、
ものごとをおそれたり、行動や表現が抑圧されていた部分なんかも母を映していた。

ってな頃の写真。
母に抱かれ、祖母に抱かれ、兄に抱かれ。
ご機嫌よろしいようですな。
カラーだって有る時代だわよ!
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