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犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
犬のこと、人の心身のこと、音楽や自作のいろいろなものについて

リハビリの目標

2014年04月24日 | 日々
[あらすじ] 以前の自分らしい音がやっとちょっと出た。


リハビリというのはなかなか進まないのが世の常のようだ。
私のトロンボーンリハビリも、何度か挫折してきた。
なぜリハビリは進まないか。
それは、なかなかにしんどいからだ。
なぜリハビリはしんどいか。
以前はできていたことをわざわざ訓練するからだ。

何も意識せずにできていたことを、大人になってから訓練するのはしんどい。
なぜそれがしんどいか。
当たり前のことができない、ということで自己評価がぐんと下がるからだ。
こんなこともできないなんて、なんて自分はダメなんだ、と落ち込みがちなのだ。



老母は、以前はせかせかと歩く人だった。
子どもも夫も置いて先へ行ってしまえ、という様子だった。
一方で散歩を楽しむことも好きで、深大寺へ引っ越してからは
周辺を一緒に歩きまわったものだ。
しかし、70代になって、パーキンソン病と変形性股関節症から、歩きにくくなった。

カートを押して、毎日少しずつ歩くのがリハビリの一環だが、
歩きにくいし、歩けば疲れるし、どこか痛むし、歩きたくない。
あんなに歩いていた人が、
「あるくのきらい」
とこぼしたりした。

またある時は、
「ふつうにあるけるようになりたい」とか、
犬たちに向かって
「もうすぐいっしょにおさんぽについていくからね」と
言ったりもする。

元気に歩きたい気持ちと、実際はしんどいという現実との間で、
気持ちはいつも揺らいでいる。



でもどうしても吹きたい。
もっと(以前のように)広い音域を使いこなしたい、
もっと(以前のように)いろんな音色を使い分けたい、
もっと(以前のように)キレの良いリズムを出したい。

しかし、どれを取っても以前の私に敵うわけが無い。
毎日楽器中心の生活をして、年に40本のライブをやって。
と、どうしても全盛期と比較してしまう。
これがいけない。

一番吹けていた頃の自分の音と比較するからつらい。
ずっと吹いていなかった後なのだから、ほぼ初心者のようなものだ。
しかし、初心者扱いすることが難しい。
そこが我慢のしどころだ。

初心者なんだから、一個音が出ただけでもしめたものだ。
次の音に移動できただけでもしめたものだ。
音が頭からはっきり出たらずいぶん上達した方だ。
と、評価基準をぐっと下げる。
すると、ほめどころがある。

気が遠くなる。
一体いつになったらマトモに吹けるようになるのか。
いつステージに立てるのだ。

しかし、考えてみれば最初はそうだったのだ。
ひとつひとつの段階を進んできたのだ。
以前できていたところまでは、その段階と道筋を知っている。
それだけでもずいぶん得をしている。

あの時は教えてくれる先輩がいた。
何かができれば、ほめてくれた。
今は、その役割も自分がするのだ。



ヒトとして、赤ん坊の頃から成長していく中で体得してきたことがらだと、
評価基準を下げるという作業も難しいだろう。

歩けるようになった時のことを憶えているかい?

たぶん、楽に歩けたわけじゃない。
ずっと何かにつかまっていたけれど、その手を放すのは怖かったはずだ。
つかまる物の何も無いところを、なぜ歩いた?

触ってみたい何かが有ったからか、
おいしそうな物が置いてあったからか、
お母ちゃんが手を広げて待っていてくれたからか。



リハビリには、そういった具体的な嬉しい目標を設定すると良いのだと思う。


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