「戦時中から特に戦後は貧乏だった。
というより国中が貧乏だった。」
「食べるものが無くて。
だから食べ物を粗末にしてはいけない。」
「お菓子なんか無かった。
だから豊かになってから食べられるのが嬉しくて。」
老母84歳の言葉だから、真実みが有る。
と、思うだろう。
子どもの頃はそう思っていた。
少しずつ、ほころんできた。
まず、甘いもの狂いである。
甘いものが好きだ。
仕事をする時には、いつも片手で何かをつまんでいたものだ。
今も、歩きにくいのを押してスーパーに行くと、ごっそりと甘い物を買ってくる。
アイスクリーム、菓子パン、どらやき、シュークリーム、マドレーヌ…。
そして、驚く速さで無くなっていく。
さらに、食事でも食パンにジャムを付けて食べる。
リンゴジュースもケースで届く。
調理しなかった野菜などの食材が、冷蔵庫の中でいたんでいる。
珍しい物を頂いて、食べ方が分からずに腐らせる。
体の動きが悪くなった老後の今のことを言っているのではない。
若い頃からあったのだ。
おやおや。言ってることとやってることがずいぶん違う。
完全に言行一致なんて、人間だもの、無理なのは重々分かっているが、
それにしても。
幼い頃に貧しくて苦労した、という点よりも、
三十代四十代といった生活期を高度成長時代に過ごした、という点がまさって
上塗りされているように見える。
ある時、私は同級生を病院に見舞った。
同室のベッドはお年寄りが並んでいて、昔の話に花を咲かせていた。
私たちに語って聞かせるように、戦中戦後の話になった。
「食べる物がぜんぜん無くてね、イモばっかり。
庭でイモやカボチャを作ってね。」
母もそう言っていました。イモはもう嫌いって。
「でもね、軍隊のおえらいさんの家は、ちゃんと食べてるの。
何か、配給以外に食べ物が手に入ったんでしょうね。」
ゲゲゲ、まさか、祖父は中将でした、とは言えない。
母は当時子どもだったから、一般と違うルートで家に食糧が入ったとしても、
知り得なかったかもしれない。
本土でどんな格差が行われていたのだろうか。
というより国中が貧乏だった。」
「食べるものが無くて。
だから食べ物を粗末にしてはいけない。」
「お菓子なんか無かった。
だから豊かになってから食べられるのが嬉しくて。」
老母84歳の言葉だから、真実みが有る。
と、思うだろう。
子どもの頃はそう思っていた。
少しずつ、ほころんできた。
まず、甘いもの狂いである。
甘いものが好きだ。
仕事をする時には、いつも片手で何かをつまんでいたものだ。
今も、歩きにくいのを押してスーパーに行くと、ごっそりと甘い物を買ってくる。
アイスクリーム、菓子パン、どらやき、シュークリーム、マドレーヌ…。
そして、驚く速さで無くなっていく。
さらに、食事でも食パンにジャムを付けて食べる。
リンゴジュースもケースで届く。
調理しなかった野菜などの食材が、冷蔵庫の中でいたんでいる。
珍しい物を頂いて、食べ方が分からずに腐らせる。
体の動きが悪くなった老後の今のことを言っているのではない。
若い頃からあったのだ。
おやおや。言ってることとやってることがずいぶん違う。
完全に言行一致なんて、人間だもの、無理なのは重々分かっているが、
それにしても。
幼い頃に貧しくて苦労した、という点よりも、
三十代四十代といった生活期を高度成長時代に過ごした、という点がまさって
上塗りされているように見える。
ある時、私は同級生を病院に見舞った。
同室のベッドはお年寄りが並んでいて、昔の話に花を咲かせていた。
私たちに語って聞かせるように、戦中戦後の話になった。
「食べる物がぜんぜん無くてね、イモばっかり。
庭でイモやカボチャを作ってね。」
母もそう言っていました。イモはもう嫌いって。
「でもね、軍隊のおえらいさんの家は、ちゃんと食べてるの。
何か、配給以外に食べ物が手に入ったんでしょうね。」
ゲゲゲ、まさか、祖父は中将でした、とは言えない。
母は当時子どもだったから、一般と違うルートで家に食糧が入ったとしても、
知り得なかったかもしれない。
本土でどんな格差が行われていたのだろうか。
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