犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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自己防衛としての病気

2017年02月16日 | からだ
数回にわけて、十年前に鍼灸を志した頃のことを書いた。
ついでに、同じ頃にウンニョッキを作ったことも思い出した。
記憶はあざなえる縄の如く、絡み合っているものなのだろうか。

脳細胞の神経線維が、実際に縒り合わせた糸のように束になっているだろうか。
記憶をつかさどるのが海馬という場所だということは、よく知られている。

これが、15年あまり前のこととなると、ほとんど思い出せない。
より時間が経っているから、ではない。
その時期よりも少し前のことはもっと明瞭に思い出せるからだ。
その頃、あるバンドのサポートメンバーをクビになり、
その後、それとは別の、ホームとして参加していたバンドも私は自分から辞めた。

唯一、リーダーに辞めることを伝えた時の、彼のひとことだけを憶えている。
Yは驚きもせず、「そうか、す~さん最近つらそうだったもんね。」と言った。
私は自分がどういう理由で辞めると言ったか、電話で言ったのか会った時に伝えたのか、
そのとき他の管楽器セクションのメンバーはバンドに在籍していたのかいなかったのか、
そもそもバンドの他のメンバーは誰だったのか、辞めると言うまでどのように迷ったのか、
思い出せない事が多い。

精神的に負担の大きい事があったり、そういう時期が続いたりすると、
その頃の事を後で思い出せない、ということは、
経験したことがある人も多い。
子どもでも若くても、このようなことは起きる。

うつ病の患者の脳をCTで撮ると、海馬が萎縮しているのが見られる。
これが鬱の原因だ。

と、こういう言い方を現代医学はしばしばする。
本末顛倒だと思う。

海馬が萎縮しているから鬱なのではなく、
鬱だから海馬が萎縮しているのだろう。
病んでいるからその状態があるのであって、
萎縮そのものが病気の本体ではない。

これは体の防衛反応なのではないか、と私は思う。
いやなことは忘れたい。
文字どおりだ。
いやなことばかりの時期は、記憶の機能を落として、体が心を守ろうとする。

似たような表現は様々な病気で見られるように思う。
潰瘍そのものが病気なのではなく、
病んでいるから潰瘍ができる。
皮膚に円形の発疹ができていることが問題なのではなく、
問題を抱えているから発疹が出る。

目に見える症状が病気の本体なのではなく、
本体は別のところにあるのだろう。

画像診断が進んできて、今まで目に見えなかったものも見えるようになってきた。
たとえば海馬の萎縮。
今まで見えてなかったこれが原因だ、ということではなく、
これすらも目に見えるものと言うべきなのだろう。



そのうち、私がやめた頃のことを憶えていないことを、
Yに伝えてみよう。
私が彼のひとことを憶えているのは、そのこたえを聞いて
とにかく安堵したからに違いないのだ。

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